単身世帯が増え、子どもの数が減り、少子高齢化が世界一進む日本。一人暮らしや子どものいない世帯の割合は増える一方、昭和の時代から三世代が同居する家族の割合は激減し、今や数%に。大家族で暮らす風景は、遠い過去のものに思える。しかし、血縁者だけが家族だろうか?移住者ながら、年代を超えた地域コミュニティに積極的に溶け込むことで「拡大家族」の暮らしを実践している、小笠原舞さん(34)に聞いた。
直感で「子育てするならここ」
どこか昭和の香りが漂う、六間道商店街。小笠原さん(右)が子連れで歩くと、声をかけてくれる。
神戸の市街地から電車で4駅の、JR西日本新長田駅を降りて南に下ると、そこには六間道商店街が広がっている。昭和を思わせる昔ながらの街並みで、アーケードを歩くと大衆酒場や喫茶店、お好み焼き屋が並び、自転車の人が走り抜けていく。子どもから高齢者、アジアからの移住者も入り交じり、多様性とどこか懐かしさを感じさせる風景だ。
保育士起業家で、こどもみらい探求社の共同代表、小笠原さんは2016年、結婚を機に東京から、縁もゆかりもなかった神戸市に引っ越してきた。その中でも六間道エリアを選んだのは、保育に関わる仕事を続けてきた小笠原さんの「子育てするなら絶対にここ」という、直感的な確信があったからだ。小笠原さんの日常からは、その「理由」が見えてくる。
昔ながらの六間道商店街から、細い路地を入ると、そこにもどこか懐かしい風景が広がっている。
小笠原さんが生後2カ月の長男と夫と暮らす長屋は、六間道商店街にほど近い細い路地を入った住宅地にある。近所には、果物屋や肉屋などの個人商店が並び、生活感にあふれている。
そんな小笠原さんの家は、小学校の下校時間になると、子どもたちの声でにぎやかだ。小さな赤ん坊の長男を訪ねて、ランドセルを担いだ学校帰りの子どもたちが遊びに来るからだ。そのままご飯を食べて行く子もいる。
「息子は一人っ子ですが、すでにたくさんの兄妹がいます」と、小笠原さんは微笑む。
小学生たちは2カ月の息子を抱っこし、オムツを替え、寝かしつけまでしてくれる。夫の出張中は泊まっていってくれることも。毎日、誰か彼かが立ち寄ってはこまめに面倒を見てくれる。小笠原さん自身も「子どもと一緒に過ごすのが好き」なため、子どもたちが常に家にいるのも、ごく自然なことという。
会社を共同経営する小笠原さんは、自営業のため、法定育児休業もない。産後とはいえ、仕事は動き続けている。生まれて間もない赤ちゃんはとにかく目が離せないものだが、子どもたちの訪問時には、彼らに協力を頼むことで、傍らでパソコンを開いて、落ち着いて仕事をすることができるという。
2カ月の長男には地域に「兄妹」がいる。
小笠原さん家族と交流する地域の小学生たちは、オムツ替えも、寝かしつけも、お手のものだ。
町中に自宅リビングがある生活
介護施設に地域の人が集まる「はっぴーの家ろっけん」にくれば、高齢者が地域の赤ちゃんを見守っている。
小笠原さんが息子をみながら働く場所は、自宅にとどまらない。
自宅を出て徒歩3分の距離には、多世代型介護付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」がある。ここは、認知症の高齢者が暮らす介護付きの居住スペースに、リビングには地域の人や子どもたちが集まってくる。そこでは、赤ちゃん連れでくつろぐ親たち、その赤ちゃんを囲んで和む認知症のお年寄り、移住してきた外国人や卓球に夢中になったり宿題をしたりする子どもたちが、思い思いの過ごし方をしている。
小笠原さんはここでもMacBookを開いて仕事に集中できる。息子も、自宅にいるよりも、たくさんの人たちに囲まれ、にぎやかな方が、落ち着いて過ごしているからだ。
あらゆる世代が入り混じった空間は、さながら血のつながらない大家族のようだ。小学生の子どもも、認知症のお年寄りも、近所の赤ちゃんを眺める目は優しく温かい。
「常に誰かがそばにいてくれることで、私自身に余裕ができる。生活に『余白』があるのはほっとするし、必要なことだと実感しています」(小笠原さん)
複数の人の目がある、地域のリビングのような空間。ここで小笠原さん(右)は、仕事ができる。
同じく自宅から徒歩3分の距離には、子ども連れの母親が多く、多世代が集うレンタルスペースでカフェとしても使える「r3」も。2年前に神戸市の別のエリアに引っ越してきたばかりの小笠原さんが、あるイベントでオーナー夫妻に出会ったのを機に「この地域に住みたい」と惚れ込んだきっかけの場所だ。
小笠原さんの家族構成は夫婦と子ども1人という核家族だが、その「リビング」はあたかも地域に広がっているかのようだ。さまざまな世代の人々が、子育てをしながら働く小笠原さん夫妻と2カ月の息子をゆるやかに見守っているからだ。
もともと長田駅周辺は、1995年の阪神・淡路大震災までは神戸市内では中心部に次いで、にぎやかなエリアだったという。震災後は、一部の街並みは残ったものの人口流出は進み、高齢化が進みシャッターを下ろす店も増えていった。そこへ、地元で育った人や移住者も加わり、はっぴーの家ろっけんやr3のような「世代を超えた地域社会の再生」を試みているのが現在の姿だ。
拡大家族に守られているのは、小笠原さんだけではない。「ただいま!と誰かが帰ってくれば、おかえり!と誰かが答える。適度に隣の人に関心を持っていて、でも一人ひとりの違いを大切にしながら、干渉せずに暮らしている」。小笠原さんには、その距離感が、とても新鮮だったと言う。
子育ての不安や孤独を吐き出せる場を作りたい
子育てのベテランたちに、子どもを見てもらえる空間。
大学で福祉を学んだ小笠原さんは、在学中に保育士資格を取得。卒業後はデザイン会社勤務を経て、2009年から「やっぱり子どもに関わる仕事をしたい」と、保育士として働き始めた。
「保育の仕事は驚きや発見の連続で楽しかった」が、そのうち「他の家族とも会ってみたい」と「asobi基地」を2012年に設立。東京・表参道にあるカフェを貸し切って、週末に子連れで気軽に遊びに来られるイベントを開くようになる。子連れで遊べる場に飢えていた親たちにクチコミで広がり、盛況となった。
asobi基地は子どもの遊び場であると同時に、大切な狙いがあった。狙いとは「子育ての不安や時に感じる孤独を、誰かと話すことで発散したり、ほっと息抜きができる場をつくる」(小笠原さん)ことだ。
翌2013年には、保育士仲間の小竹めぐみさんと2人でこどもみらい探求社を設立。親子で集える「場」づくりや、親子イベントのプロデュース、人材研修、コミュニティ育成など幅広い事業を手がけている。
そんな中、関西への旅行中に知り合った夫との出会いを機に、神戸市へ移住。やがて職業として関わってきた子育てが、私生活でも始まった。その場所に選んだのが、この六間道エリアだった。
血縁を超えたゆるやかなつながり
単身者や核家族の時代にも、地域と共に生きる道はある。
「核家族での子育てに、不安を感じている人は大勢いると思います。東京はじめ、これまで出会ったお母さんたちも”ちょっと”ゆっくりできたり、ほっとできたりする時間を求めていました」
保育士や、保育士起業家としての経験から、小笠原さんは肌身で感じてきた。
だからこそ、今の生活を発信したり、オープンにして見にきてもらいたいと考えている。実際、小笠原さんの住む六間道へは、仕事関係者から友人までフェイスブックやコラムの発信を見て、「拡大家族」の生活を訪ねてやってくる。
「私の住む六間道と全く同じことを再現はできません。(介護施設の)はっぴーの家ろっけんやr3がどこでも作れるわけではない。ただ、エッセンスを持ち帰ってもらうことが重要だと思っています。隣に住んでいる人に話しかけてみたり、きっと小さくても一歩を踏み出せれば、何かが変わるかもしれない」
高齢者の一人暮らしや、子どものいない家庭、核家族が多数を占める現代。大家族など、親子や親せきなど、血縁を基盤に形成されたかつてのコミュニティーの再現は、時代にそぐわないかもしれない。
けれど、多世代が交流する場や地点を作ること、生活スタイルの違いによる分断を超える小さな接触を持つことだけでも、変化は起きるはずだ。
血縁だけに頼る子育てや老後を超えて、ゆるやかなコミュニティやささやかでも「拡大家族」が形成されるとき。そこに、かつてない少子高齢社会を生きる、ヒントがあるはず。そんな希望を、小笠原さんを取り巻く六間道の生活が教えてくれている。
(文・滝川麻衣子、写真・小笠原舞さん提供)