経団連の中西宏明会長の「就活ルール」の廃止発言が波紋を広げている。2021年春入社の学生の就活指針を出さないことについて、「今はそういうつもりだ。経団連としてはまだ決めていないが、各方面とそういう話をして誰も反対していないので、意見が通ると思っている」(9月3日の記者会見)と発言した。
「誰も反対していない」と言うが…
突然飛び出した経団連会長の「就活指針廃止」発言。学生や企業にはどんな影響が出るのか。
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経団連の就活指針は2020年入社の学生までは会社説明会が3月、採用面接の解禁が6月と決まっていた。2021年以降については検討中とされていたが、多くの人事関係者は説明会が前年の12月、面接解禁が4月と、2015年までのルールに戻すだろうと見ていた。それが突然のルール廃止宣言に驚いた企業も多かったのではないか。
中西会長は「(廃止に)誰も反対していない」と言うが、日本商工会議所の三村明夫会頭は6日、「何らかのルールがないと就職活動が際限なく早まってしまう」と反対している。また大学側も日本私立大学団体連合会も現行のスケジュールを堅持すべきと反対の立場を表明している。
中西会長自身も発言2日後の9月5日、「採用の問題や日本の雇用制度、大学側の問題も相当ある非常に幅の広い課題なので、よく(政府・大学と)一緒に検討していこうという呼びかけだ」(「日本経済新聞」9月6日付朝刊)と発言。ややトーンダウンしており、実際にルールが廃止されるのか決まったわけではなさそうだ。
採用活動は“何でもあり”に
仮にルールが廃止されると企業の採用活動は“何でもあり”の状態になる。経団連加盟企業のサービス業の人事部長は廃止のメリットについてこう語る。
「企業にとっては青田買いができます。絶対に欲しい学生に狙いを定めて早くからあの手この手の効率的な採用も可能になります。一方、学生の側も上位校や優秀な学生にとっては、例えば1、2年生からヘッドハンティングのように企業からオファーがくるようになるかもしれない。企業が採りづらいと感じている大学、学部、特定の専門分野を持つ学生はかなり有利になるのではないでしょうか」
上位校や優秀学生の争奪が進む一方、デメリットも当然発生する。
「早く学生とコンタクトを取るほど、採用活動が長期化します。欲しい学生との関係を長期に維持するためには今の採用部門の体制ではこなせなくなり、大幅な増員または外注化が進み、採用費は相当膨らむ。体力のあるライバル企業がなりふり構わぬ採用方針に切り替え、採用したい学生をインターンシップと称して無料で海外セミナーに連れ出して囲いこんだり、高い時給のアルバイトで仕事を体験させたりするなど、採用につなげるいろんな手口を早くから行うのではないかと危惧します」(前出のサービス業人事部長)
採用担当の疲弊と内定辞退続出
ルール廃止で採用活動、就活共に長期化を危惧する声が多い。
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学生を早期に囲いこむにしても結果的に体力勝負になり、コスト増加の要因にもなる。就職支援コンサルティング会社モザイクワークの髙橋実取締役COOは企業側のメリットはほぼないと指摘する。
「そもそも新卒一括採用の目的は、どんな学生もどんな企業もスタートラインを一緒にして就活・採用の不平等をなくすことにあります。このルールを外すと、競争相手(競合企業)が見えないなかで戦わなくてはならない、また就活の“山”が見えないので、ずっと採用活動を続けなければならなくなります。採用担当者が豊富な大手企業はいったん先行しても、通年で張り付かねばならないので疲弊する、あるいは終わりが見えないので内定辞退が多発します。とくに採用力のない中小・零細企業は雇用確保が難しくなる。就活時期の長期化とそれに伴う業務負担の増加は百害あって一利なしと言えます」
もちろん学生もルール廃止になれば就活の長期化は避けられない。一部の優秀な学生には早期のオファーがあるにしても、普通の学生は企業の勝手な動きに翻弄され、腰を据えて企業をじっくり観察する機会が失われてしまい、マッチングの精度も落ちる可能性が高いだろう。
インターンシップが機能しなくなる?
現在でもインターンが事実上の採用活動の始まりと言われるが…。
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経団連の中西会長の廃止発言の背景には、ルールがあっても縛られない外資系やIT企業などの経団連非加盟企業の存在や加盟企業でも面接解禁前に内々定を出す企業もあるなど、形骸化している現実への問題提起もある。確かにルールがあっても実態としては破られ、真面目にルールを守っている学生を巻き込んでいる現実は倫理的にも教育上もマイナスでしかない。
就活指針自体を見直す必要はあるだろうが、とはいえ、ルールの廃止は前述したように弊害も大きい。毎年数百人単位の採用を実施している経団連加盟企業の建設業の人事担当者は、「すでに定着したインターンシップを通じた採用戦略を破壊することになりかねない」と危惧する。
大手企業の多くは大学3年生になった直後の5月頃にインターンシップのポスターを作成し、大学に告知する。そして6月初旬から中旬に各就活サイトが開催する「夏期インターンシップ合同説明会」が事実上の就活スタートになる。企業は会場に来た学生にインターンシップの参加を促し、応募学生を対象にインターンシップ参加者の選考を行う。インターンシップが事実上の第一次採用選考となり、翌年の5月までに「合格」を通知し、6月1日以降に内定を出している。
さらに6月1日から「一般選考」が始まり、7月末までに内定を出し、全選考が終了するというパターンである。経団連加盟企業の多くがこの仕組みを導入し、すでに定着しつつある。建設業の人事担当者は採用者全体に占めるインターンシップ参加者の比率は事務系で25%、技術系で75%を占めると言う。
「インターンシップによる選考は、大学でいえば推薦やAO入試と同じ扱いと考えています。インターンシップやその後の交流を通じて学生と企業双方のマッチング精度が上がり、入社後の定着率も高くなっています。今の時点では採用手法としてベストだと考えています」(建設業人事担当者)
AO入試とはよく言ったものだが、ルールを逸脱していることに変わりはない。しかし、インターンシップが採用に有利に働くことから、今では大学のキャリアセンターも学生に必ず参加するように呼びかけている実態もある。
「遅く採用した学生ほど早期離職」
就活ルールが廃止されると、就活サイトと連携したこの仕組みもなくなる可能性が高い。先の建設業の人事担当者はこう指摘する。
「通年採用になると採用予定数に届かず、ずるずると採用活動を長くやることになります。じつはかつて12月まで採用を続けたことがありますが、遅くなって採用した学生ほど早期離職や問題を起こす学生が多かったのです。ルールがなくなり今よりももっと選考が早まると、採用数の確保がより困難になります。中西経団連会長の出身母体である日立製作所も毎年数百人単位で採用していますが、確保も容易ではないはずです。ルール廃止を本気で考えているとはとても思えません」
中西会長は採用活動について「個社の方針を大事にしていく。違いがあってしかるべきだ。制度を作り直すには時間がかかるが、やっていくべきだ」とも発言している。もちろん正論であり、理想だろう。
モザイクワークの高橋氏も、「自社の採用要件を明確化し、自社に合う候補者だけが来る採用手法を確立し、大学と教育機関と連携した独自の採用戦略を確立していくべきですが、その仕組みを作るには相当骨が折れますし、時間もかかるでしょう」と指摘する。
就活ルールを廃止すると企業・学生にとって混乱は避けられない。それが一時的か長期に及ぶのかわからない。だが、学生と企業双方が満足できる仕組みが確立できなければ、再び「就活ルールが必要だ」という揺り戻しが起こりかねない。
溝上憲文:人事ジャーナリスト。明治大学卒。月刊誌、週刊誌記者などを経て独立。人事、雇用、賃金、年金問題を中心テーマに執筆。『非情の常時リストラ』で2013年度日本労働ペンクラブ賞受賞。主な著書に『隣りの成果主義』『超・学歴社会』『「いらない社員」はこう決まる』『マタニティハラスメント』『辞めたくても、辞められない!』『2016年残業代がゼロになる』『人事部はここを見ている!』『人事評価の裏ルール』など。