毎日働いた分の賃金をスマホのアプリに表示し、給料日前でも買い物や食事に使えるようにする規制緩和策を、福岡市が提案し、国と協議を続けている。2017年秋の提案時には「給料前借り特区」と話題になったが、福岡市の藤本広一特区担当部長は、「すでに労働を提供しているのに『前借り』というのはおかしい。労働者にとって不利な『翌月払い』スタイルが当たり前となっている現状に切り込む狙いです」と話す。
給料後払いは労働者が不利
福岡市の説明を基に作成
福岡市が提案した規制緩和案は以下のようなものだ。
- 働いた分の賃金(税や社会保険料などを除いた手取り額)が、即日でスマホのアプリに表示され、貯まっていく。
- 労働者はアプリに表示された“残高”の範囲内で、買い物や飲食店での食事をして、スマホ決済できる。
- 雇用者は労働者が使った額を店舗に支払い、残った金額(手取り額)を給料日に支給する。
福岡市の藤本特区担当部長は、「労働法の根幹に関わる規制緩和案であり、簡単にはいかないと思うが、チャレンジしたい」と話す。
労働基準法は賃金について、「毎月1回以上、一定の期日を定めて、通貨で直接支払わなければならない」と定めている。これが「給料日」であり、今は当たり前になっている給料の銀行振り込みも、実は労働者側の同意を得た場合に認められる「例外規定」となっている。藤本部長は、「現行法は賃金の電子マネーでの賃金支払いを認めていないため、規制緩和を提案しました」と説明した。
福岡市は2014年、国家戦略特区のグローバル創業・雇用創出特区に指定され、これまでも特区を活用した規制緩和を進めてきた。提案が実現すれば、銀行口座をすぐに開設できない外国人など、広い範囲の労働者にメリットがあり、企業にとっては福利厚生の役割もあるという。
給料を前払いする規制緩和には賛否両論あるが、藤本部長は「アルバイトやパートだと月末締めの翌月払いというスタイルが多いですが、労働の提供から給与支払いまでの期間は短いに越したことはありません。今はIT技術の進展で給料計算が効率化され、支払い手段も増えたので、労働者に即支払うこともできるし、労働者サイドのデメリットはないと判断しました」と語った。
「現金はリスクしかない」元飲食店経営者の信念
福岡市の規制緩和案のモデルでは、店舗から1%の決済手数料を受け取る予定。高崎氏は「当社に入る手数料はさらに少ないですが、利用者が増えれば採算は取れる」と話す。
福岡市によると、給料前払いのための規制緩和は、福岡市のフィンテックベンチャー「ドレミング」が発案。「新しいやり方、仕組みにチャレンジする人々を応援する」という同市の姿勢に合致していたため、政府に提案した。
ドレミングは、勤怠管理・給与計算システムを提供するキズナジャパン(東京)が、「20億人の金融難民に新しい金融サービスの提供を目指す」ことを掲げ、2015年にスピンアウトしたベンチャーだ。キズナジャパン創業者で、ドレミングホールディングCEOの高橋義一氏には、自身の経験を基にした2つの信念がある。
1つは「お金に困っている労働者を助けたい」、兵庫県でモスバーガーのフランチャイズ店舗を経営していた1995年、阪神大震災で店が損壊、再建で多額の出費を強いられた揚げ句、売り上げは激減し経営難に陥った。その後も数度、倒産の危機に瀕した。
「資金繰りに奔走する日々でした。スーパーで半額になった弁当をレジに持って行って、『これが定価だったら払えない』という経験をしました。その後、リーマンショックでネットカフェ難民や派遣切りが社会問題化し、昔の自分の苦しみを思い出し、何とかしたいと思った」
もう1つの信念は、「現金にはリスクしかない」ことだ。
飲食店経営者として、売り上げとレジの現金が合わないことを度々経験した。店舗に現金を置いていることで、泥棒だけでなく、従業員も疑うことになる。現金輸送車の襲撃も繰り返される。店舗だけでない。高崎氏自身も、趣味で集めていた高額の記念硬貨や金貨を、阪神大震災の混乱で紛失した。
「Suicaに給料チャージ」を手紙で提案
震災後、高崎氏はフランチャイズ経営だけでは生活できなくなり、店舗で使っていた勤怠管理・給与計算システムの販売を副業で始めた。故郷の九州を中心に、飲食店経営者仲間が買ってくれ、生活再建のめどが立った。1995年6月、ソフト販売会社を起業。助けてくれた人たちへの感謝を込めて、社名を「キズナジャパン」とした。
高崎氏は、「阪神大震災が起きるまでは、飲食店の店主で一生を終えるつもりだった」という。
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その後、JR東日本がICカードSuicaを開発していることを知った高崎氏は、当時の社長に手紙を書いた。
「Suicaにタイムレコーダー機能をつけて、退勤を記録したらその日の給料がsuicaにチャージできるようにしませんか」
この提案は労働基準法などの制約もあり実現しなかったが、勤怠管理にFelicaカードを使うアイデアが評価され、JR東の関連会社など複数の企業から計約3億円の出資を受けた。その資金で、勤怠・給与計算ソフトを自主開発した。
高崎氏の飲食店経営時代の問題意識を反映させたソフトは、1人のアルバイトでも業務ごとに時給を上げ下げできるようになっている。
「きつい仕事は敬遠されたり、立場の弱い人に集中したりする。だから、『この作業をやっている30分は、時給を50円上乗せ』とできるようにした」
さらに、働いた分の給与を当日算出し、いつでも受け取れるシステムをつくった。
「労働者のため」だから手数料は取らない
次の転機は2015年だった。自社のソフトが導入されたベトナムの工場で、従業員が現金支給で給料を受け取っていることを知った。なぜ銀行振り込みにしないのか聞くと、「誰も銀行口座を持っていないから」との答えが返って来た。
その頃、スマホが広く普及し始め、新興国では「キャッシュレス経済」が広がりつつあった。
ケニアでは銀行口座を持たない人のためにモバイル送金が広がり、中国では、QRコードを読み取るモバイル決済が一般化した。
給与支払いから消費までをキャッシュレスにする高崎氏の構想は国内でも注目を浴び始めている。
ドレミングホールディング提供
高崎氏は、「モバイル送金でも、お金を使うときは引き出さなければいけない。近くに引き出す場所がないことも多いし、現金が集まるところは、常にリスクにさらされている」と話す。
モバイル送金で受け取った給料を引き出すことなく買い物に使えれば、多くの人々の生活が便利になる。かつて日本で提案した、Suicaに日々の給料をチャージする仕組みを、規制の少ない海外なら実現できるかもしれない。そう考え、フィンテック企業「ドレミング」を設立した。
ドレミングの海外事業の枠組みは福岡市の規制緩和案とおおむね同じだ。自社の勤怠・給与計算システムを企業に提供し、企業は日々の手取り額を労働者側に通知する。労働者は、その残高の範囲内で買い物や飲食をし、決済できる。
「共通しているのは、労働者から手数料を取らないことです。こういうサービスを利用するのは、所得が比較的低い現場の労働者が多い。私も板前出身で、数百円を払うのが苦しかった時期もあります。彼らのためにと思うなら、わずかな手数料であっても取るべきではない」
シリア難民の自立掲げ英国進出
「銀行口座を持っていない人々の自立を助けたい」というドレミングの事業プランに最初に興味を持ったのは、シリア難民問題に直面するイギリスだった。
Omar Sanadiki reuters pictures
ドレミングは2016年、大手コンサルティングファームのKPMGがテクノロジーを最大限活用し、金融サービス業界に変革をもたらした企業を選ぶ「フィンテック100」に日本から唯一リスト入りした。
シリア難民の自立のために自社のサービスを活用できると訴え、ロンドンのフィンテック関連インキュベート施設「レベル39」に入居が認められた唯一の日本企業にもなった。
現在、イギリス、シンガポール、インド、アメリカ、サウジアラビアに現地法人を設立し、高崎氏をはじめ幹部らは、1年の大半を海外で過ごしている。
高崎氏は「私たちにとって、日本のマーケットは大きくない」と言いつつ、福岡市で特区を活用した規制緩和を進めることには、さまざま意義があると説明する。
「地域の店舗への誘客支援もできるし、銀行や求人広告の会社にとって新たなビジネス機会にもなる」
2018年6月14日には首相官邸で行われた国家戦略特別区域諮問会議で、安倍首相らに対し規制緩和の必要性をプレゼンした。
政府要人が並ぶ前で強調したのは「外国人労働者の利便性向上」に加え、「お金の流れの透明化」。キャッシュレス経済の実現が、補助金の不正流用や脱税など、金融の違法行為を大きく減らせると語りかけた。
福岡市の規制緩和案が認められるかについて、藤本特区担当部長は「賃金支払いは労働法の根幹であり、そんなに簡単にはいかないと思っています。ただ、キャッシュレス経済は世の中の流れであり、岩盤に果敢に切り込んでいきたい。100%正しいとは言い切れなくても、全国一律でできないことにチャレンジするのが特区のあり方なのではないでしょうか」と語った。
(文、撮影・浦上早苗)
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