ミャンマーで2017年8月、少数派イスラム教徒ロヒンギャの人々が迫害を受け、大量の難民が発生した。70万人以上が隣国バングラデシュに逃れ、キャンプ生活を続けている。慶応義塾大5年の久保田徹さん(22)は大学に通いながら、この問題を追い続けている。危機発生前からミャンマーに通い、最初のドキュメンタリー作品を制作した。
問題が泥沼化する中で、久保田さんは次第に「ミャンマー人自身が変えていく以外に、解決の道はないんじゃないか」と考えるようになった。22歳の映像作家はいま、イスラム教徒ではないミャンマー人の目を通して、ロヒンギャ問題を描く取り組みを進めている。
ロヒンギャ問題を追い続ける映像作家の久保田徹さん。
撮影:小島寛明
バングラデシュのコックス・バザール県にある難民キャンプは世界最大の規模と言われる。ミャンマーからの大規模な難民が発生してから間もなく1年になるが、解決の糸口はまったく見えてこない。「世界最大」の難民キャンプは、どんな経緯で発生したのだろうか。
今回の危機が起きたのは、ミャンマー西部のラカイン州だ。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2017年8月25日、ラカイン州内で、ロヒンギャの集落が襲われた。銃撃され、家を焼かれた人たちは、ジャングルを抜け、西側に隣接するバングラデシュに逃れたという。
国際NGO「世界の医療団」に所属する具貴香さん(37)は、危機発生約3カ月後の2017年11月、コックス・バザールのキャンプに入った。団体としてどのような支援ができるか、現況を把握する調査が目的だった。
見渡す限りの劣悪な環境のシェルター
世界の医療団のスタッフとして難民キャンプの支援に取り組む具貴香さん。家々を回って、健康状態を調査し、医療機関の受診を促す活動に取り組んでいる。
撮影:小島寛明
「さまざまな形で報道されたいまとなっては、ありふれた話なのかもしれません」
当時の状況を聞くと、具さんはこう切り出した。避難者から聞き取った被害の状況は凄惨だった。
住民が男と女に分けられ、成人男性は殺された。若い女性はレイプされ、多くはその後に殺害された。男たちが最初に殺されたことから、キャンプには女性と子どもが多い。
キャンプに初めて入った具さんは呆然とした。キャンプは、あまりにも巨大だった。見渡すかぎり、シェルターが並んでいた。
「はたして、自分たちに何ができるんだろう」
簡素なシェルターが並ぶ難民キャンプ。
©Lea Gibert
シェルターといっても、非常に簡単なものだ。細い竹を組み合わせた柱と梁に、ビニール製のシートで屋根と壁をつくる。足元は土だ。雨が降れば、容赦なく雨水が屋内に流れ込んでくる。せまい屋内では、多い世帯で15人ほどが暮らしている。
入浴は週に一度。500人が共有する洗い場に、水を運んできて体を洗う。住環境も衛生状態も劣悪だ。それでも避難者たちは「ここは、ラカインよりいい。夜、おびえずに眠ることができる」と言った。
この団体が取り組んだのは、必要な人にどう、医療を届けるかという課題だ。体調が悪くても、医療機関に行かない人も少なくない。バングラデシュの地元NGOと組み、キャンプ内のロヒンギャの人たちを組織した。
川岸に集まる、大勢の難民たち
©Arnaud Finistre
ミャンマーで、ロヒンギャはなぜ差別されるのだろうか。さまざまな側面から分析されているが、最大の要因と考えられているのは宗教だ。ミャンマーでは、9割近い人たちが仏教であるのに対して、ロヒンギャはイスラム教徒だ。
慶応義塾大法学部で政治学を学ぶ久保田さんが、ロヒンギャ問題に関心を持ったのは、大学入試がきっかけだった。「別に、ミャンマーに行ったこともないし、適当だったんだけど」と振り返る。
「ロヒンギャがつくったトウガラシを、仏教徒のコミュニティーで加工して、日本やアメリカで売る。ビジネス上のつながりができれば、お互いの理解が深まるのでは」とプレゼンしたら、合格した。
大学入学後に参加した学生団体は、群馬県館林市で暮らすロヒンギャの人たちと交流し、映像を記録していた。館林に通う中、久保田さんは「現地に行けば違うものが見えてくるのではないか」と考えるようになった。
映像を撮り始めたのも、大学の学生団体に所属したことがきっかけだ。
2015年、大学2年の夏休みに、仲間たちとミャンマーのヤンゴンに入った。多くのロヒンギャが暮らすラカイン州には入れなかったが、ロヒンギャの人たちが組織しているNGOなど現地の人脈もできた。
デジタルカメラで映像も撮影したが、「映像はガタガタだし、インタビューも重要な話はぜんぜん取れてないし……」と振り返る。
2016年のゴールデンウィークに再びミャンマーに入った。今度は、ヤンゴンで知り合ったロヒンギャの人たちのネットワークに力を借りて、ラカイン州にも入ることができた。
迫害が正しく伝わらないミャンマーの事情
ドキュメンタリー「ライトアップロヒンギャ」に登場する子どもたち。
久保田徹さん提供
1週間ほどラカイン州に滞在し、ロヒンギャの人たちが集められているキャンプも訪れた。同い年で、英語の得意なロヒンギャの友だちもできた。
帰国後、撮影してきた映像を編集して、22分間のドキュメンタリー作品「ライトアップロヒンギャ(Light up Rohingya)」を完成させた。2017年8月に多くのロヒンギャが難民化した後、ラカイン州への立ち入りは制限されたことで、久保田さんの最初の作品は、ロヒンギャの状況がわかる貴重な記録となった。
久保田さんを取り巻く状況にも変化があった。スマホ向けのゲームを開発しているコロプラの創業者・馬場功淳氏が立ち上げたクマ財団の奨学金を受け、ロヒンギャ問題を追い続ける資金ができた。
大量の難民が発生し、ミャンマーとバングラデシュは世界から注目を浴びた。一方で、久保田さんは、無力感もあった。
取材を通じて、「ミャンマーの外から、軍事政権がロヒンギャを迫害しているとどれだけ伝えても、ミャンマー人には180度違う形で伝わっている」と考えるようになった。
ロヒンギャと仏教徒のミャンマー人との感情的な対立は根が深い。久保田さんは「ミャンマーの国内では、イスラム教徒が自分たちの土地を奪おうとしていると考えている人が多い。だから、軍事政権は、よくやってくれていると評価されている」と言う。
久保田さんはそこで、これまでとは違うアプローチで問題を取り上げようと考えた。ミャンマー人の目から見たロヒンギャ問題を切り取る方法だ。
「僕の世界は広がったのに、彼は…」
難民キャンプには、斜面にシェルターが並んでいる。
©Arnaud Finistre
ロヒンギャへの理解があるミャンマー人の団体の人たちと一緒に2018年6月、バングラデシュのコックス・バザールに入り、キャンプも訪れた。いずれ、作品としてまとめ、「もっとさまざまな立場のミャンマー人を巻き込んでいきたい」と考えている。
取材をしながら、久保田さんはよく、ラカイン州のロヒンギャのキャンプで知り合った同い年の友達のことを考える。映像の制作を通じて、久保田さんの世界は急速に広がった。けれど、その友達はキャンプから一歩も出ることができない。「本当は、同じくらい可能性があるはずなのに、このギャップはなんだろうか」と思う。
大学5年だが、就職活動はしていない。自発的に就職しない道を選んだというよりも、ロヒンギャ問題にのめりこんでいるうちに、就職試験が終わっていた。久保田さんは最近、会社には所属せずに、映像で食べていくことを意識し始めている。
「作品をつくったり、記事を書いたり。実績を重ねていけばなんとかなるのかなと、少し手応えもあります。一度友だちになったら、なんだかんだで付き合いが続くように、ぼくは、ずっとミャンマーと関わっていくと思う」
7月26日(木)午後6時50分から、港区立男女平等参画センター リーブラホール(東京都港区芝浦1−16−1)で、「ライトアップロヒンギャ」の上映会とトークショーのイベント「ロヒンギャの証言 -無国籍であるということ」が開かれる。久保田徹さんも登壇する予定だ。
イベントの詳細は、主催の「世界の医療団」のウェブサイトへ。