なぜ日本では声をあげる女性たちに対して、執拗なバッシンングが起きるのか。
撮影:今村拓馬
これまで「日本では水と安全はタダ」と信じてきた。夜遅くまで仕事をしても、特に心配せず帰宅できる。子どもは子どもだけで学校へ行って帰ってくる。
最近、自分は間違っていたかもしれない、と思っている。
最大の理由は、伊藤詩織さんのインタビューを記事で読んだり、BBCで観たりしたことだ。伊藤さんは映像ジャーナリストで、ドキュメンタリー番組の制作で国際的な賞を取っている。元TBSのワシントン支局長によるレイプ被害を実名で告発し(元支局長は不起訴処分)、日本の性犯罪捜査や司法制度の問題を指摘している。実名・顔出しで発言を続けた結果、伊藤さんはインターネットで数えきれないほどの誹謗中傷を受けたという。今は身の安全を守るため、ロンドンに住まいを移して仕事をしている。
社会構造の問題に異議申し立てをする、いわゆる「モノ言う女性」は叩かれる。特に、その人が訴える問題が本質的なものであるほど、叩かれ方は酷くなる。
伊藤さんの事例を扱ったBBC番組における杉田水脈衆院議員(自民)の発言は「叩き」の典型例だろう。番組内の発言について、議員は「一部を切り取られた」としているが、放送後にTwitterで「自分の娘がそんなことをしたら叱る」と記して伊藤さんを再度批判している。
特にネット空間では、モノ言う女性を叩き、その人についてウソの情報を拡散し、生活や仕事基盤を壊すような言説がたくさんある。私の友人・知人を見ても、人権問題に取り組む弁護士、若年女性支援に取り組むNPO代表、在日外国人問題に取り組んできた当事者の女性が被害を受けた。彼女たちは体調不良になったり、ひどい嫌がらせに身の危険を感じて海外移住を余儀なくされたりした。たとえ裁判で勝っても、ほとんどの場合、加害者側は同じような差別的な言説を繰り返し、SNSで発信し続ける。
「表の世界」の進行に「ついていけない人たち」の反動
伊藤詩織さんは、自らの被害を実名で告発、捜査や司法のあり方の問題点を指摘。それに対する激しいバッシング被害を受けている。
撮影:今村拓馬
ここには2つの問題がある。
1つ目はツールの問題だ。誰でも簡単にアカウントを作ることができるTwitterと、攻撃的だったり差別的だったりする投稿を放置してきたTwitter Japanの社会責任は問われるべきだろう。ただし、このテーマについては、別の記事に譲る。
2つ目は社会構造の問題だ。歴史を振り返ると、女性の地位向上が進む中で、バックラッシュが起きている。それは「表の世界」で進行する男女平等や女性の活躍推進の動きに「ついていけない人たち」のフラストレーションの発現でもある。
1970年代には、日本でも女性解放運動が起きた。特に市川房枝氏らが作った市民団体「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」は、固定的な性別役割分担に対する異議申し立てを行い、生活者の視点から多くの成果を上げている。特に有名なのはハウス食品工業がインスタントラーメンのCMに使った「私つくる人 僕食べる人」というフレーズに抗議した事例である。
抗議を受けてCMは放送中止になった。詳細は同会の活動を記録した『行動する女たちが拓いた道:メキシコからニューヨークへ』に記されている。
同書によれば、行動する会の女性たちはハウスの広報室長と直接面会して意見交換している。広報室長の対応は真摯で、丁寧なやり取りになっている。より大きな問題は、経緯を報じたメディアの侮蔑的な論調にあった、と言える。週刊誌などは「ヒステリック」とか「女性は生理になると判断が狂う」「女は大脳ではなく子宮でモノを考える」といった具合に、今なら炎上必至の表現を並べてバッシングしている。当時、インターネットはなかったが、モノを言う女性を叩く風潮は40年経っても変わらない。
最近では2000年代に広範囲にわたるバックラッシュが起きた。1999年に男女共同参画基本法が制定され、全国の自治体に条例や関連部門が作られた時期である。
例えば「ジェンダーフリー」の考え方は男女一緒に着替えさせるもの、といったとんちんかんな言説が広まったり、女性センターに抗議が寄せられたりした。私は今、さまざまな自治体とジェンダーに関する仕事をしているが、当時の負の遺産を今も引きずっている担当者もいる。この時期の記憶が鮮明な人は、「行政の会議ではジェンダーとか平等という言葉を使うのが難しくて、男女共同参画と言うようになった」と話す。
歴史を振り返れば、男女平等に関する政策が前進した後に、反動が起きることがわかる。
男女平等政策を止めることはできない
昨秋来日したイヴァンカ・トランプ氏も「セクハラは許されない」と発言した。
REUTERS/Kimimasa Mayama/Pool
ただ、より重要なのは、男女平等政策を止めることはできない、という事実認識である。
国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)の17項目の1つにはジェンダー平等が入っている。APEC加盟国・地域は女性リーダーを増やすための取り組みを進めており、日本政府が資金提供して関連の調査が行われた例もある。
安倍首相は女性活躍を成長戦略のひとつと明言しており、2015年には女性活躍推進法が成立した。2014年から政府主催の国際女性会議WAW!が開かれ、2017年はイヴァンカ・トランプ氏も来日して「セクハラは許されない」と発言している。
私自身はWAW!の国内アドバイザーを務めており、官邸で開かれる会合でプログラム内容や登壇者人選、広報戦略について意見を述べている。また、2017年春は官邸国際広報室の企画でアメリカに1週間滞在し、経営学者、法学者らと10カ所以上を訪問してスピーチや意見交換をした。私が話したのはもちろん、ジェンダーに関する問題である。
今や、女性活躍は日本が海外に発信したい大事なテーマのひとつである。保守政権でさえ、世界潮流に乗ってジェンダー平等推進に関する政策を発信しているのが現実だ。世界で一定の存在感を示し、尊敬される国であろうとする時、このテーマに取り組まないわけにはいかない。
こうした事実を踏まえると、SNSにおける女性叩き現象は、社会の変化に抵抗する差別主義者の最後の悪あがきに見える。
例えば2000年代には「ジェンダー」という用語を使いにくかったようだが、今や、グローバルに仕事をするビジネスマンは「ジェンダー・イコールの視点が必要ですよね」などと、普通に話している。ビジネス系学科の大学生も「ジェンダーという言葉をよく見聞きする」と話す。長期的に私たちの社会がどちらの方向に向かっているかは、明らかである。
「話せばわかる人」との地道な対話を
米・ハリウッドで始まった#MeToo運動は、国を超えてさまざまな立場の女性たちが声をあげるきっかけになった。
REUTERS/Lucy Nicholson
では、短期的には何ができるか。
多くの場合、本質的な解決策は地味である。中でも私が意識しているのは「話せば分かりそうな相手」と地道に対話を続けることである。なぜなら、差別や敵意は無知から始まるからだ。
あるラジオ番組で、男女共同参画をテーマにトークをした時のこと。私と同世代の男性司会者に「ジェンダー平等とは、男性にも生き方の選択肢が増えることです」と話したことがある。男だから家族を養わなきゃ、という決めつけから解放されて、女性が大黒柱になったっていい。個人の選択を尊重することが、ジェンダー平等の本質です、と話したところ「安心した。何だか今日は怒られるかと思っていたから」と納得してくれた。
学生向けに話す時は、2つの事実を伝えることが有効だ。
第1に、グローバル・ジェンダー・ギャップ指数に代表されるジェンダー格差の実状を数字で伝えること。日本の順位が144カ国中114位と先進国で最下位であること、いまだに管理職女性比率が少ない事実を数字で伝えると、大学生は男女共に驚く。客観的なデータは若い人には、何とかしなくてはいけない問題とストレートに受け止められる。
次に、この構造を作ったのは若い世代ではなく、上の世代であると明言する。責任は彼らの親や祖父やそれより上の世代にある。少なくとも、彼らには現時点では性差別構造の責任は、ない。ただし、変えていくための流れには、できれば加わってほしい。
大切なのは、光の当たる「こちら側」に、できるだけ多くの人に加わってもらうことだ。対面でのコミュニケーションは「ダークサイドに落ちる」人の良心に訴えることができる。無知からくるミソジニー(女性や女性らしさに対する蔑視や嫌悪)を少しでも減らすため、リアル空間でできることを淡々と進めることが、今、私にできることだ。
治部れんげ:ジャーナリスト。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。経済誌の記者・編集者を経て、フリー。国内外の共働き子育て事情や女性のエンパワーメント、関連する政策について調査、執筆、講演などを行う。