「10年でようやく一人前」と言うように、時間をかけて若手を育成する傾向の強い日本企業では、入社して1〜2カ月を新人研修に費やすことは珍しくない。ただ、環境の変化が激しい現代でも、そのやり方でいいのだろうか。そんな中、新人研修をガラリと変える企業も出てきた。その狙いと効果とは。
FIXERの2018年4月新入社員(右から6人)と、実戦型研修に関わったメンバー。座学、見学、お試しという従来型の新人研修を、いっそやめたら何が起こったのか。
「新入社員の君たちの、これからのスケジュールを発表します。明日から5月22日のカンファレンスまでに決済アプリを完成させます」
2018年4月2日、東京・内幸町の帝国ホテルで開かれた、クラウド系ベンチャー、FIXERの入社式。
社長の松岡清一から、6人の新入社員に公表されたスケジュールは、新入社員たちにとっても周囲から見ても、驚くべきものだった。
日本マイクロソフト主催のカンファレンス「de:code」は、開発者をはじめITに携わる最前線のエンジニアやIT企業が集結する、年に一度の大規模イベント。来場者は約1500人を数える、テック業界で注目度の高いカンファレンスだ。
ここでの展示は、各社の主力製品や最先端技術で、今後プロダクトとして製品化されるものもある。カンファレンスへの参加は、新入社員向けの練習の場などではなく、自社商品を生み出すプロジェクトにしっかりと入ることを意味する。
製品化を前提に6人に示されたのは、社内のカフェで決済ができるアプリのモック(試作)レベルの完成だった。
「正直、マジかって思いました。(FIXERが)こういう会社だとは聞いてはいたのですが、いざ言われると、スケールが大きくて大丈夫かな、6人しかいないけど、と(笑)」
東京都内の高等専門学校を卒業し、この2018年春に入社した新井将司は、当時を率直に振り返る。
入社式で、FIXER新入社員に提示されたスケジュール
・2週間でアプリの開発言語を学ぶ。
・4週間で開発をする。
・1週間で微修正する 。
・5月22日de:codeのカンファレンスで、作成したアプリについてプレゼンする。
2018年新入社員の一人である、新井将司。社長からのミッションに、驚きを隠せなかった。
新人たちをプロジェクトに放りこんだ意図
多くの日本企業では、4月から6月くらいの間に、新入社員研修を実施するのが一般的だ。座学を中心にビジネスマナーや会社の歴史を1カ月近くかけて学び、その後は会社によっては工場や現場を見学したりするかもしれない。
そんな中、学校を卒業したばかりの新人を、FIXERがプロジェクトに放り込んだ意図は、どこにあるのだろうか。
FIXER新入社員たちの実戦型研修には、社内の各部署が業務時間の10%ずつを充てた。
きっかけとしては「従来、新人を配属する部署でちょうど大きな案件が動いていて、他の部署を見ても新人育成に使える時間が、どこも限られていたことです」。人事企画のグループリーダーである小林出はそう振り返る。
従来通りの部署に新入社員6人を入れたとしても、大きな案件の最中では現場も本人たちも混乱する。かと言って、6人を複数の部署に分散させると、育成能力によって差が出てしまうことを懸念した。
そこへ、社長の松岡が「彼らの優秀さは選考過程で把握できているのだから、進行中の事業開発を任せればいい。自分が毎日、時間を作ってプロジェクトマネジャーをやる」と、宣言した。
そもそも、新入社員6人は高等専門学校や大学で、自作ゲームや簡単なシステム開発をしてきたレベルの技術力を持っている。変化の激しいIT業界において、能力さえあれば、経験の少なさはそこまでハンデにはならない。
本番のプロジェクトに入れて育てる“実戦型”研修が有効であるという仮説は、十分に成り立った。
そこで人事は、各部署に労働時間の10%だけ、新人の育成に割いてほしいと頼んで回り、社長直轄かつ社内の部署は少しずつ関わる「モザイク型」の実戦型研修で、新人育成を行うことになった。
実践型研修のポイント
1.超短期間の実戦で戦力化
入社式から、de:codeのカンファレンスまで、与えられた時間は7週間。
2.第一線と仕事をさせる。
毎朝、30分〜1時間、社長自らが開発サポートを担当。英語能力を問わず海外とのビジネス会議に参加し、社内のスペシャリストと仕事を共にした。
3.特定の人を専従につけない
入社2年目の社員を新入社員6人のメンターに充てつつ、社内の席順は新人同士で固まらないようにした。各部署が新人に10%の時間を割くルールで、全社的に育成に携わる体制に。
4.成果を事業開発と直結
ミッションであるアプリのモック版を完成させることで、実際に社内の事業プロジェクトとして走り出す。
5.多人数×短時間の進行
プロジェクトの進行に応じて「必要な時だけ、必要なスペシャリストがピンポイントでサポート」という体制をとった。多人数の人が短時間のコミットを積み重ねることで、スピードを実現した。
「実践型研修期間」新入社員はどう見る?
こうした研修が、新入社員には実際、どう影響したのか。
「研修のためのプロジェクトではなく、事業として展開していくという話に、プレッシャーを感じたりもしましたが、同時にワクワクしていました」
新入社員の新井は、4月からの「実戦型研修期間」の心境をそう振り返る。
FIXER新入社員の一人、橋口真和。「研修」のスピードを実感した。
沖縄の高専出身の橋口真和も「最初のプロジェクトがこんなに大きくて、こんなスピードで進むものだとは思っていませんでした」と、新鮮に感じた。
実戦型研修に、新入社員たちの相談役の一人として関わった、営業企画部で事業開発を担当する竹中悠馬の実感はこうだ。
「どこまでが研修で、どこからがプロジェクトかわからない日々です。そういう意味では、de:codeのカンファレンスも、ゴールのようでマイルストーン(通過点)でしかない」
研修中とはいえ、新入社員たちにプロジェクトとして、竹中が指示を出すことも多かった。
「研修から実際のプロジェクトに継ぎ目なく、入れた感じです」(竹中)。
目的は「急成長を初期に体感させる」
日本は構造的な人手不足で、特に若手の転職は売り手市場だ。入社して間もなく、新人研修を終えて配属が決まるあたりで辞めてしまう新入社員は、珍しくない。
ベンチャーであり、ITエンジニアという職種の話ではあるが、FIXERのような実戦型研修は、他業種や別の規模の会社でも応用できるのか?
リクルート時代から、人事やマネジメントの研究に携わってきたFIXER副社長の中尾隆一郎は、こう言う。
「急成長を初期に体感すると、スピードが落ちた時に『最近、ダメだな』と自覚できる」と話す、副社長の中尾隆一郎。
「実戦型研修は、若い社員たちが急成長する可能性があります。急成長を初期に体感すると、スピードが落ちた時に『最近、ダメだな』と自覚できる。しかし、最初のスタートの角度が低いと、こんなものだと思ってしまい、ある時『成長していないぞ』と危機感を覚えて、辞めてしまう」
エンジニアの武田実は言う。
「座学中心の従来型研修でうまくいくのは、上の世代が正解を知っているケースだけ。(IT開発の現場のように)解などない、誰も分からない世界なら、新人がやってもいい。ただし、サポートはするよという体制があれば」
練習のための仕事は「ムダ」でしかない
de:codeのカンファレンスに向けたアプリの開発で、前出の新入社員の新井は、社内のデザイナーであるミッチェル・ポヤウに言われて、ハッとしたことがある。
アプリのデザインの提示を求められた時に新井は「その時点のもの」を提出した。de:codeで展示する際には、あらためて調整すると捉えていたからだ。
しかし、それを見たミッチェルの言葉はこうだ。
「本番用を作るんだ。そうしなければ、二度、同じ仕事をすることになる」
練習のための工程は「ムダ」という考えだ。FIXERの新入社員研修も、まさに同じ構図だ。
「新人に任せられない」と決めつけず、初めから本番の仕事をする。変化のスピードの早い今の時代だからこそ、時間をかけて慣らすよりも、有効なのかもしれない。(敬称略)
(文・滝川麻衣子、写真・今村拓馬)