道内屈指の米どころである、北海道東川町。
過疎化が続く日本。いまや日本の半数近くの市町村が「過疎市町村」とされており、とりわけ北海道や東北など山間部を多く抱える地方は人口減少が目立つ。
そうした厳しい状況が続く中、この20年間で約2割も人口が増えている町がある。北海道旭川市の隣に位置する、上川郡東川町だ。
なぜ東川町の人口は増え続けているのか。その秘密を探るべく、猛暑の東京より10度は涼しい現地を訪れた。
「お米」「観光」「工芸」の町
旭川空港から車で約10分。北海道第2位の人口約34万人が住む旭川市の中心部から、南東方面に20分ほど車を走らせると、のどかな田園風景が広がる。日本最大の自然公園「大雪山国立公園」の区域内に位置し、豊かな自然環境に恵まれている。
鉄道、国道、上水道の「3道」はない。北海道最高峰の旭岳から雪融け水が流れ出すため、北海道で唯一すべての町民が地下水で生活している。もちろん、無料だ。
その豊かな自然やアクセスの良さに惹かれて訪れる観光客や移住者は多い。東川町の松岡市郎町長(67)は、「風景や水、空港からの距離など、豊かな自然や地理的な環境は大きい」と話す。
しかし、もちろんそれだけではない。
町を歩くと、そのハイセンスな風景に驚く。木工業が盛んで、全国的にも名高い「旭川家具」の3割ほどがここ東川町で生産されており、町内では木の質感を活かしたおしゃれな外観を持った店をよく見かける。
家具や雑貨を中心に、自然とともにある暮らしを提案する「北の住まい設計社」が営むカフェ。
店は移住者が開くケースも多い。2008年に約25店舗だった飲食店は、10年間で約60店舗にまで増加。
自然焙煎コーヒー店「ヨシノリコーヒー」を夫婦で営む轡田芳徳(くつわだ・よしのり)さんは、旭川市で会社員をしていたが、良質な水を求めて東川町に移住し、自宅兼店舗としてコーヒー店を開いた。
充実させた就学前教育
田んぼの中に店舗を構える自然焙煎コーヒー店「ヨシノリコーヒー」の看板。
この20年ほどで、北海道全体の人口は約31万人減った。同時期に、札幌市の人口は20万人以上増えている。周辺都市との合併の影響はもちろん無視できないが、地方中枢都市に地方の人口が集中するのは、全国共通の現象だ。
ところが、中枢都市とはかけ離れた東川町も、同じ期間に約2割増えた。1993年3月に6973人だった人口は、2017年12月末時点で8328人と、実に1300人以上も増加しているのである。
町内の年間出生数は毎年50人程度なのに、約70人が小学校に入学するという現状から、若い子育て世代が流入していることが分かる。小さい子どもを持つ移住者に話を聞くと、豊かな自然に加え、充実した子育て環境を移住の理由に挙げる人が多い。
東川小学校の校舎の中は学年ごとに開放的な教室が並ぶ。給食は全学年が同じ食堂で取り、上の学年が下の学年の面倒を見ることもあるという。
小学校3年生、幼稚園年中、1歳という3人の子どもを抱え、東京から移住した山脇知子さん(37)は、「どこで家を建てるか考えた時に、子育て環境も良いと聞いて東川町に移り住むことに決めました。ここは同世代の親も多く、移り住んで本当によかったです」と語る。
東川町では就学前教育を充実させるため、構造改革特区の認定を受けて、2002年に幼保一元化施設「ももんがの家」を開園した。2014年にはその隣の敷地に、約38億円もの予算をかけて東川小学校を新築。広大な土地を存分に活用して、サッカー場や野球場、体験農園、果樹園などを周辺に整備した。また、生徒たちが使う机や椅子は町内の家具職人が作った。
東川小学校の校舎の外には広大なグラウンドが広がる。
さらに特筆すべきは、住環境の素晴らしさだ。
子育て世代が多く住む、分譲地の「グリーンヴィレッジ」は、3500万円前後で土地を含む戸建てを購入することができるが、同時に「建築緑化協定」を結ぶ必要がある。家を建てる際は、屋根や壁の色が制限され、敷地面積の20%以上は緑地化しなくてはいけない、という内容になっている。
東川町は2002年に景観条例を制定し、「東川風住宅設計指針」というデザインの指針を示した。これによって、景観を壊さずに、自然と住居を一体化させることに成功している。
合併の危機に「自立」を選択
周辺の地域に比べるとグリーンヴィレッジの値段は高く、比較的裕福な家庭が多い。
こうして自然と調和したまちづくり、人口誘致に成功した東川町だが、実は最初から何もかもうまくいっていたわけではない。転機は2003年だった。
当時、政府の「平成の大合併」の掛け声のもと、人口1万人未満の町は合併を迫られ、7500人ほどだった東川町も合併をするのか否か、“存亡の危機”に陥っていた。
そんな時、役場の職員だった松岡町長が、合併反対を掲げて町長選に出馬した。
「合併の話が持ち上がった時に考えたのは、自立するとは何か。それは、自分の頭で考えることだ、と。それまでは、国から言われたから、北海道がやっているから、という理由でさまざまな事業をやっていた。けれど、自分たちの判断で良いか悪いか決めて、実行するのが重要だと思ったんです」
4期目となる松岡市郎町長。単に人口を増やすのではなく、ゆとりのある空間を重視し、過疎でも過密でもない、“適疎”の考えを訴える。
町民や職員からも後押しを受けた松岡町長は見事当選を果たし、結果として、東川町の人たちは町の将来を自分たちで考え、決断していくことになった。
その後、町の写真事業を企画していた会社が2005年に倒産する。これは不幸中の幸いと言える出来事だった。
というのも、東川町は1985年に「写真の町」を宣言。後世に残し得るまちを作るとして、「写真写りの良いまちづくり」を進めてきた。2005年以前は企画会社にどこか任せている部分があったが、同社が倒産したことで、否応なしに「自分たちがやらなければならない」(松岡町長)状況が訪れたのである。
2014年には、新たに「写真文化首都宣言」を発表し、写真を軸としたまちづくり事業を再び活性化させた。毎年夏に開催される「写真甲子園」には、今では全国からたくさんの高校生が参加する。2017年には526校が応募した。「写真の町、東川町」という枕詞が徐々に浸透し、東川町のブランディングを推し進める重要な要素の一つになっている。
定住人口以外を増やすアイデア
まちのブランディングは軌道に乗ったが、結局は合併をしなければ人口が足りない。どうすれば1万人を回復できるのか。そこで松岡町長が考えたのが、応援人口の増加だ。
「これからの時代、どう頑張っても、定住人口が大きく増えることはない。住んでいる人だけではなく、応援してくれる人も“住人”にすればいい」
住人が「主体的に参加する形」として、好きな事業に投資(寄付)する「ひがしかわ株主制度」を始めた。当初は2000人を目標にしていたが、今では約2万3000人もの株主が存在し、毎年株主が町を訪れる。
また、海外からの留学生の存在も重要だ。少子化対策として、2009年から短期滞在の日本語学習者を受け入れる事業を始め、2014年からは町内の北工学園旭川福祉専門学校に日本語学科を開設、2015年には全国初となる公立日本語学校が誕生した。東川町の人口に占める外国人の割合は、いまや約4%に達する。
3つの“ない”はない
2015年に開校した東川町立東川日本語学校の授業風景。「世界に開かれた町」をテーマに専門学校でも数多くの国から留学生を迎え入れる。将来的には、介護人材への活用なども見据える。
提供:横田アソシエイツ
前例のない事業を次々と打ち出してきた東川町。地方創生を推進する自治体の中には、外部のコンサルタントに丸投げをするところも少なくないが、自立を選んだこの町では、職員たちが自ら考え、実行に移す。先述の「ひがしかわ株主制度」も若い職員が出したアイデアだ。
こうした実行力の根底には、「3つの“ない”はない」という考え方がある。
1.予算がない
2.前例がない
3.他でやってない
予算がないから、前例がないから、他でやっていないから、という安易な妥協は思考停止の原因となる。3つの「ない」を言わないことを徹底し、主体的に考え抜くことで、独自の取り組みが生まれてきたのである。
国の助成金ありきで考えるのではなく、自らやるべき政策を実現するために、どのようにしたら必要な資金を調達できるかを考え、研究する。国だけでなく企業や株主からも資金調達を行う。町長も含めて職員のスケジュールはグーグルカレンダーで共有するなど、効率化を積極的に進める——。やるべきことがあれば、臆することなく実行に移す文化が、東川町には根づいている。
職員たちは休日でも外部からの視察団を積極的に受け入れるなど、残業なし・休日出勤なしを徹底しようという昨今の流れとはかけ離れた働き方をしているが、それを嫌がる気配は微塵も感じられない。企画総務課課長の菊地伸さんは「仕事は生活の一部になっています」と語ってくれた。
「まちづくりは語りではなく、実現すること」(松岡町長)という考えのもと、北海道のこの小さく美しい町は、他の自治体にはない独自な発想と手法を駆使して、先進的なまちづくりを続けていく。
(文、写真・室橋祐貴)