女子体操選手vs塚原夫妻の対立はなぜ起きた。「選手ファースト」でない事情とは

次々パワハラなどが明らかになるスポーツ界で、今度は女子体操界でのパワハラが告発された。一部実力者によって選手強化や選考が独占されているとの告発で、スポーツ界のあり方がまた問われている。

宮川紗江選手

リオ五輪の女子体操団体で4位入賞の原動力となった宮川選手。得意種目は床だ。

Minas Panagiotakis/Getty Images

リオデジャネイロ五輪体操女子団体で4位入賞に貢献し、10月開幕の世界選手権(カタール)代表候補でもある宮川紗江選手(18)が8月29日、自身への暴力行為で速見佑斗コーチ(34)が日本体操協会から受けた無期限登録抹消などの処分軽減を求めた会見で、塚原光男副会長(70)と塚原千恵子女子強化本部長(71)のパワハラを告発した。

協会側と宮川選手が説明した経緯と内容は以下の通り。

体操協会側と宮川選手が説明した経緯と内容の時系列表。

各報道を元に筆者作成

日本体操協会の具志堅幸司副会長(61)は第三者委員会の設置を示唆するとともに「この際、全部の膿を出して新しく出発しないと、東京五輪はあり得ない」と言い切った。

一方で、塚原夫妻の代理人である弁護士が、両人に対する取材について「個人の尊厳を傷つけない慎重な対応」を求め、「行き過ぎた取材や報道」に対しては人権侵害の申立て、各法的措置も含めて、厳重に抗議すると報道各社へ通達。千恵子氏が一部のメディア取材に応じるなど、協会幹部でありながら協会とは別行動にも出ており、協会内部の混乱は隠せない。

勝ち続けてきた競技で明らかになるパワハラ

五輪でメダルを量産する「御四家」と呼ばれる水泳、柔道、器械体操、レスリングのうち、レスリング、体操の2団体で協会幹部によるパワハラ問題が発覚した。同様の問題は日本ボクシング連盟でも騒動になったが、いずれも「選手が勝ち続けてきた競技」。にもかかわらず、「選手ファースト」に軸足を置いていない様子がうかがえる。

レスリングの伊調馨選手

五輪でメダルを量産する競技であるレスリングでも指導者のパワハラが告発された。

Lars Baron/Getty Images

体操については、速見コーチの暴力は決して放置してはいけない問題ではあるが、そもそも指導者の管理及び選手のパワハラへの意識向上は協会にも責任がある。

加えて、選手をよりよい環境に導く本来の役割を踏まえると、塚原夫妻が合宿中の宮川選手にコーチからの暴力の有無を確認したり、離れるよう説得したことは果たして正しい「指導」だろうか。

日刊スポーツが8月30日に配信した記事(塚原氏「黙ってないわよ」パワハラ否定/一問一答)によると、速見コーチからの暴力を宮川選手が「練習指導の一環だと思う」「親も容認している」と答えたのに対し、千恵子氏は「暴力があるのを家族も認めているのは異常だから、あら~宗教みたいね、とは言った。それがだめなの?」と話している。

本部長が指導上の暴力根絶の必要性を理解していることは分かったが、ここはより丁寧に対応すべきではなかったか。

対立構造つくるより先にやるべきこと

先にも書いたが、選手のパワハラへの意識の低さは競技団体が指導すべき課題でもある。本来なら「まだ理解できていないのは自分たちの伝え方が足らないのだ」と自省し、時間を置いてパワハラに関する研修機会を設けることも選択できた。「宗教みたい」などと、彼女が大事に感じているコーチや家族を侮辱するかのような表現は慎むべきだった。

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さらに言えば、宮川選手の成長を本当に望むのであれば、速見コーチが矯正のための研修を受け、正しい指導を学ぶ謹慎期間の間、彼女がどうしたいのか、本当に彼女のためになる方法は何かを協会全体で考えていく。それが本来の選手ファーストだろう。 結果として対立構造を作ってしまったことは、「勝手に会見した」と怒るのではなく、反省すべき点に思える。

所属クラブコーチを大切にする競泳

リオ五輪に体操女子日本代表

東京五輪まであと2年という中で、選手たちにとって最善の練習環境を考えるべきではないだろうか。

David Ramos/Getty Images

宮川選手のさらなる成長のために、速見コーチとは違う経験や知見をもつ高いレベルの指導者に教えさせるという狙いがあったのかもしれない。しかしながら、思春期を経て心身とも成人の領域に入る繊細な18歳に対しては、8年間の絆がある師弟関係を無視せず、言葉できちんと説明し、本人の意向をじっくり聞いたほうがよかった。

体操のように選手が各クラブ単位で活動する個人競技としては、競泳や卓球、フィギュアスケートなどがあるが、いずれも開始年齢が低いこと、指導者との師弟関係が深い点で通底している。

よって、どの競技も代表クラスになれば、所属先のコーチとの関係を大事に扱う。例えば競泳は、海外遠征に代表コーチだけでなく、それぞれの所属コーチを帯同させることが多い。1990年代くらいまでは活動予算が十分でなく叶わなかったが、当時から日本水泳連盟の強化担当者は国際大会のたびに、「できれば(代表選手の所属コーチは)全員連れて行きたいのだが」と苦悩していた。

心の安定には「恒常性」が必要

池江璃花子選手

個人競技で代表選手になった場合、所属クラブのコーチとの関係をどう維持できるかが、成長に大きな影響を与えるという。

Robertus Pudyanto/Getty Images

子どもの心の安定には毎日いつも通りの環境という「恒常性」が必須と言われるが、これは1センチのジャンプのずれがパフォーマンスを狂わせる、繊細な体操選手にも同じことが言えるのだ。

千恵子氏は「全日本で7位だったから、このままでは五輪に行けなくなるわよ、と言っただけ」とパワハラを否定している。パワハラはいじめ同様、受け手がそう感じれば、送り手は問題だと受け止めなくてはならない。

そもそも、このように選手を圧迫する言い方は、今のスポーツの指導スタイルにはそぐわない。未熟な若いコーチならともかく、協会を代表する立場の人に理解されないのであれば残念でならない。

スポーツ環境におけるハラスメントを研究する明治大学政治経済学部の高峰修教授は、体操協会に依頼されて指導者向けのセクハラ研修を行ったことがある。2017年、国際体操連盟(FIG)会長に就任した渡辺守成氏(58)が専務理事だった頃の話だ。

「他の団体に比べると、体操協会はパワハラや体罰根絶に非常に熱心で、本気で取り組んでいらっしゃると感じた」と振り返る。

渡辺会長は、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長からIOC委員として推薦されており、10月のIOC総会で正式決定するのを待つばかりだ。

パワハラ問題から協会のガバナンス問題に

東京五輪を控え、日本スポーツ界にとって大事な時期に起きた今回のパワハラ騒動。日本大学アメリカンフットボール部の悪質タックル問題が、監督のパワハラから大学のガバナンスへと問題の軸を移したように、体操もその可能性が高くなった。

田中理恵さん

宮川選手の告発に支援を申し出る元選手らも相次いでいる。

Cameron Spencer/Getty Images

すでに2012年ロンドン五輪代表の田中理恵さん(31)や鶴見虹子さん(25)ら元選手らが、SNSで宮川選手への支援と問題解決への協力を表明している。

日本体操協会は18歳と71歳の対立構造から早く離れて、協会内部を改革する道を急いでほしい。


島沢優子:フリーライター。筑波大学卒業後、英国留学など経て日刊スポーツ新聞社東京本社勤務。1998年よりフリー。週刊誌やネットニュースで、スポーツ、教育関係をフィールドに執筆。『左手一本のシュート 夢あればこそ!脳出血、右半身麻痺からの復活』『部活があぶない』など著書多数。

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