本好きの祖父、娘、孫娘と3代にわたって通う常連家族も。80代から小学生まで客層は広い。
橙書店提供
コットンのスカートとカットソーにビーサンをひっかけて、いつもの姿で田尻久子は現れた。7月の夕方、荻窪の小さな書店・Titleで、トークセッションが始まろうとしている。
ふだんは熊本城のふもとにある繁華街の小さな書店が彼女の持ち場だ。古いビルの2階の橙書店では、風がよく通る窓際で珈琲を飲むこともできる。
村上春樹、池澤夏樹、谷川俊太郎、柴田元幸、黒田征太郎など、多くの読者を持つ表現者たちが、橙書店で朗読会やトークイベントをやりたいばかりに熊本を訪れる。
作家自ら「行くから」「やりたい」
田尻が編集長を務める文芸誌『アルテリ』。初版は売り切れのため増刷した。8月15日発売予定の6号・石牟礼道子追悼号には渡辺京二が50枚もの大作を寄せている。
橙書店は、文芸誌『アルテリ』の編集室でもある。田尻が編集長を務める『アルテリ』には思想史家・渡辺京二をはじめ、伊藤比呂美、坂口恭平、吉本由美など、熊本在住の作家を中心に同時代の書き手たちが寄稿する。石牟礼道子の未発表の詩を若い頃の写真とともに掲載するなど、石牟礼作品を新しい視点で切り出し、次世代の読者へ橋渡しをしてきた。
読者の本離れやオンラインショッピングサイトの影響で、経営難により閉店する書店が全国で相次ぐ。書店側はカフェを併設したり、作家のトークイベントを開くなど、店に足を運ぶ読者を増やす工夫を重ねる。
田尻のもとには周囲から、「どうやったらあの作家を呼べますか?」という質問も寄せられるというが、自分から提案したものはないのだと困ったような顔をした。作家が自ら「やりたい」「行くから」と、連絡をしてくるのだという。
「見事に弱者の本ばかり並んでいるよね」
始まりは路地裏の喫茶店だった。
2001年、大きなアーケード街脇のバラックの刺繍屋を借り受けた。32歳のその年まで、似合わないピンクの制服を着て会社勤めをしていたという。
開業資金は銀行に借金した。ピカピカしたものはないがぬくもりのある空間で、美味しいコーヒーと、軽食を少し。店の一角に雑貨と本を数冊並べて売っていた。本は子どもの頃から好きだった。
田尻を“見つけた”のは詩人の伊藤比呂美と出版社、SWITCHパブリッシングの新井敏記。熊本文学館の職員に連れられて田尻の喫茶店にやってきたふたりは、短い会話で同類の匂いを察知し、伊藤は主宰する熊本文学隊という活動に田尻を誘い、有無を言わせず店を事務局にしてしまった。
あるとき隣が空き店舗になり、喫茶店の常連に「本屋、やってよ」と言われて、本気になった。借金を増やして1カ月後に橙書店を開いた。2008年2月のことだ。
古い木材を組み合わせた書棚には自分で選び、買い取った本が並ぶ。自ずと棚には田尻の内面が現れる。
「見事に弱者の本ばかりが並んでいるよね」
と言ったのは、写真家の川内倫子だ。
弱者の本とは、弱っている人のための本という意味だという。
川内は、阿蘇に撮影に通っていた頃に偶然、田尻の喫茶店に入って以来、10年の付き合いになる。そのとき川内は、解決しなければならない問題を抱え弱っていた。
「あの人は書かなくてはならない人」
ビーサンからはマメのないすんなりとした足指がのぞいた。窮屈なヒールとは無縁の生活。
伊藤も新井も川内も、書店を開く前に出会っている。喫茶店主としての田尻には、すでに作家が信頼する何かがあった。
坂口恭平は鬱の時期にならない限り、毎日橙書店にやってきて原稿を書き、田尻に向かって朗読する。鬱になると、家で苦しみながら書き、鬱が明けるとケータイで田尻に向かって読み上げる。坂口の原稿を最初に読むのは編集者ではない。『家族の哲学』以後、坂口は原稿のほとんど全てを橙書店で書かれた。
あの人は書かなくてはならない人。なぜなら、彼の書いたもので救われる人がいるから。田尻が坂口についてこう言ったことがある。坂口が田尻に支えられて物語を書くように、熊本では長らく石牟礼道子を思想史家・渡辺京二が同志として支えた。
橙書店が熊本の作家たちの場所となり、ゆるやかなつながりが育った。
2016年2月、渡辺の発案で『アルテリ』が誕生した。渡辺は「あなたは何もしなくていいから」と田尻を口説いて橙書店を編集室にしたというが、ゼロから形にするにあたっては、田尻と地元紙記者のふたりが執筆を依頼し、原稿を集め、まとめあげた。渡辺は確信犯だったのである。
創刊号の表紙はトタン屋根の写真だ。
「私たちらしいなと思って」と田尻が言った。路地裏のバラックから始まった書店のシンボルだ。
1980年代、この路地裏には元新聞記者で下着デザイナーの鴨居羊子のブランドを取り扱うランジェリーショップや、NYで修業したモード系のデザイナーのブティックがあった。 新価値が創造された反骨の路地裏で、橙書店は生まれた。
2号の編集作業に入ろうというとき、熊本地震が起きた。店の再建の傍ら、田尻は黙々と編集作業を行い、予定通りに出版される頃にはすっかり痩せてしまった。そうして刷り上がった2号の表紙を飾ったのは黒田征太郎の絵はがきだ。黒田は地震直後から田尻に自筆の絵はがきを送り続け、励ました。
声の小さな人の側に立って
『アルテリ』に掲載された田尻のエッセイを読んで熊本まで訪ねてきた編集者に押し切られるように、書き始めた。途中、地震や店の引っ越しなどで中断しながらも書き溜めた原稿が、『猫はしっぽでしゃべる』(ナナロク社)だ。 目次には「路地裏の猫」「団地」「錆びたトタン」など、やはり弱い者に寄ったタイトルが並ぶ。頭の中は書棚にも書くものにも現れる。
田尻さんのエッセイ集『猫はしっぽでしゃべる』(ナナロク社)。
文章からは、本を読む少女だった田尻が立ち上がる。ふたりの姉と弟に挟まれた三女は、大家族での団地住まいで本を読むひとりの時間を通して、物語の世界にどんどん入っていた。
祖父の家の近くの小さな書店や移動図書館が好きだった少女は、小学生の一時期、ルナールの『にんじん』を愛読した。大勢の中で孤独感を覚えるのは決しておかしなことではないと思えたのは、『にんじん』のおかげだという。
家族にいつも日だまりがあったわけではなかったことがなんとなく読み取れるのだが、そうした痛みを知っていることも、田尻が「読む少女」だったこととどこかつながっているように思える。
常連客、元スタッフ、 路地裏で働く男たち。登場人物はほとんど全員が無名の人たちである。声の小さな人の側に立つことが自分にとっては当たり前だからと、田尻は控えめに言った。
広々とした窓に向かってのひとり席
文学に救われ、物語の力を信じる田尻は、弱者のための本を選び続ける。 「弱い人のために文学は存在するわけだから」という。 自己啓発系やハウツーの本は1冊もない。料理書さえも、料理家自身が現れる文章と写真が主役の本しか置かない。
朝食のとき、運転の信号待ちのとき、歯磨きをするとき、田尻は細切れの時間に本を読む。いつも数冊を併行して読んでいる。
恋人に贈る本を選んでほしいと若者から頼まれたり、常連から「今日のお薦めは?」と聞かれたりするとき、ちょっとした会話から奨めたい本が頭に浮かぶという。
伊藤は『哲学者とオオカミ』(マーク=ローランズ)、川内は『おわりの雪』(ユベール=マンガレリ)が、田尻の奨めで読んだ忘れられない1冊だ。
「弱い人を見つけるセンサーがすごい」
川内は田尻の特徴をこうとらえた。
声の小さな人の物語を書く作家たちは、だから田尻に会いに熊本に行く。
常連は、ひとりで訪れる客がほとんどだ。カメラマン、美術家、教員など、職業はさまざまだが、教員でも訪れるのは体制に違和感を持つ人。
愛想のいい店主ではない。代わりに、どんな本を好むのか、窓際でどのように過ごしたいのか、ひとりひとりの客をさりげなくよく見ている。
地震後、路地裏から徒歩数分の古いビルに移転する際、広々とした窓に向かってひとり席を多くつくった。
カウンター席もある。田尻に打ち明けたいことがあるとき、常連客はカウンターに座る。
書く側に回ることは考えもしなかったというが、すでに第2作の出版が決まっている。『SWITCH』では川内倫子と組んでの連載が始まった。
田尻は滅多に熊本から動かない。
昨年『アルテリ』がサントリー地域文化賞を受賞し、16年ぶりに東京を訪れているが、表彰式に出席するととんぼ返りで熊本の店に戻った。
今回、荻窪でのトークセッションはエッセイ集の出版を祝って企画された。ホストを務めたTitle店主の辻山良雄は『アルテリ』を創刊号から取り扱う。辻山と田尻は町の書店を守る仲間だ。
熊本地震のあと、町の変化は加速した。書店の展望を尋ねた辻山に、田尻はこう応じた。
「空き地が増えて空白が広がると、町の記憶が薄くなってしまいます。そんな中で、 変わらずにあり続ける場所を絶やさずにいたい」
弱ったときにそっと迎えてくれる小さな書店のある町は豊かである。(敬称略)
(文・三宅玲子、写真・岡田清孝)
三宅玲子:ノンフィクションライター。熊本県生まれ。「人物と世の中」をテーマに取材。2009〜14年北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルブログ「BillionBeats」を運営。