英財務省は、イギリスの政府機関や省庁が立ち並ぶホワイトホール(Whitehall)と呼ばれる区域にある。2007年3月、ビッグベンのはす向かいにあるその建物の会議室では、イングランド銀行と財務省の若手有志たちが集まって、世界の金融問題について議論をしていた。
当時、英財務省で働いていた柴山和久もその勉強会に出席していた一人だ。
ロンドン・ホワイトホールにある公衆電話ボックス。
REUTERS/Luke MacGregor
エコノミスト、金融機関やコンサルティングファームの出身者、データアナリスト……。各界のエリートたちを有するイングランド銀行と英財務省でさえ、金融危機(日本では「リーマン・ショック」で知られる)がイギリスの小さな銀行から始まるとは予想できなかった。
若手有志たちがその後、議論を深めるよりも早く、イギリスでは150年ぶりとなる銀行の破綻が起きる。リーマン・ブラザーズとの取引を始めて、サブプライムローン(信用力の低い個人や低所得者層を対象にした高金利の住宅ローン)市場に参入していたイングランド北部の小さな銀行、ノーザンロックが取り付け騒ぎを引き起こした末、2007年7月に破綻した。
危機の始まりは知性の限界
ニューヨーク証券取引所のトレーディング・フロアにあったリーマン・ブラザーズのブース(2008年9月16日に撮影)
REUTERS/Brendan McDermid/Files
大西洋の向こう側、アメリカで燃え盛ろうしていたサブプライムという名の火事は、対岸で見ていたイギリスのお尻に飛び火すると、強まる炎は再びアメリカに襲いかかる。投資銀行大手のベア・スターンズが経営破綻すると、リーマン・ブラザーズは2008年9月15日に後を追った。メリル・リンチはバンク・オブ・アメリカに買収され、保険大手のAIGは国有化された。危機の連鎖は広がり、金融危機は世界を覆った。
「一番学んだのは、知性の限界です。あれだけ優秀な人を集めて、あれだけの多くのデータを集め、膨大な情報を分析しても金融危機を予見できなかった。あるいは、金融危機は予見できないから危機なんです。地震などの災害に似ていて、絶えず備えておかないといけない。そして、危機は小さく弱いところから始まるんです」
と柴山は当時を振り返る。
2000年に日本の財務省に入省した柴山は2006年、イギリスの財務省に出向すると、保健省の予算を担当する課で働いていた。柴山が当時、出席していた若手勉強会では、アメリカのサブプライムローンから派生した問題がどう軟着陸するか、そしてソフトランディングできなかった場合、イギリスに影響を及ぼすのかが議論の焦点だった。
「財務省の会議室で開かれていた勉強会で、大手銀行のバークレイズやHSBCではなくて、小さなノーザンロックの破綻を予見する者は一人としていなかった。あくまで、アメリカの問題という意識があり、まさか自分たち(イギリス)の足元に火がつくとは誰も思っていませんでした。そもそも、イギリスから金融危機が始まること自体を予見できていなかったように思います」(柴山)
柴山はノーザンロック破綻の3カ月前、2003年にハーバード大学に通う頃に出会ったアメリカ人女性と結婚する。後に、柴山が始めるベンチャー企業のビジネスにも影響を与える。
危機から生まれた新たな価値観と産業
2018年8月、インタビューに答えるウェルスナビ創業者・CEOの柴山和久氏。
撮影:今村拓馬
金融危機から10年の間で、大きく変わったことは何か?柴山は「特にアメリカでは新しい価値観が生まれ、速いペースで広がった。そして産業を作った」と答える。
「自分の頭で考え、自分で行動することが大切なんだという思いが強くなったと思います。危機の前まで、アメリカの金融業界はものすごく上手く成長していて、それがある意味、あるべき姿であり、完成された経済のあり方だろうという雰囲気があった」
さらに、「根拠なき熱狂でも熱狂しないといけないという雰囲気があった。そして、ある時突然、宴が終わった」と柴山は話す。
アメリカのトップの学生は金融界を目指し、宇宙工学を勉強してきた学生でさえも金融機関で働いた。しかし、金融危機を機に、多くの学生は自分がやりたいことは何か、自分が本当に価値があると思うものは何かを、より考えるようになった、と柴山は言う。
金融界から優秀な人材が他の産業に解放されると、多くはテクノロジー分野に流れ、GAFA(グーグル、アップル、Facebook、アマゾン)を中心とするテクノロジーが、金融に代わってアメリカの成長エンジンになった。
テクノロジーは、インターネット検索やSNSなどの規制の少ないエリアから規制領域にまで広がる。タクシーと宿泊領域ではウーバー(Uber)やAirbnbが新たなイノベーションを創り、医療や金融、教育では多くのベンチャー企業が生まれてきた。
日本の1800兆円は動くのか?
夏の嵐が過ぎ去り、晴れ渡るニューヨークのセントラルパークの芝生でくつろぐカップル。
REUTERS/Eric Thayer
2008年に日本に帰国して翌年に財務省を辞めると、柴山はINSEAD(ビジネススクール)でMBAを取得しようとフランスに渡る。その後、コンサルティングファームのマッキンゼーで約5年働いた後、資産運用のロボアドバイザーを運営するウェルスナビ(WealthNavi)を2015年に起業した。
柴山はなぜロボアドをライフワークとして選んだのか?
日本の家計金融資産は約1800兆円ある。そのうちの1200兆円は現在、高齢者が保有し、全体の52%は現預金という状況だ。対照的に、アメリカの現預金率は13%で、ドイツは39%。イギリスとフランスは、ドイツとアメリカの中間に位置するという。
日本では国が年金と医療、企業が退職金を支払ってきた。年金や医療制度が異なるアメリカでは、長きにわたり個人が相当の資産運用をしないと、老後の資金を賄うことが難しい環境がある。また、医療制度が充実しているヨーロッパの国々で、現預金の割合が日米の中間である25%〜40%を推移していることはうなずける。
少子高齢化の日本では年々、年金制度に対する不安は強くなってきている。終身雇用の日本型経営は一部の大企業で継続されているが、大企業から転職をする労働者は増え、退職金を目当てに働き続ける人の数は減少傾向にある。
「アメリカのような13%に近づくとは1ミリも思っていないですが、ドイツ並みの資産配分になっていくと考えています」と柴山は言う。「特に若い世代はこれから、働きながら資産運用をする人の数が増えていきます」
世代を超えて蓄積される知識
リーマン・ショックから柴山が学んだことは、「知性の限界」だったという。
撮影:今村拓馬
アメリカやヨーロッパでは個人の資産運用における知識と経験が、世代を超えて蓄積されているが、積極的な資産運用をする必要のない日本社会にはそれが欠如していると、柴山は日本の課題を説明する。
「私の妻の両親は若い時から資産運用をやってきました。長期積み立て・分散投資が正しいという知識がある。当然、リーマン・ショックも乗り越えてきました。パニックになって売ることもしなかった。そして、妻は今年2月に株価が下落しても、動じることはなかった。アメリカ社会全体に蓄積されている知識と経験が次の世代にシェアされているなと思いました」
ロボアドでは、アメリカは日本のはるか先を走る。ベンチャー企業で始まった独立系のベターメントの預かり資産は、1.5兆円を超える。一方、柴山のウェルスナビは8月、預かり資産が1000億円に到達したと発表した。規模の差はあるが、ウェルスナビの拡大スピードは速い。ベターメントが1000億円に拡大させるのに4年半を要したのに比べ、ウェルスナビはわずか2年でその規模に膨らませている。
柴山はこう言う。
「2020年に1兆円を目指しています。それは変わりません。日本のロボアド市場はその頃に2兆円くらいまで拡大できれば良いと思っています。1800兆円のうちの1兆円です。そこがスタートラインです。働く世代が資産運用をしないといけない社会になる時、誰もが使える資産運用サービスにならないといけない」
「過去数十年の間、5年くらいごとに金融危機は起こっています。危機を乗り越えてきた義理の父や母のように、これから私たちも起こりうる危機を乗り越えていかないといけない」(敬称略)
(文・佐藤茂)