26歳が立ち上げた「シリア難民のレストラン」灰色の街ではないシリアを知ってもらうために

7年にわたって続いているシリアの紛争。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のデータによると、国外に逃れているシリア難民はすでに560万人を超えている。そのうち、日本が難民として認定したのはわずか12人。

日本では遠い中東の国に対しての関心が薄い。シリアに少しでも関心を持ってもらおうと、食を通じたプロジェクトが立ち上がった。主導したのは、「それまでシリアについてはほとんど知らなかった」という26歳だ。

青山にオープンしたシリア料理レストラン

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青山の「ナーゼムレストラン」

9月に青山一丁目で開かれた「シリア料理レストラン」に行ってみると、お昼時はほぼ満席だった。

9月上旬、青山一丁目駅近くにあるイベントスペース。明るい日差しが差し込むフロアには、こんがりと焼けたチキンのジューシーな香りが立ち込める。

食卓に並ぶのは、スパイスをふんだんに使ったピラフ、オリーブオイルとレモンで和えたチョップドサラダ、ひよこ豆のペースト(フムス)、やさしい甘みのある野菜スープなど。

シェフとして厨房に立つのは、2015年にシリアから日本に移住したナーゼムさん(55)と、それを手伝う息子のヤーセルさん(26)。

このプロジェクトを進めたのは、26歳の森川智貴さんだ。

「灰色の街」ではないシリア

今回のプロジェクトを主導した、森川智貴さん(左)、田中まさゆきさん(中央)、佐々木北斗さん。

今回のプロジェクトを主導した森川智貴さん(左)と、運営に関わった田中まさゆきさん(中央)、佐々木北斗さん。

「僕にとって、シリアのイメージは『灰色の街』でした」

森川さんはそれまで、中東に行ったこともなければ、シリア料理を食べたこともなかったという。

慶應義塾大学環境情報学部を卒業後に、医療ITコンサルの仕事をしていたが、会社の方向性と自分がやっていた仕事に次第にずれが出始め、2017年3月に独立・起業した。

もともと、医師を目指していたという森川さん。起業はしたものの、「恵まれない人や困っている人を助けるために、医師になりたいと思っていたのに」と、ウェブサイト制作や事業プロデュースといったコンサルティングだけを続けることに、成長の限界を感じ始めた。

そこで同年、「TaiYou Symphony-太陽交響曲-」という音楽を通じて社会事業を支援していく慈善団体を立ち上げる。シリアと出合ったのは、その勉強会でのことだった。

シリア料理って、実はフランス料理と同じくらいおいしいんだよ

勉強会で出会ったある国の大使夫人からそう聞き、半信半疑ながらも、その後シリア料理を口にした。森川さんはそのおいしさに衝撃を受けたという。

青山の「ナーゼムレストラン」

レストランのメニューは、スパイスをつかったピラフ(鶏肉添え)や、フムス、オリーブオイルとレモンで和えたサラダなど。

シリアという国が持つネガティブなイメージに反する料理のおいしさのギャップを、いろいろな人に知ってもらいたい。

必死で実現する方法を探していた時、手を差し伸べてくれたのは、同じ26歳の佐々木北斗さんだった。

「ひもの屋」など、多くの飲食店経営を手がけるsubLime社でAOYAMA TERRACEの事業責任者を務めていた佐々木さん。友人の紹介で森川さんと出会い、格安でスペースの提供を申し出た。

同じ頃、森川さんはシリアから2015年に日本へやってきたナーゼムさんに出会う。

ナーゼムさんは、シリアのシェラトンホテルやフォーシーズンズホテルなどの一流レストランでシェフとして働いてきたが、紛争のためにすべてのレストランが閉鎖。その後、ドバイ滞在を経て、すでに難民として移住していた家族のいる日本へとやってきた。

「この人しかいない」と、森川さんはシリア料理レストランの構想を持ちかけ、わずか3週間足らずでオープンにまでこぎつけた。

日本よりも治安が良かった国

シリアの写真

中野さんが撮った、2011年以前のシリアの写真。

8月下旬、クラウドファンディングでプロジェクトを公開すると、SNS上で瞬く間に拡散された。投稿はフェイスブックでのシェアが1700以上となり、1週間で92万6000円の支援が集まった。

来店者たちの声でにぎわうフロアの壁には、美しい風景と、笑顔の人々の写真が並ぶ。騒乱が始まる、2011年以前のシリアの写真だ。

シリアって、何十年も前から『世紀末』みたいに思われがちなんですけど、すごく豊かだったし、治安も日本より良いくらいだったんですよ

そう話すのは、2008年から2010年まで青年海外協力隊の一員としてシリアに滞在していた中野貴行さんだ。

森川さんにナーゼムさんを紹介した人でもあり、今はシリアの教育を支援する団体「Piece of Syria」を通じて、紛争が始まる以前のシリアの様子などを広く伝えている。

動画:idea journey

中野さんの仕事の一つは、「灰色の街」「紛争の国」のイメージがあるシリアが、ほんの数年前までは安全で、平和な国だったことを知ってもらうことだ。

560万人を超える難民、日本の受け入れは12人

ナーゼムさんとヤーセルさん

ナーゼムさんとヤーセルさん親子。料理を渡しながら一人ひとりと会話を交わしているところが印象的だった。

UNHCRが発表しているデータによると、2018年9月時点で、シリア難民は560万人を超えている。

一方、日本の法務省によると、2011年から2017年までに難民申請したシリア人の数は81人。そのうち、認定されたのはわずか12人だ。

難民として認定はされなかったが、人道的配慮として日本での滞在を認められた人が56人いるとはいえ、全体の数を考えると多いとは言えない。

今回のレストランを手伝ったのは、前述したナーゼムさんと息子のヤーセルさん。ヤーセルさんは2013年10月、母と妹とともにシリアから日本へと移り住み、半年後、難民として認定された。ダマスカス大学の学生だった2011年にシリアで紛争が起き、卒業できなかったのだという。

ヤーセルさんは今は奨学生として明治大学で学びながら、フリーランスの翻訳・通訳の仕事も請け負う。過去にはレストランでのバイトなども経験した。ヤーセルさんは「日本はすべてゼロからのスタートだった。シリアに戻っても家も仕事もない。けれど、平和になったらまたシリアに旅行しに行きたい」と語る。

会場には、このプロジェクトで初めてシリアの現状について知る機会を得た、という人のほか、2011年の騒乱前にシリアに旅行に行ったことがある、と話した人も。「あんなに美しかった街が、信じられない」と、みな口を揃えた。

森川さんは、次はこのレストランを期間限定ではない形でもう一度オープンしたいと考えている。

「どんな形になるかは分からないけれど、このプロジェクトを通じて色々な人とのご縁もつながった。(シリアの人たちが)可哀想だから、というのではなくて、ひとりの人間として対等に話し合える環境が作れれば

一部、写真を差し替えました。2018年9月12日 23:30

(文・写真、西山里緒)

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