「もうおねがい ゆるして」——そう書き残して東京都目黒区の船戸結愛ちゃん(5)は命を落とした。この事件をきっかけに、児童虐待への社会の関心が高まっている。
「児童相談所の人員を増やすべき」「警察との連携を強化した方がよい」など、虐待が疑われるケースにどう対処するか、専門家や市民からさまざまな声が上がっているが、一方で、被害を未然に防ぐためには、子育て支援や貧困対策など福祉の充実も必要だ。
首都大学東京教授(憲法学)で『子どもの人権を守るために』などの編著もある木村草太さんと、児童虐待や少年事件を数多く担当してきた山下敏雅弁護士に話を聞いた。
山下敏雅さん(左)と木村草太さん。対談は児相の改善点から生活保護切り下げなど社会保障にまで及んだ。
撮影:岡田清孝
一方で父親は香川県警によって2回書類送検されたが不起訴に。
一家が2018年1月に東京都目黒区に引っ越した後は品川区の児相が対応を引き継ぎ家庭訪問したが、結局会えないまま結愛ちゃんは3月に亡くなった。
警視庁によると、父親から暴力を加えられた上に十分な食事も与えられていなかったという。死亡時の体重は同年代平均の約20キロを下回る12キロ。結愛ちゃんは母親の連れ子で、両容疑者の間に生まれた弟(1)と4人暮らしだった。東京地検は父親(33)と母親(26)の両容疑者を保護責任者遺棄致死罪で起訴している。
論点1:児相はなぜ一時保護をためらうのか
木村草太(以下、木村):今回の事件で「児相は何をやっているんだ」と、その責任を問うような意見を多く見ましたし、私もそう思ってしまう部分はあります。でも現在の制度や環境を前提にしたときに、もし自分が児相の職員だったとして、あれ以上の対応ができただろうかと思うと、精一杯な気もします。現在の制度でどういうところを改善していけばいいと思いますか。
山下敏雅(以下、山下):児相が一時保護したものの結局は家に帰したり、そもそも保護そのものに消極的という問題は昔からありました。児相は常に保護した後のことを考えているんですね。虐待などの疑いがある子どもは児相の判断で原則2カ月間の一時保護ができますが、保護したことで、「子どもを勝手に連れ去った」と主張する親との対立が深まり、継続的な支援ができなくなってしまう可能性もある。
出典:厚生労働省ホームページ
木村:一時保護所のルポを読むと、ここで生活させるのはかわいそうだと思ってしまうような施設もあります。施設の環境の悪さも児相が保護を躊躇する原因になりますよね。
山下:虐待の他にもさまざまな背景を持つ子どもたちが入所しているので、自分の持ち物を使うのにも許可が必要だったり厳しく管理されているところも多く、2度と行きたくないという子もいます。
虐待対応数の急増で、一時保護所によってはパンク状態で入れないことも。一時保護のための里親さんを増やすなど、対策を取るべきだと思います。
論点2:親子分離、立ち入り調査……強制力はどう使うべきか
撮影:岡田清孝
山下:児相が家に戻せないと判断した場合は、児童養護施設に入所させたり里親に委託したりすることになりますが、それには親権者の同意が必要です。
親権者が反対する場合は児相が家庭裁判所に申し立てをして承認を得る必要があり(児童福祉法28条)、このハードルは決して低くない。裁判官からは今後の親子関係をどう再構築していくつもりなのか厳しく追及されますし、申し立てが却下されれば親に「それ見たことか」と思われ信頼を失う。通ったら通ったで全く子どもに関わらなくなってしまう親もいます。児相はこの裁判所の判断から逆算して動くので、慎重にならざるを得ないんです。
そもそも今の制度は、児相が右手で子どもを引き離しながら左手で親に握手を求めているような状態で、無理がある。親子を分離する強制力を使うところと、家族の再統合やなぜ虐待が起きたのか背景を探りケアする相談機能を分ける必要があると思います。
撮影:今村拓馬
木村:目黒区の事件で品川の児相は家庭訪問をしていますが、母親に拒まれて子どもには会えませんでした。強制権限は濫用のリスクもありますが、強制立ち入り調査を行う場合の基準は今後の課題の一つだと思います。
山下:子どもの安否確認ができず、保護者が任意の立ち入り調査を拒否したり出頭要求に応じなかったりした場合は、裁判所の許可を得て警察の援助のもとに家の中に踏み込めるよう児童虐待防止法で2008年に制度化されました。
ですが、2008年度から2014年度までに実施されたのは8件だけ。その後2016年に要件が緩和され、使いやすくなっても劇的に増えているわけではない(編集部注:厚労省によると2016年度は1件、その後の統計はまだ発表していない)。やはり北風と太陽というか、信頼関係が崩れることを前提に踏み込むかどうか、現場はギリギリの判断をしているのだと思います。
木村:確かに、ドアを破って入って来た人と人間関係は築けないですよね。
児相が警察とどこまで情報を共有するかということも話題です。もし全件共有して「通報したら即座に警察沙汰になりますよ」ということになれば、通報を躊躇する人も出てくると考えられます。
山下:全件共有となると本人、親、親族からの相談にも影響があるでしょうし、今も個人情報保護と通告の必要性の間で苦慮している学校や教育委員会、保健所、民生委員など地域の機関も通告するかどうかさらに悩むようになるでしょう。現状でも犯罪の嫌疑があったり、先ほど話したように児相の強制立ち入り調査の際には警察が動きます。子どもが確認できないケースでは速やかに警察と情報共有することが必要ですが、全件まで共有する必要があるのかどうかは、慎重に議論した方がいいと思います。
論点3: 虐待親は悪魔か? 家族を支える仕組みづくり
撮影:岡田清孝
木村:親を責める風潮が強まり、とにかく介入しろ、親子を切り離せという対処法一辺倒になってしまうのも心配です。
虐待や、あるいはそれが疑われる親も悪魔のような存在というよりは、いろんな支援が欠けた結果、追い込まれているケースも多いと思います。例えばシングルマザー支援が十分でないために、暴力的な傾向がある男性にも頼らざるを得ない人もいるかもしれない。それに周囲から見てひどい親でも、子どもにとっては唯一の存在です。親子関係は修復できた方がいいというのが、児相や裁判所の根本的な方針と考えていいのでしょうか。
山下:そうですね。子どもにとって親は大切な存在です。虐待の背景にある親の孤立、貧困、メンタルなどの困難を解消しサポートすることで、できる限り子どもが家庭で養育されることが望ましいと考えていると思います。
また実父母だけでなく、ステップファミリー(どちらかに子どもがいて再婚して築かれる家族)もあります。継父・養父からの虐待というケースの場合は、生活面で頼っているために母親が守ってくれなかったりして、子どもはすごくつらい立場に置かれています。遡ると、母親が前の夫のDVから逃れるために離婚していたり、そのDVの原因としては人間関係の築き方を含めた性教育がなされていないことも大きい。
学生時代の性教育、シングルマザーの支援、離婚や再婚の際に子どもの意見が反映されること、そしてステップファミリーを形成するときに前のパートナーとの子どもを支える仕組みなど、虐待そのものへの対応だけでなく、家族を取り巻くさまざまな問題の改善が必要です。
警察庁によると、2015年の児童虐待事件の検挙件数は785件。身体的虐待が全体の約8割を占め、加害者は実父、養・継父等 を含む男性が約7割で、実母も約25%を占める。
厚生労働省はステップファミリーについて「家族の成育歴、夫婦関係などの情報が把握しづらい場合もあるため、より一層、情報把握及び虐待リスクの評価を慎重に行う」よう注意を促している。(「子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について」厚生労働省2017年)
論点4: なぜ虐待死の3分の1は心中なのか
出典:厚生労働省ホームページ
木村:虐待はいろんな支援の枠組みからこぼれて起きてしまっているときに起きる。
厚労省の統計によると2015年度の児童虐待による死亡事件のうち、約3分の1は心中です。生活苦からやむを得ず心中を選んだ人が多いと思われますから、憲法論や社会保障論でいうと、生存権保障がうまくいっていないケースが非常に多いということ。
私は生活保護基準引き下げの違憲訴訟に関わっているんですが、シングルマザーの支援をこんなに切り捨ててどうするんだろうと思います。2014年に千葉県銚子市でシングルマザーが無理心中を図って中学生の娘を殺害した事件がありました。これも虐待死ですが、経済的に追い込まれてのことで、母親は子どもを憎んでいたわけではありません。
生活保護バッシングは明らかに虐待に悪影響です。生活保護受給者も希望を持って生きていけるんだというメッセージを強く打ち出していくことが、虐待や心中を食い止めることにつながるかもしれない。
これから制度改革を考えていく中で、今回の結愛ちゃんのケース以外にもさまざまな虐待死があることに視野を広げる必要があります。
山下:本当にそう思います。児相に全く認知されずに亡くなっている子どもたちがいて、職員を増やせば解決するという問題でもない。子育て世代が困ったらどこに相談すればいいのかという情報を届けること、そしてSOSを出しやすい環境づくりが必要です。
厚生労働省によると、2015年度の虐待死は84人、うち心中によるものが32人。児童相談所の関与があったのは、心中以外の虐待死では16例(33.3%)、心中による虐待死では9例(37.5%)。 (厚労省「子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について」)
論点5: 子どもの人権を守るために、弁護士をどう活用すべきか
撮影:今村拓馬
木村:子どもの利益を第一に考えられる大人を増やすのも大切だと思います。2016年の児童福祉法改正で児相に弁護士を配置するよう規定されましたが、理想としては児相と子ども、それぞれを支援する弁護士がいた方がいいですよね。
山下:その通りです。実際、児相や関係者との会議では親や裁判所にどう対応するかという話に傾いて、子どもがどうしたいかという視点がスコンと抜けるときがあります。そんなときに子どもを主体として位置づけるのが私たち弁護士の役割です。子どもの成長や発達に応じた配慮のもと、どこで誰と暮らすことができるのかなど人生の選択肢に関する情報を伝え、意思決定をサポートし、それを他の大人に向かって代弁していく。そんな弁護士が、児相を支える弁護士とは別にいることが望ましいと思います。
児相の判断が遅かったり間違っていることがあるのも事実です。警察と情報を全件共有するよりむしろ、「親との関係が悪化してもここで踏み込んだ方がいい」など、児相の担当者が危機感を持って警察に要請を出せるよう、弁護士などの専門家がサポートできる体制を整えるべきです。弁護士だけでなく、精神科医や臨床心理士、警察OBなどさまざまな専門家の視点があると、よりいいと思います。
論点6:子育てを孤立させないために私たちは何ができるか
撮影:岡田清孝
木村:今は虐待が起きた後でどう対処するかということに注目が集まっていますが、もっと手前の段階で親や子どもをサポートするためにできることがたくさんあるはずです。
子どもに関わる仕事は児相に限らず、もっとリソースを割くべきですよね。学校の先生は本業の授業の他に、運動会や文化祭の準備、生活指導に部活の顧問にと多忙ですが、仕事を軽減して、虐待など何か問題が発生したときに関係機関につなぐなど、しっかり対応できるような余裕を持てるようにした方がいい。保育士や幼稚園教諭もそう。今のように「この仕事ならこの人数でできるでしょ」と無理な配分をしていると、緊急時に対応できなくなってしまいます。
山下:親も不完全でいいんだという認識を共有して、子育て世代を孤立させないことも重要です。
周囲のサポートは得られないのに「子育てはこうあるべき」という社会の目ばかりが厳しくなり、そのプレッシャーが子どもに虐待というかたちで向いてしまっている傾向をすごく感じます。これは貧困家庭に限ったことではありません。
親が子どもに「こう育ってほしい」と思うのは愛情です。でも愛情と虐待は紙一重。これまで“しつけ”と呼ばれてきたものの中にも虐待はあるという認識が広まってきて、みんなが不安を抱えて子育てをしているのが日本の現状だと思います。
重篤な虐待のケースは警察が介入すべきですが、一方で、福祉の網からこぼれたり、理想に追い詰められたりして綱渡りしているようなケースは、社会全体でサポートする体制をつくっていくべきです。
木村草太(きむら・そうた):東京大学法学部卒業後、同助手を経て、首都大学東京法学系教授。専攻は憲法学。著書に『自衛隊と憲法』『憲法という希望』などがある。
山下敏雅(やました・としまさ):弁護士。児童虐待、少年事件、学校問題などの子どもの事件のほか、過労死・労災事件、LGBT支援などに取り組む。ブログ「どうなってるんだろう? 子どもの法律」