親の「困った」気持ちに寄り添う「大丈夫!カレンダー」。子育てに関するさまざまな悩みに答えている。
一見、どこにでもある卓上型カレンダーだ。A5サイズ、厚紙製で日めくり式。版画風の子どもの絵に添えられた「大丈夫!カレンダー」の名前がちょっと珍しい。一体、何が大丈夫なのか。
めくっていくと、子育てに関するさまざまな悩みに答えているのに気づく。例えば電車で泣く子の絵とそれを取り巻く大人の様子を描いた1ページには「みんな子ども時代があった」と記されている。食べ物で遊ぶ子、家事の最中足にまとわりついてくる子、そして道端に座り込んで動かなくなる子……育児経験を持つ人は、経験したことがあるシーンが版画風の暖かいタッチで描かれる。
目に留まるのは、親の「困った」気持ちに寄り添う言葉たち。例えば「抱っこ8割、家事2割」と書かれたページでは、子どもに向き合うことを優先したら、家事ができなくても罪悪感を覚える必要はないことが記される。どうしても家事をする必要がある時は「おんぶで」、というアドバイスは経験者なら「そう、そう」と思うことだろう。
カレンダーには日付しか書かれていない。月も年もないから、毎月繰り返し使える。0~2歳くらい、子どもと言葉でコミュニケーションができず親が悩み、ストレスをためがちな時期に使い続けることができる。
ホリエモン発言に怒り
このカレンダーを開発・制作したのは、合同会社はひぷぺぽの宮村柚衣社長。東京都墨田区で0~2歳の小規模保育所「ちゃのま保育園」を経営している。自身、2児の母である。
「ちゃのま保育園」経営者で「大丈夫!カレンダー」を開発・制作した、合同会社はひぷぺぽの宮村柚衣社長。
ちゃのま保育園は、保育士本位の人材マネジメントを重視している。保育士が、仕事と子育てを含む私生活を大事にしながら働ける環境づくりに力を入れてきた。例えば保育士自身の子どもの運動会と園行事が重なった時は、周囲が当然のように運動会に行ってあげて、と声をかける。
多くの園では園長が事務仕事をするが、ちゃのま保育園では事務手当を出した上で、ITが得意な若い保育士が事務を担う。おかげで定着率が高く、遠距離通勤でも「ここで働きたい」人がいる。
従業員満足が顧客満足につながるのは、ビジネスの常識だ。「下の子もぜひ入園させたい」という保護者が何人もいる。時に、上の子とは別の園になっても……という話が出るというから、信頼の厚さが伺える。
そういう園をゼロから作り、育ててきた宮村さんは昨年、到底、受け入れられない言説を目にした。起業家の堀江貴文さんが、保育士の賃金が低いのは「誰にでもできる仕事だから」「稀少性が低い」と発言したのである。
「それは間違っている!」。義憤を感じた宮村さんは決意する。「保育士さんのスキルとノウハウを製品化しよう」。
待機児童経験から保育園をつくった
もともと行政書士として、ベンチャー企業の立ち上げ支援をしてきた宮村さん。自身が待機児童保護者になったのがきっかけで、地元に保育園をつくってしまった。各種制度を調べ、実行に移す能力に長けている。人材マネジメントも得意だ。しかし「ものづくり」の世界は簡単ではなかった。
最初に手掛けたのは「手作りおもちゃ」。ちゃのま保育園で保育士さんが手作りし、子どもが大好きだった「布製のステッキ」を製品化しようと試みる。墨田区には町工場がたくさんある。試作品も作りやすい。
直面したのはコストと価格設定のギャップだった。コストから逆算すると1個1000円程度でないと採算が取れないが、保護者に「いくらで買う?」と聞くと「100円」と言われてしまう。1000円出す人は見つからなかった。
起業家塾で気づいたのは、保育士のスキルとノウハウの発信だった。
模索する中で助けになったのは、社会起業家を育成するNPO ETIC.と花王が共同で手掛ける「花王社会起業塾」に参加したこと。自身や組織の強み、弱み、事業機会などを考える「SWOT分析」をしたところ「自分はステッキを売りたいわけじゃない」と気づいた。
本当にやりたいのは「保護者を受容する保育士さんのスキルとノウハウを発信すること」。これこそが保育士は低賃金でも仕方ないという、著名起業家の発言に象徴される、社会の偏見を覆すことにつながる……宮村さんは考えた。
次の課題は「保育士のスキルとノウハウ」をいかなる製品・サービスによって具現化するか。給食なのか、はたまた子ども達の制作なのか、迷った末に思いついた「保育士さんのノウハウを入れたカレンダー」だった。一般的なカレンダーは商品の賞味期限が短く在庫リスクが高いことから、日めくり式で年・月を入れないカレンダーを作ることが決まった。
親の悩みに保育士が具体的なアドバイス
想定ユーザーは小さな子どもを持つ保護者だ。まずは保護者の困りごとを、アンケートや保育園の保護者会で集めていった。「夜、ちっとも寝ない」「道端に座り込んでしまう」など、さまざまな声が集まった。中でも多い悩みを中心に40個に絞り込んだ。
保護者の悩みをエクセルに入力し、ちゃのま保育園の先生に「アドバイスを書き込んで下さい」と頼んだところで次なる壁にぶつかる。保育士たちは、エクセルに書かれた「悩み」に対する「答え」を書き込むことができなかったのである。
「普段、園で見ていると、お母さん、お父さんたちにめちゃくちゃ素敵な言葉をかけているのに、エクセルを前にすると『……』となる。そこで、事務が得意な保育士さんに先生方にヒアリングしてもらいました」
こうして、カレンダーに書く「ひとこと」の種になるノウハウが言語化されていった。カレンダーに書かれたアドバイスは、発達障害の子どもの支援を手掛ける一般社団法人Kidsサポートデザインによる。ちゃのま保育園では、月2回、同法人の研修を受けている。発達障害の子どもに対する向き合い方を知ると、定型発達の子どもの保育の質も上がるためだ。
実は「大丈夫カレンダー」には、保育士のノウハウを製品化することに加え、もうひとつの目的がある。それは「発達障害の早期発見と、保護者の支援による虐待防止」(宮村さん)である。
「心に寄り添うものが欲しかった」
宮村さんは自治体の1歳半検診で、自身のお子さんが「発達障害の可能性がある」と診断された。ただし明確には言われないため、これからどうしたら良いか、迷いが募った。
発達障害の子どもに対する向き合い方を知ると、定型発達の子どもの保育の質も上がる。
「その検診で、絵本をもらいました。絵本も大切なのですが、保護者の心に寄り添うものが欲しかった。
その後、いろいろ調べる中で、発達障害の子どもが虐待を受けるケースがある事実を知りました。0~2歳の親は自分の子どもが発達障害という自覚がなく『育てにくい子』と思っていたりする。
私は2人子どもがいて、ひとりは発達障害、ひとりは定型発達です。発達障害の子どもへの接し方を知っていると、定型発達の子どもを育てる際も『寄り添って』育てる方法が分かるのです」
「大丈夫カレンダー」に描かれる絵や言葉を見ていて、筆者が思い出したのは自分の子どもが通っていた保育園の先生方のことだ。
ある日、子どもが園の玄関で大泣きし、全く動かなくなったことがある。途方に暮れていると先生は笑顔で言った。「そういう日もあるわよね」。子どもはしばらくすると機嫌を直していた。他の日は、何か相談事をして泣きそうになっているお母さんに「分かるわ」と声をかけている先生の姿を見かけた。
こういう言葉に助けられて、子どもがいちばん可愛くて、いちばん大変な時期を乗り切った親が日本中に何百万、何千万人もいる。それを可視化したのが「大丈夫!カレンダー」だと思った。
(文・治部れんげ、写真・今村拓馬)
治部れんげ:ジャーナリスト。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。経済誌の記者・編集者を経て、フリー。国内外の共働き子育て事情や女性のエンパワーメント、関連する政策について調査、執筆、講演などを行う。