女子レスリング、アメリカンフットボール部員の悪質タックルを機に問題が噴出した日大、そして、ボクシング。ここ5カ月間、スポーツ界の不祥事は引きも切らない。
そこに通底するすべての問題は、組織をけん引するリーダーの権力が巨大化し、長期化した末の「パワーハラスメント」と言える。
パワハラ問題について謝罪する女子レスリングの栄和人前強化本部長。このあと、強化部長を辞任した。
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女子レスリング五輪4連覇を果たした伊調馨選手(33)へ複数のパワハラがあったとして解任された、栄和人前強化本部長(57)。
関西学院大学アメフト選手への暴力的なタックルを命じたとされ、辞任した日大の内田正人前監督(62)。
ボクシングでは日本連盟の山根明終身会長(78)は、選手強化の助成金不正流用や審判への圧力に伴う判定操作などで元選手ら関係者333人から告発された。連盟職員へのパワハラや暴力団との接触など、ほかにも組織の長とは信じがたい数々の疑惑報道が続く。
日本のスポーツ界に、なぜ彼らのような首領(ドン)が生まれるのか。そして、大勢の人が大きな苦難を強いられるまでなぜ放置されるのか。
勝利がキャリアを後押しした
日大アメフト部では、スポーツによって大学のブランディングを図ろうとするあまり、「勝利至上主義に走った」とも指摘されている。
撮影:今村拓馬
上記の3人には、現時点で考えうる共通項が5つある。
- 組織に勝利をもたらすことで評価され、その成功がキャリアアップにつながる。
- パワハラや選手や職員に対する理不尽な要求、叱責や恫喝などの言動が目立つ。ボトムアップではなくトップダウンのリーダーシップ。
- 何らかの金銭的トラブルが報じられている。
- 競技人口が少なく(女子レスリング1000人・ボクシング8000人・アメフト約2万人)比較的規模が小さいスポーツ。
- 内部告発によって問題が表面化している。
栄氏は五輪代表監督として多くのメダルをもたらしてきたし、内田氏は2017年度、大学王座奪還を果たした。山根氏は五輪で村田諒太らがメダルを獲得した功績が認められ、終身会長になった。
勝利が彼らのキャリアを後押しした、つまり1の共通項は、試合の勝ち負けがそのままかかわった人間の実績となるスポーツ界全般で言えることだ。ほかの競技団体でも、選手として実績のある人が監督として結果を出したり、協会連盟の長として普及や強化に貢献している。
小規模アマチュアスポーツ界の問題
だが当然ながら、その人たちがパワハラや金銭トラブルを抱えているかと言えば、そうではない。
そこで、4の比較的小規模な競技という3者の共通項に注目すると、ドンが生まれる理由のひとつに「アマチュアスポーツ界のプアな環境」が見えてくる。
ロンドン五輪でミドル級世界王者に輝いた村田諒太選手(左)。この試合のセコンドに山根会長の息子がついたことも問題視されいている。
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スポーツにおける人材育成論などを専門とする岐阜経済大学経営学部教授の高橋正紀さん(55)がこう解説する。
「女子レスリングやボクシングの件でいえば、プロリーグがあるサッカーや野球以外、つまりお金を生み出せないアマチュア競技団体がみんなが“血を流しながら”支えてきた歴史がある。団体職員も報酬が低かったり、ボランティアの場合も多い。そのなかで、オリンピックに勝てば予算がつくなどして、みんなが助かる。日本のスポーツ界の市場価値は間違いなく勝利なので、勝利を確実に生産してくれる人が、強く長く権力を握ることになるのには必然性がある」
その視点でいえば、日大も、田中英寿理事長はスポーツの強化で大学の評価を高めることに成功している。内田氏は「勝利を確実に生産してくれる」人だった。
ある小規模な競技団体では職員の離職率が高いと聞く。残業が続くブラックな職場環境に疲れ果てた職員が、雇用されては辞める。欧米など海外で大会が開かれれば、現地との連絡や試合結果の配信など昼夜逆転の職務に。特に2020年の東京五輪を控え仕事量は増えるばかり。「勝利=予算」とすれば、たとえパワハラがあろうが権力者には逆らえないのだ。
上意下達の「体育会」文化で加速
この逆らえない風潮を下支えするのは、同調圧力に屈しやすい日本人の資質もあるだろう。が、最も大きな問題は、上意下達が今なお濃い「体育会」特有の人間関係だろう。
20世紀の日本スポーツ界は、優秀といわれる指導者がスパルタで選手を鍛え上げてきた。1964年の東京五輪以降、そんな指導者像がクローズアップされ、スポ根漫画やドラマが一世を風靡した。つまり「上の人」の言われた通りにすることを求められ、従うことを良しとする体育会文化が裏目に出ているのではないか。
従わせる側も、「自分は(苦しい環境のなかで)これだけ貢献しているのに、なぜ文句を言われなくちゃいけないのだ」と話がすり替えられる。そのことは、「ボクシング界は自分のおかげで発展してきた」と繰り返す山根氏や、女子レスリングの創成期を引っ張ってきた栄氏らの言動からもうかがえる。
ドンたちは、「プアな環境を変えてくれるヒーロー」と「上に従う文化」が絶妙に融合した日本スポーツが抱える負の遺産なのかもしれない。
観る側にもある「勝利至上主義」
そしてその背景に「勝利至上主義」が横たわる。
「一流のスポーツマンのこころ」と名目した講義を約5万人に向けて実施し、勝利至上主義の弊害を訴えてきた高橋さんは、ワイドショーなどで「スポーツ界にまた不祥事が」と騒ぐ人たちを見かけると残念な気持ちになるという。
「日本でスポーツの市場価値のすべてを勝利にしてしまったのは、スポーツ関係者だけでなく社会全体の責任ではないかと感じる。例えば、オリンピックでメダルを獲った選手と獲れなかった選手では、国民の興味の向け方も違う」
リオ五輪の日本人メダリストによるパレード。メダルを獲得すれば社会の高い関心を集めることができる。
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何が何でも勝つという空気は、監督や選手だけでなく「観る側」にも蔓延していないか。
例えば、村田が金メダルを獲得したロンドン五輪決勝戦で、同選手と関係の薄い山根氏の息子がセコンドに入ったことについて、会長は政治力のある自分の存在で判定を覆せるからだと堂々と説明する。
本来ならばアスリートファーストではなく、政治的な考えでやったことを正当化しようとする姿勢を認めてはいけないのだ。
内部告発と言う「良い兆候」
現在スポーツ庁が推進する「インテグリティ(誠実性や高貴性)」を軸足に置くならば、政治力で左右されずに公平にジャッジされるべきだ。そうではない姿が国際ボクシング協会にあるからこそ、IOC(国際オリンピック委員会)から東京五輪で除外種目になる可能性を警告されているのではないか。
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インテグリティにのっとった精神であるならば、小細工はしない。ジャッジも公正に。戦う選手も正々堂々と。それがインテグリティであり、オリンピックの精神ではないか。
クーベルタンが唱えたオリンピックの精神は「スポーツを通して心身を向上させ、文化・国籍などさまざまな違いを乗り越え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって、平和でよりよい世界の実現に貢献すること」である。
日本のスポーツを確かな「文化」とするには、今後いくつもの階段を上らなくてはならないが、良い兆候もある。
それは5つ目の共通項に挙げた「内部告発によって問題が表面化している」事実だ。告発が相次ぐ理由。それは、パワハラやセクハラに対してNOと言い始めた社会を、スポーツの関係者が肌で感じていることにほかならない。
島沢優子:フリーライター。筑波大学卒業後、英国留学など経て日刊スポーツ新聞社東京本社勤務。1998年よりフリー。週刊誌やネットニュースで、スポーツ、教育関係をフィールドに執筆。『左手一本のシュート 夢あればこそ!脳出血、右半身麻痺からの復活』『部活があぶない』など著書多数。