くまモンの生みの親でもある小山薫堂は、熊本地震からの復興に深くかかわってきた。
今村拓馬
熊本地震から1年。
2010年より熊本県のアドバイザーを務め、くまモンの生みの親である放送作家・小山薫堂は、この1年、さまざまな形で熊本支援を行ってきた。 その小山が「地震は追い風」と言い切る。なぜ小山はあえて「追い風」というのだろうか。
4月1日、熊本で「くまもとグルメツーリズム」という企画が始まった。日本料理の村田吉弘、フレンチの三国清三、中華の脇屋友詞、イタリアンの落合務、九州代表として上柿元勝。これら5人の有名シェフをはじめ、料理人たちと協力して熊本の食材を使った料理を提供する。第1弾は県産魚介類や辛子れんこんなどを使ったお花見弁当だった。
「村田さんが『この顔ぶれはすごい』と。料理界は上から下(若手)に向かって一声かけると業界全体が動くそうで、各ジャンルのトップがこんなにそろったので、みんな動きますよと。地震そのものは逆風ですが、こんなすごい料理人が熊本に集まったのは、地震のおかげなんですよね。地震という追い風がなかったらこんなふうに料理界のトップが熊本にそろうことはありませんでした」
4月末からは、予約制で観光客を乗せておいしい店巡りと観光をセットにしたグルメタクシーツアーの企画が始まる。
たった1台のグルメタクシーの屋根にはフォークとナイフを握ったくまモンの行灯が乗っかっている。この特別仕様のタクシーで巡る、究極の卵かけごはんを食べに行くコース、地元の人に混じっての通の馬肉ツアーなど、これまでになかった熊本の楽しくて驚きのつまったグルメ観光ツアーだ。一見不幸だと思いがちな出来事を前向きに捉えることで新しいチャンスにしてしまおうという考えは、「人は知らず知らずのうちに最良の人生を選択しながら生きている」という、小山が父から受け継いだ人生のモットーにも通じる。
だが、熊本地震直後には人の善意や前向きな力を牽制する「不謹慎」という言葉が飛び交った。「地震を追い風に」は、受け取る人によっては反発されかねない。ところが、小山は心配していなかった。
「みんなが後ろ向きになる必要はない」
「僕が知る限りでは悪く受け取る人は全然いませんね。むしろ気持ちを奮い立たせていますし、熊本の人たちの状況に立ち向かう団結力も強まっています。ただ、今なお仮設住宅にいらっしゃる方たちにとっては受け入れにくい、という気持ちもあるかもしれません。それぞれの立場によって追い風と捉える人がいてもいいと思いますし、一方で、地震に傷ついて心にひっかかるものを持ち続けている方がいらっしゃるのもわかります。そういう方たちにも心を寄せつつ、でも、みんなが後ろ向きになる必要はないと僕は思います」
熊本地震直後の2016年4月、小山は熊本の子どもたちを支援する プロジェクト「FOR KUMAMOTO PROJECT (以下FKP)」を立ち上げた。昨年はスポーツ選手、声優、パティシエ、作曲家など多彩な著名人による出前授業「くまモン夢学校」を、県内の小学校や中学校で展開した。もちろん、授業にはくまモンも参加する。
「くまモンを使えるのは、僕ならではの支援の仕方ですよね。地震直後、いろんな人たちが何か役に立ちたいと思った結果、モノが溢れる状態になってかえって現場が混乱するだろうというのは、東日本大震災の経験から予測できました。だったら、ちょっと落ち着いた頃に、くまモンを使ってモノではなく子どもたちのケアを中心に考えたいと思いました」
「先生」のトップバッターは、プロサッカーの香川真司だった。2016年5月23日に熊本市内の小学校を訪れた香川は、自らも1995年に阪神淡路大震災で被災している。5歳だった当時、幼稚園に激励にきた三浦知良のプレイに感動して、プロサッカー選手を目指した。その日、香川と一緒にサッカーをした小学5年生の中には、興奮のあまり言葉に詰まる子どももいた。
「くまモン夢学校」に最初に駆けつけた「先生」は、香川真司選手だった。
FOR KUMAMOTO PROJECT提供
地震のおかげでいいこともあった ―― 。参加する子どもたちには物事をそんなふうに前向きに捉えられるようになってほしいと願っての「くまモン夢学校」を企画。子どもたちは、小山が願った以上に喜んだ。7月にパティシエの小山進を小学校に招いた時は、参加した小学生やサポートのために参加していた高校生の中に、将来はパティシエを目指している子が何人かいた。
放送作家デビュー以来30年を超える小山のもとには地震直後より芸能関係者や文化人から「熊本のために役立ちたい」との申し出が集まった。小山はそうした人たちの厚意をいかに無駄にせず効果的に形にするかにアイデアを巡らせる。
その一方で、「くまモン夢学校」は、著名人による「追い風」を中心にはしないつもりだという。むしろ、地元の大人たちが先生役になって教える場をつくっていきたいと考えていた。
「一流の人に触れたことで人生が変わる人って、ほんのひと握りの天才。それもできた方がいいとは思うんですけど、それだけじゃなくて、本当は地元の大人たちが子どもたちに教えることを通して、大人たちが大事なことに気づく、という仕組みにしたいんです」
――具体的にはどういうことでしょう。
「僕の叔父が熊本市内で長年パン屋をしていたんですが、地震で焼き釜が壊れて、しばらく店を閉めてたんです。陽気な叔父が、仕事をしないことで不安や寂しさを感じているとしたら、それはもったいないと。店を閉めている間に、パン教室で子どもたちにパンの焼き方を教えたら、きっと子どもたちはパンづくりっておもしろいなあと思う。ひとりくらいは、パン職人っていいなあと思うかもしれない。 いちばん大事なことは、地震で仕事を失った大人が、子どもたちに教えることによって、仕事の喜びや尊さ、やりがいに気づく、あるいは新しい何かを見つけることになったらいいなあと思うんです」
――それをFKPでどのように組み立てますか。
「パン屋さんとかお豆腐屋さんとか、地元の大人たちが先生になる場をFKPがつくる。そのために、くまモンという存在は大きい。くまモン夢学校というフレームがあれば、子どもたちは、ああ、応募してみよう、と思うでしょう。地元の大人が先生になる『くまモン夢学校』は、今年ぜひやりたいことです」
「熊本ってすごいね、と言われたい」
今でこそ圧倒的な存在感で愛されるくまモンだが、九州新幹線開通に合わせて誕生した2011年当時は、無名のただの黒い着ぐるみだった。ここまで愛される土台をつくったのは、担当部署の県職員やスタッフだ。彼らが行く先々でくまモンと土地の人たちの交わりに丁寧に関わり続けてきたことに尽きる。そんな奮闘する県職員やスタッフの精神的支柱として、小山はスローガン「くまもとサプライズ」をつくった。「くまもとサプライズ」とは、「県民が県のよさを自分たちで見つけていこう」という気風を育てようという憲法のようなものだ。
「くまもとサプライズ」も、大人たちが仕事の喜びや尊さに気づくきっかけをめざす「くまモン夢学校」も、自分たちの目の前にあるものの本当の価値を自分たちで見つけ直すという点が共通している。
――熊本復興のゴールのイメージを教えてください。
「熊本ってすごいね、あの災害を逆手にとってこんなに前向きに生きた熊本ってステキだよね、と周りの人に思わせたいんです」(小山薫堂)
今村拓馬
「結果的に何をしたいのかというと、熊本ってすごいね、あの災害を逆手にとってこんなに前向きに生きた熊本ってステキだよね、と周りの人に思わせたいんです。そんな、よその県の人たちのそんな声を聞いた熊本の人たちが、ああ、熊本に生きててよかったな、と誇りに感じるような。そんな日がくることをイメージしてます」
子どもたちに向けたFKPは今年1月、一般社団法人化した。地震後にFKPに寄せられた約4200万円の募金をもとに、今後は「くまモン夢学校」の開催や、公募で選ぶ高校生への奨学金授与など、子どもたちの支援に取り組む。真っ黒で大きな男の子みたいなくまモンがそこに立つだけで、街の景色の美しさが際立ち、道行く人から笑顔がこぼれる。熊本の人たちは、歴史と豊かな土壌と充実した暮らしがある熊本の美しさを、くまモンによって知った。
その県民性も、地震を経験したことによって、より強く、団結力がある方向へと変わろうとしている、と小山は言う。
「地震が起きたことで、県民もくまモンが好きだと確信したかもしれません。被災後の厳しい状況に苦しんでいる人たちに心を寄せながらも、それぞれが前向きに生きることが、結果としては熊本の価値につながっていきます。この地震によって、100年単位でみたら、あの地震によって熊本の精神文化が変わったよねというふうにすべきですし、前向きな変化を僕は感じています。熊本が、被災した際の心のお手本となれば」
(本文敬称略)
三宅玲子:ノンフィクションライター。熊本県生まれ。「人物と世の中」をテーマに取材。2009〜14年北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルブログ「BillionBeats」を運営。