1970年代のウォーターゲート事件をめぐる調査報道で、リチャード・ニクソン大統領を退陣に追い込んだアメリカ稀代の敏腕記者、ボブ・ウッドワード氏(75)が9月11日に新著『Fear: Trump in the White House』(仮訳:恐怖─ホワイトハウスの中のトランプ)」を出版した。
暴露本が明かすトランプ大統領の狂人ぶりは、想像以上だ。実は米朝は一触即発のところまで行っていた。
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この新著の題名が何を意味するのかは、エピグラフ(巻頭の引用句)を読めばわかる。
「真の権力とは……この言葉はあえて使いたくはないのだが……恐怖だ」(“Real power is—I don’t even want to use the word—fear.”)
これは、ドナルド・トランプ氏が大統領就任前の2016年3月、ウッドワード氏らの取材に対して述べた言葉だ。つまりトランプ大統領にとっては、権力=恐怖。そして、権力を掌握するためにも「恐怖」は不可欠との認識だ。
この新著は、ホワイトハウスで周囲に「恐怖」をまき散らす大統領の数々のエピソードを暴露している。大統領の常軌を逸した言動や衝動的な性格、国際情勢についての関心や知識のなさ、さらにはホワイトハウスの機能不全を指摘している。
本の中では、ジョン・ケリー大統領首席補佐官が内輪の会合で、大統領について「彼は間抜けだ。何事も彼を説得するのは無意味だ。彼は頭が狂っている。私たちはクレージータウンにいる。なぜ私たちがここに居るのかさえ、私には分からない。私の人生で最悪の仕事だ」と述べたと記されている。
対北朝鮮の新たな戦争計画策定を指示
トランプ大統領(左)のツイッター運用に危機感を募らせるマティス国防長官(右)。
448ページに及ぶ本の中で日本に関係の深い問題として、朝鮮半島情勢をめぐり、トランプ政権の中枢が危機的な状況に陥った局面が注目に値する。
トランプ氏は2016年11月8日の大統領選から2日後、当時のオバマ大統領とホワイトハウスで会談した。予定では会談は約20分間だったが、1時間以上に及んだ。この場でオバマ大統領は、北朝鮮問題が最大の頭痛の種であり、トランプ氏が大統領に就任してから「それがあなたにとって最大の悪夢となるだろう」と警告した。
トランプ大統領は2017年1月の就任から1カ月後、軍制服組トップのジョセフ・ダンフォード統合参謀本部議長に北朝鮮を先制攻撃する「新たな戦争計画」を策定するよう指示し、動揺させていたことも、ウッドワード氏は新著で明らかにしている。動転するダンフォード統合参謀本部議長が同年2月、共和党のリンゼー・グラム上院議員の事務所を訪れ、そのことを打ち明けたという。
金正恩朝鮮労働党委員長は2018年1月1日の「新年の辞」で、「核のボタンが私の机の上に置かれている」と述べ、圧力を強めるアメリカを牽制した。これに対し、大統領は翌日、自分の核兵器ボタンの方が「はるかに大きく、強力だ。それに私のボタンは作動する」とTwitterに投稿し、対抗した。世界に核戦争の緊張が走った瞬間だった。
金正恩暗殺の極秘訓練
さらにウッドワード氏の本は、アメリカ空軍が2017年10月17日から19日にかけて、北朝鮮と地形の似た中西部ミズーリ州オザークで、金正恩委員長を暗殺する訓練を極秘に実施していたと記述している。有事の際に、北朝鮮が何らかの行動を起こす前に、ステルス爆撃機が金委員長を標的にして、先制的にピンポイント攻撃を実施するというものだった。
2015年に米韓の間で作成された新たな作戦計画「OPLAN5015」で、特に金委員長を中心とする北朝鮮指導部への空爆オプションが練られている。
作戦シナリオの作成は軍としては当たり前のことで、万が一の場合にどこを攻撃し、どの施設を破壊するかは常日頃から検討し作戦を練っていくことは大事な任務の一つだ。だが、実際に戦争を始めることは別問題だ。
戦慄を覚えた国防総省幹部
ウッドワード氏によれば、米朝の緊張が高まる中、大統領は2018年初め、在韓米軍2万8500人の家族全員を韓国から避難させる命令(NEO=非戦闘員退避作戦)を表明するツイートを投稿しようとしていた。しかし、そもそも在韓米軍家族の韓国からの避難については、北朝鮮が「アメリカ軍による攻撃の前触れ」と深刻に受け取る危険性があった。実際に、ハーバート・マクマスター大統領補佐官(国家安全保障担当)は2017年12月4日、仲介者を通じ、北朝鮮の外交を統括する李洙ヨン(リ・スヨン)朝鮮労働党副委員長から、「民間アメリカ人の避難は、我が国への差し迫った先制攻撃の兆候とみなす」との警告メッセージを受け取っていたという。
大統領によるこのツイートの草案を知り、ジム・マティス国防長官やダンフォード統合参謀本部議長らペンタゴン幹部は、戦慄を感じたとされる。なぜなら、アメリカ軍の最高司令官である大統領が、そのような重大な民間人退避命令の意図をツイートで明らかにするなどとは、およそ考えられなかったからだった。
結局、そのツイートは投稿されなかった。しかし、仮に投稿されていた場合、金正恩委員長を攻撃に駆り立てていた可能性があると、ウッドワード氏は指摘する。アメリカメディアも「アメリカが危うく北朝鮮に宣戦布告するところだった」と報じている。
5、6年生の振る舞いと理解力
トランプ大統領が国際情勢を理解していないことを示す多くのエピソードがウッドワード氏によって暴露された。
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ウッドワード氏の本によれば、大統領は2018年1月19日の国家安全保障会議(NSC)で、年間35億ドル(約3900億円)を費やしてまでして、なぜ在韓米軍を維持するのかと疑問を呈した。さらには「台湾を守ることでアメリカは何を得られるのか」「なぜわれわれは韓国の友好国でいるのか」などと述べたという。
1950年6月に始まった朝鮮戦争は、同年1月に当時のディーン・アチソン国務長官が「アメリカのアジア防衛ラインから朝鮮半島は除外される」と発言したことで北朝鮮の攻撃を招いたとされる。大統領は明らかにこうした歴史的背景や教訓を知らないことがうかがえる。
また大統領は、アメリカがアジアや中東、北大西洋条約機構(NATO)で他国防衛のために財政支出していることを「世界的な問題」と常にみなし、就任後1年間にわたって苛立ち続けていたという。
これに対し、マティス国防長官は「第3次世界大戦を防ぐために、我々は(任務を)行っています」「情報収集能力と軍隊がなければ、戦争のリスクが一気に高まります」などと答えた。
大統領が会議場所から去ると、「マティスは極めて憤慨して動揺していた。そして、側近に大統領が小学5、6年生の振る舞いと理解力しか持ちえていないと述べた」という。
国防長官に「アサドを殺せ!」
このほか、シリアのバッシャール・アサド大統領が2017年4月に化学兵器で民間人を攻撃すると、トランプ大統領はマティス国防長官に「奴を殺せ!」などと電話で指示。マティス氏は「直ちに取り掛かります」と述べたものの、電話を切った後に側近に「我々はそのようなことはしない。もっとより慎重な姿勢で臨む」と述べた。結局、アサド大統領を標的にしない限定的な通常の空爆におさまった。
北朝鮮建国70周年の軍事パレードでは、アメリカに到達するICBMは姿を現さなかった。
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こうしたトランプ大統領の奇矯(ききょう)な一連の言動は、金正恩委員長のトランプ大統領への不信感をぐっと高めている可能性がある。
特に、シリアのアサド大統領相手に、斬首作戦とも受け取れる殺害命令を出していたことが分かったことで、金正恩委員長も「自らもそのようなひどい目に遭いかねない」「トランプはやはり信用ができない」との思いを募らせた可能性が高い。
狂人理論の反動
筆者は、トランプ大統領が意図的に常軌を逸する予測不可能な言動を繰り返し、交渉相手や敵対する者に要求や条件をのませようとしているとみている。これは大統領が実業家時代から日常茶飯的に振る舞っていた行為であり、自らの著書でもそれを明かしている。大統領が尊敬しているニクソン元大統領の 「マッドマン・セオリー」 (狂人理論)と呼ばれる交渉術だ。
関連記事:北朝鮮がグアム沖への発射を凍結した理由——トランプ「狂人理論」vs.北の核抑止力
トランプ氏は、アメリカが誇る世界最大のプロレス団体WWEでリングデビューし、過激な役回りを演じることで人気を博したことも、同氏の一筋縄ではいかない政治スタイルの確立に寄与したと筆者はみている。大統領はWWEで活躍し、殿堂入りしている。悪役プロレスラーはリングの外でも、常に悪役を演じ続け、観客を沸かせ続ける。
「手の内を見せるのは最悪の失策だ。相手の意表をつけば戦いに勝てる。だから相手に行動パターンをさとらせない。私は予測不能な人間でありたい」
大統領は自書『Crippled America: How to Make America Great Again』(邦題:THE TRUMP-傷ついたアメリカ、最強の切り札-)でもこう述べている。
相手に恐怖を与えてたじろがせ、譲歩や妥協を引き出す。そのためには、身内の側近や同盟国さえも欺くことを厭わない。恐怖を利用している。
大統領は自らの「狂人理論」で北朝鮮を脅して、交渉のテーブルにつかせることができたと思っているかもしれない。しかし、ウッドワード氏の新著では、その過程で、大統領の側近がその「狂人理論」に振り回されてたじろいでいることがわかる。身内からボロが出ている格好だ。
トランプ政権の内幕、トランプ大統領の言動を赤裸々に書いたボブ・ウッドワード氏。
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トランプ大統領と金正恩委員長は、2017年のチキンレースから一転、表向きは首脳間の対話ムードを誇示している。大統領は金正恩委員長のトランプ政権の1期目に非核化を実現したいとの意思表明を高く評価。9月9日の建国70周年の軍事パレードで大陸間弾道ミサイル(ICBM)を登場させなかったことも前向きにとらえて、金正恩委員長との再会談に意欲を示した。
しかし、ウッドワード氏のトランプ政権の内幕本は、金正恩氏を本質的にたじろがせた可能性がある。9月9日の軍事パレードで、金正恩委員長が中国共産党序列3位の栗戦書・全国人民代表大会常務委員長との蜜月ぶりをアピールしたのは、トランプ政権への不信の表れと見られる。北朝鮮の非核化が先か、あるいは朝鮮戦争の終結宣言が先か。相互信頼がなければ具体的なプロセスも進められない。
高橋 浩祐:国際ジャーナリスト。英国の軍事専門誌「ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー」東京特派員。ハフィントンポスト日本版編集長や日経CNBCコメンテーターを歴任。