ITベンチャーが目を向けるべき「イグジット」の厳しい現実 —— 売ったが勝ちと考えていませんか

ソフトバンク孫正義会長

日本の「M&Aの雄」と言えばやはりソフトバンクだろう。ボーダフォン日本法人、英アーム、米スプリント……百戦錬磨の孫正義氏ですら、その全てを順風満帆に成功させてきたわけではない。

REUTERS/Toru Hanai

大手企業によるベンチャー企業の買収が増加している。

2018年7月11日には、最大規模の料理レシピ動画サービス「kurashiru(クラシル)」を運営するdelyをヤフーが連結子会社化すると発表した。また、スマホ家庭教師サービス「manabo(マナボ)」が駿台グループのSATTに、ITスタートアップメディア「THE BRIDGE」がプレスリリース配信サービスのPR TIMESに事業譲渡している。

M&A(合併・買収)調査会社のレコフデータによると、2017年に日本企業が関係したM&Aは3050件。小泉政権下の好景気で記録した2006年の2775件を超え、過去最多となった。業界別では、IT業界のM&A件数が734件と、ITベンチャーブームだった2006年の415件に比べ1.8倍に増えた

ベンチャー企業の「出口戦略」の変化

IT業界におけるM&Aの増加傾向の理由としてはまず、日本のベンチャー企業においてM&Aが一般化してきたことが挙げられる。2017年の新規株式公開(IPO)件数は91社。2000〜01年に起きたIPOブーム時の半分に減り、代わりにイグジット(出口戦略)としてのM&Aが注目を浴びるようになった。

また、新規事業を自前で始めるより、ベンチャー企業を買収した方が迅速で効率的なビジネス展開につながるというシリコンバレー流の考え方が、日本の大手企業に広まってきたことも要因として挙げておきたい。

大手企業の最高財務責任者(CFO)にヒアリングすると、日銀の超低金利政策の影響で、買収時の資金として借り入れるLBO(レバレッジド・バイアウト)ローンの金利は足もとで0.9%台まで減少しており、言ってみれば「タダ同然」で資金を調達できるという。そうした状況下では、(スピードも含め)新規事業を立ち上げるコストの方が高くつくこともあるだろう。

筆者がコンサルタントを務める大手企業の幹部は、「新規事業の提案をしてほしいと社内に呼びかけているが、現場からもマネジメントからもなかなか良い提案が出てこない。だからと言って手をこまねいているわけにはいかない。M&Aも積極的に検討したいのでぜひ提案してほしい」と言う。大手からのこうした依頼は、筆者の手もとだけでも月数本は寄せられる。

買収した後に「放置」する失敗例

インスタグラム

フェイスブックは2012年に当時まだ社員13人、売上高もほぼゼロだったインスタグラムに約10億ドルを投じた。疑問視された大型買収案件だったが、その結果は……5年後に日本で「インスタ映え」が流行語大賞を獲得するほどの企業価値を生み出した(M&Aの事例、本文とは直接関係しません)。

Justin Sullivan/Getty Images

そして、M&Aのニーズが増えるにつれ、それに失敗した場合の相談も増えてきている。

以下では、筆者が実際に見聞きしたM&Aにおける失敗事例を共有することで、M&Aを検討されている方々に「有効な経営戦略ではあるが、すぐに大きな成果につながるようなカンフル剤ではない」という甘くない現実を知っていただければと思う。

まず、買収する側が買収された側を「放置」したことで起きた失敗例を紹介しよう。

大手企業A社は3年前、事業領域を広げるため、人材紹介事業を手がけるベンチャー企業B社を買収した。A社の得意領域は人材派遣サービスで、人材紹介は門外漢。Web広告やWebサイトを活用して人材を集めて人材紹介につなげるそのビジネスモデルは、人工(にんく)が重要な人材派遣とは異なり、今後の成長が見込まれると考えての買収だった。

ところが、3年前には最先端だったそのビジネスモデルも、その後同様の参入が相次ぎ、B社単独では競争力を発揮できなくなってしまった。その間、A社は「ビジネスモデルや人材像が異なる」ことを理由に、B社に対して人材や資金などのリソース提供やマネジメントを行わなかった。

B社はその後も業績低下を止められず、A社グループでも窓際の企業となっていく。そして最終的に、A社は多額の減損処理を強いられることになったのである。

買収後の「統合プロセス」を欠いた失敗例

日経新聞

2015年、日本経済新聞は英ファイナンシャル・タイムズを13億ドルという巨額を投じて買収した。その判断は正しかったのか、買収後の統合プロセスは適切だったのか、これから問われることになるだろう(M&Aの事例、本文とは直接関係しません)。

Christopher Jue/Getty Images

次に、買収する側もされる側も、買収成立後の統合プロセスである「PMI(ポスト・マージャー・インテグレーション)」の重要性を軽視あるいは無視した失敗例

ベンチャー企業C社は、社内外の人材を活用して、ある分野のユーザーに特化した情報をWEBサイトに掲載するキュレーション型のビジネスを展開し、急成長を遂げていた。同社のオーナーはさまざまな事業を手がけていたため、出口戦略として株式公開ではなく事業売却を望んでいた。そこで、C社のオーナーは4社と交渉を行い、中でも最高の譲渡金額を提示した老舗WebサービスD社への譲渡を決めた。

C社のオーナーは希望するイグジットに成功したわけだが、実はC社の従業員とD社の従業員のカルチャーは大きく異なっていて、事業を統合した後、Web記事の執筆方法や組織体制の方向性をめぐって食い違いが目立つようになった。

本来であれば、C社のオーナーがD社と交渉を行いPMIを進めていくのが一般的だが、C社がオーナー一極体制から解消することを優先し、D社はオーナーを早期に切り捨ててしまった。その結果、C社のプロデューサーはD社から出向してきた若手が占め、もともとC社で活躍していた優秀なディレクターやライターたちは方向性の違いを解消できず次々と会社を去り、最終的にC社のキュレーション型ビジネスは閉鎖に追いやられてしまった。

「目線感」のズレが生んだ悲劇

武田薬品工業のシャイアー買収

国内製薬最大手の武田製薬工業は、アイルランドの製薬大手シャイアーを約460億ポンドで買収した。国内企業による買収案件としては過去最高額。今後の統合プロセスに注目が集まる(M&Aの事例、本文とは直接関係しません)。

REUTERS/Kim Kyung-Hoon

最後の失敗例は、買収される側によくある「目線感のズレ」から起きるものだ。

E社はITソフトのパッケージサービスを手がける企業で、事業成績がきわめて好調なことから、大手IT企業F社が買収を検討していた。そこで、あるコンサルタントがF社の代理として、E社買収の下交渉に着手した。

E社は売上高こそ大きいものの、業績はここ数年横ばいで推移しており、利益率もあまり高くないため、企業価値はさほど期待できないとコンサルは判断した。ところが、E社は新規事業をスタートすることを根拠に、大きな成長曲線を描く事業計画を用意していて、オーナーの目線感は非常に高かった。

コンサルはE社のオーナーに(期待しているような)企業価値での売却は容易ではないことを伝えた上で、大手F社との面談をセッティングし、本交渉をスタートした。ところが同時期、偶然にもE社オーナーの友人が高額での事業売却に成功したことから、E社オーナーの目線感はさらに高まり、結果としてE社とF社の交渉は破断に終わった。

その数カ月後、E社のライバル企業がIPOを果たし、E社の優秀な人材を引き抜いた。軌を一にするようにE社の業績は下降曲線をたどり、企業価値はコンサルが当初算定した3分の1以下まで落ち込んだ。F社との交渉で売却を決めていれば、3倍の価値になっていたわけだ。

「買収後」「譲渡後」を軽視すると痛い目に

ディープマインド

グーグルは2014年、4億ドルを投じてイギリスのベンチャー企業、ディープマインド・テクノロジーを買収。世界を代表する人工知能開発企業として、今もその一挙手一投足に注目が集まるほど大きな存在感を放つ(M&Aの事例、本文とは直接関係しません)。

REUTERS/Kim Hong-Ji

上で紹介した失敗例から学べるのは、当事者になると、M&Aの教科書に出てくるような「シナジーの重要性」を忘れてしまいがちだということ。それに、買収(譲渡)金額やコントロールといった、ある意味で表面的な要素を重視するM&Aは失敗しやすいということである。

近年の状況を見ると、買収される側の方が立場が強いことから、資金が必要な若手経営者は金額交渉をメインにしがちだ。しかし、本当に重要なのは、統合後の会社がきちんと続いていくのか、従業員や取引先が満足できるM&Aなのか、ということである。大手企業に譲渡したはいいが、その後会社がボロボロになってしまっては、経営者としてのブランドに傷がつくことになる。

とはいえ、このような失敗(時に大失敗)を繰り返しながらも、日本企業のM&Aは増加していくだろう。現時点では、海外企業による日本企業のM&Aはまだまだ少ないが、今後は海外並みに増えると思われる。もちろん、ベンチャー業界にもその波は押し寄せる。

筆者は、現在の日本のM&A市場は1980年代のアメリカと同水準にあると考えている。法整備もマインドも徐々にM&Aに有利な方向に進んでいるが、実績で見るとまだまだこれからである。アメリカ企業がそうだったように、日本企業も大きな成功と失敗を繰り返しながら、海外並みのM&A大国への道を歩むのではないか。


森泰一郎(もり・たいいちろう):森経営コンサルティング代表。東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。戦略コンサルティングファームを経て、ITベンチャー企業にて経営企画マネージャーを担当。M&Aや経営企画、事業企画、業務改善に従事。中堅企業にて取締役CSOとして経営企画と戦略人事、新規事業開発を担当。現在は大手上場企業から中堅・中小ベンチャー企業まで、成長戦略の立案、M&Aコンサルティングを行う。

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