会社を辞め順風満帆だった僕がなぜ「生きてる価値がない」と思い詰めたのか。そしてうつを抜けるまで

リクルートを退社して、2017年1月に複業研究家として独立した西村創一朗さん(30)。フリーになった後も、人事コンサルタントやメディア出演の仕事も順調に入り順風満帆、のはずだった。Business Insider Japanでも複業を実践する同世代との対談を担当してもらっていた。

だが、順調だったはずの生活が一変したのが半年前。心身ともに暗いトンネルに入ってしまった。なぜリズムが崩れたのか。そしてどうやってその暗闇から抜け出したのか。この半年を振り返ってもらった。

電車を待つビジネスパーソン

人生には誰しも、トンネルの時期があるのかもしれない。そこを抜けて、再び歩き出す術とは。

撮影:今村拓馬

仕事も私生活も完全なキャパオーバーだ—— 。

2017年10月、ラスベガスで開かれたHRテックカンファレンスへの出張から帰国した僕は心身ともに、限界を迎えつつありました。

出張前から続いていた、仕事を詰め込みすぎのオーバーワーク状態のさなか、長女(当時1歳)が熱性けいれんを起こして入院してしまったのです。

妻と交代で、看護や通院の付き添いを続ける一方、元気いっぱいの長男次男の世話も必要です。そんな中で目一杯詰め込んだ仕事をこなしていくことは実質、困難になり、雪だるま式にさらに仕事が溜まっていきます。体力も精神も次第に、削られていきました。さらに今度は、妻も体調を崩してしまった。

20代最後の年の秋、僕はこれまでの人生で経験したことがないほど、参ってしまいました。

底知れない「将来不安」で眠れない

複業研究家の西村創一朗さん

複業研究家の西村創一朗さん。

撮影:今村拓馬

そもそもの発端は、勤めていたリクルートキャリアを退職し、複業研究家・人事コンサルタントとして独立した2017年1月にさかのぼります。

満を持しての独立、のはずでした。起業家の皆さんと交流する中で、起業・独立がアップサイドもダウンサイドもあるという点は理解していたつもりです。

だからこそリクルート時代から「複業」を始め、複業がある程度軌道に乗ってきた段階で、独立するという方法を取ったわけです。

コンサルとしてのクライアントワークや執筆、イベント登壇など安定的に多方面の方から仕事の依頼をもらい、会社員としての報酬と同じくらいという、想定していたより多くの収益も上げられていました。

一方で、目の前の仕事がどんなに順調でも、底知れない「将来への不安」が片時も頭を離れなかったのは事実です。

果たして5年後、10年後、今と同じように仕事はもらえているのだろうか。世の中の変化に対応しきれなくなるのではないか。父親としての責任感もあります。3人の子どもを、大学まで満足に通わせられるだろうか。購入した自宅の35年ローンは、返済しきれるだろうか —— 。

あれこれ考えてしまい、眠れない夜がありました。

満員状態の仕事がみるみるうちに…

そうすると、何が起こるか。不安のあまり、利益が伴わない仕事も含め、依頼があったら何でも引き受けるという状態になっていったのです。

仕事量が自分のキャパシティーを超える「満員電車状態」が、2017年3〜4月頃には常態化。「週休3日」を掲げつつも「仕事を一切しない日」は1日もなく、バッファが全く確保できていなかったのです。

家族旅行などで数日仕事をセーブすると、その分のしわ寄せが後で一気に来て、3週間ほどを2〜3時間睡眠で乗り切ったこともありました。「これはまずいな」と思いつつ、そうやって走り続ける状況を、自力では抜け出すことができなくなっていたと思います。

そんな中で、ラスベガス出張帰りの家族の病気です。

帰国してすぐの僕は、政府会議出席にイベント登壇、テレビの生出演と、時差ボケも治らないまま気の張る仕事が立て込んでいました。そこに看護と子どもの世話がのしかかり、週に3本は書いていた原稿の納期が大幅に遅れるなど、取引先に迷惑をかけることが増えてしまったのです。

当然ですが、契約を打ち切られるケースも出てきました。みるみるうちに収益も減っていきました。正直、怖かった。

誰の役にも立てない自分は「生きる価値がない」

2018年に差し掛かる頃には、娘と妻の体調は回復に向かっていきましたが、反対に僕はボロボロになっていました。年始に妻の実家の両親も交えて、家族で小田原に温泉旅行へ行った時のことをよく覚えています。いつも通りに「旅行代は僕が払う」と言ったのに、妻の両親に頑なに遠慮されてしまった。これまでは自然に振られていた仕事の話も、一切話題に出ませんでした。

気を遣われているのが情けなくて、申し訳なくて、しかたありませんでした。

ビジネス街のビジネスパーソン

「消えてしまいたい」と思った時に、回復する力をくれたものとは。

撮影:今村拓馬

2018年2〜3月頃の僕はただただ、「消えてしまいたい」と、毎日思っていました。誰かの役に立っていたい、社会に価値を提供したい。そんな気持ちが人一倍強かったからこそ、そうなれていない自分が許せなくて、「生きている価値がない」と思いました。

僕が死んでしまえば、住宅ローンの返済義務はなくなるよな。でも、もし自殺してしまったら、子どもには一生、しこりを残してしまうだろう。自殺はできないが、生きているのも辛い。存在をフッと消せる方法ってないだろうか——。

ひたすらそんなことを考えて、1990年代に話題になった『完全自殺マニュアル』(鶴見済著)を真剣に読みふけったりもしていました。

今になって、知人や友人から「どうして相談してくれなかったのか」とも言われます。でも当時の僕に、その選択肢はなかった。娘や妻が体を壊してしまったことも含め、他人に相談したところで解決策は見つからないと思ったからです。相談の「生産性の低さ」を思い、結局は自分が頑張るしかないんだ、と思い込んでいました。

「帰ってきてくれてよかった」

そして2018年4月に入る頃、とうとうストレス性の胃潰瘍を発症し、手術のため入院することになりました。同時に初めて心療内科にかかり、うつ病の診断が下りました。医師からは「ちゃんと休め」と強く勧められました。

そういう状態でもなんとか続けていた、いくつかの仕事も完全に止めて、ようやく休むことに専念しました。

中途半端に仕事をすることも、SNSを見ることもやめました。そのおかげで、1カ月ほどかけて、徐々に心身とも健全な状態に戻すことができたのです。

休息と医師による治療は回復する上で重要だったのは間違いありません。ですが、一番大きかったのは「生きているだけでいいよ」「また一緒に仕事しよう」と、周囲の人たちに言ってもらえたことです。

心身が快復してきたゴールデンウィーク明けから、連絡を取らなくなってしまっていた仕事先や知人たちを一人ひとり訪ねて、お詫びをしました。

「誰の役にも立っていない自分」を許せず、気まずくて、後ろめたくて、音信不通になっていた。それなのに誰一人、そんな僕を非難せずに「帰ってきてくれてよかった」と、言ってもらえたのです。

そうやって「生きていていいんだ」と承認されたことで、再びエナジャイズされるのを、ありありと感じました。

そうして6月は、通常通りに仕事をこなすことができ、復活できたと手応えを感じました。

暗く、長いトンネルを抜けて

携え合う手

他人に弱さをさらけ出して甘えられる人は強いと西村さんは言います(写真はイメージです)。

Getty Images

6月30日、暗く長いトンネルを抜けた僕は、無事に30歳の誕生日を迎えました。今振り返ってみると、20代最後の1年のあの時期は「通るべきトンネル」だったと思います。

以前の僕は「一本杉」みたいでした。一見強そうだけれど、強風にさらされるとポキッと折れてしまうような。今の僕は、風に吹かれてもしなるけれど折れない、「柳」のような自分に脱皮できたという実感があります。

人は誰でも、時にトンネルに入る局面があるのではないでしょうか。いわば、人生の根底を揺らがす地震が到来するような。

そんなとき「地震が起きても壊れない頑強な建物を造ろう」とするのではなく、揺れの影響を最小限に抑える「免震構造」をつくっておくことが助けになるのではないかと思っています。

最後に僕の経験から、そうした人生の「免震構造」をつくるための5つの方法を紹介したいと思います。

一、「giveの精神」と「価値観の発信」で仲間をつくる
どうしたら相手の役に立てるかを考え実践し、自分の価値観を発信することで、応援してくれる人たちが増え、きっと力になってくれます。

一、甘える力を身に付ける
「嫌われたらどうしよう」とか「かっこ悪い自分は見せたくない」とか、そういった感情を抜きにして、弱さをさらけ出す力は重要です。甘えられる人は「強い」です。

一、バッファを設けて仕事をする
自分のキャパシティーに対して、常に100%、120%になってしまうと、スタックされた仕事が「負債化」してしまう。リカバリーするための時間や体力を確保しておくべきです。

一、「休み方改革」をする
休日なのに仕事のメールやFacebookを気にしていると、実質休めていません。調子が悪いと思ったら、躊躇なく「休むと決める」ことが重要です。

一、自分の時間の使い方の癖を知る
僕の場合は、興味の幅が広く「やりたいこと」を「やるべきこと」より優先してしまう癖があるので、「やりたいことをする時間は全体の20%まで」というルールを自分に課しました。


西村創一朗:複業研究家、HARES・CEO。2011年リクルートエージェント(当時)で中途採用支援、人事・採用担当を経験。2015年に複業の普及や育児と仕事の両立を目指すHARESを設立。会社員との兼業期間を経て、2017年に独立。

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