大型トラックが行き交う品川埠頭の一角にある東京入国管理局。
2018年10月6日夜、不法就労するインド人が摘発される過程を追ったドキュメンタリー番組が放送された。フジテレビの「タイキョの瞬間!密着24時」だ。番組で描かれたのは、日本に滞在できる資格も期間もお構いなしの「不良外国人」の姿だった。
放送後、「外国人への差別を助長する」「入管のPR番組だ」と、ネット上では批判の声が出た。
確かに番組で紹介されたように、悪質な不法就労の事案はある。しかし、仕事を求めて来日し、不法滞在となった外国人たちは一律に語れるほど、みんなが「不良」なのだろうか。
東京入国管理局(東京入管)に収容された外国人たちの面会を続ける大学生に同行し、10月9日、収容施設を訪ねた。
外国で気づいたマイノリティの立場
案内してくれたのは、明治大学1年で、「BOND(バンド)~外国人労働者・難民と共に歩む会~」に所属する漆原耕陽さん(19)だ。
最寄りの品川駅からちょっと遠いとは聞いていたが、東京入管まで歩くことにした。お金のない外国人労働者や難民認定を申請する外国人たちの中には、歩いて入管に行く人も多いと聞き、距離感を知りたいと考えたからだ。
「この道、好きなんです。気持ちよくないですか」
途中、漆原さんが言った。
漆原さんがバンドの活動に加わったのは大学に入学して間もない、2018年5月のことだ。高校時代、語学研修で訪れたイギリスでの体験がきっかけだった。
入管に収容された外国人の面会を続ける漆原耕陽さん
「特ににひどい差別を受けたわけではないけど、言葉の壁から、自分がマイノリティだと感じた」という。以来、日本で暮らすマイノリティを支援する活動にかかわりたいと考えるようになった。
バンドでは、メンバーで手分けをして、平日は毎日だれかが東京入管に面会に訪れている。漆原さんは火曜の午前は大学の授業を入れず、入管に通っている。
駅から30分ほど歩くと、品川埠頭にある東京入管のビルが見えてきた。入管の建物は、上空から見ると十字の形をしている。中心に被収容者を管理する設備を置く、拘置所などと同様の構造だ。アルファベットで「MENKAI」と書かれた入り口から入り、面会の申請書を提出した。
入管では、収容されている人の氏名が分かれば、面会が可能だ。バンドはこの仕組みを利用する形で、支援の仕組みを構築している。
長期間、収容されている人と関係を築き、収容施設内の様子を教えてもらう。心身に問題を抱えている人がいるときは、氏名を聞き、面会を申し出る。聞き取りを通じて、入管側の対応に問題があれば、入管に改善を申し入れる。
刑事ドラマのような面会室
東京入国管理局には、面会者専用の出入口が設けられている。
この日、面会を予定していたのはイラン人、ミャンマー人の男性と、中国人の女性の3人だった。申請書の「被収容者との関係」と「目的」を記載する欄には「取材」と書いた。3人分の申請書と、身分証明書として運転免許証を提出。しばらく待つと、面会室がある7階に上がるよう指示があった。
7階の待合室では、さまざまな国籍の人が面会を待っていた。最近、肌寒くなってきたからか、冬物の衣類を詰め込んだ袋を抱えた女性もいる。
しばらく待つと、面会室に入るように促された。この際、係官から「録音と録画はできません」と念押しされた。カメラや携帯電話を含む荷物をロッカーに入れ、筆記用具だけを持って面会室に入った。
面会に来た人と収容されている人の間は透明の板で仕切られ、それぞれ3つずつ、計6つの椅子が置かれている。刑事ドラマで警察署に留置されている容疑者に接見する部屋がよく出てくるが、ほぼ同じだ。被収容者側の扉は開かれていて、隣の話し声が聞こえてきた。
バブル期に来日したイラン人
最初に面会したのは、イラン人の男性(55)だ。漆原さんによれば、通常、大学生たちの面会では立ち会いはないという。ただ、今回は取材が目的だったためか、係官の立ち会いがついた。
男性が来日したのは約30年前、26歳のとき。1980年代の終わりで、日本経済がバブルに踊っていた時代だ。
観光ビザで入国した男性は、神奈川県内でフォークリフトの部品をつくる工場で働いた。大手自動車メーカーの下請け企業だったという。
「ビザは大丈夫だった?」と聞くと、男性は「当時は、いまのように厳しくなかったから」と言う。
工場での仕事は15年以上続いたが、不景気で仕事を失った。「リーマンショックで、日本人も外国人もみんな、解雇された」と男性は振り返る。
2010年、男性は入管に拘束された。11カ月の収容の後、一時的に収容を解く「仮放免」が認められた。しかし、仮放免中の人は、日本で仕事はできず、行動も制限される。知人の家に間借りして、身を潜めるようにして暮らしていくしかなかった。
2018年1月、男性は再び収容された。拘束から9カ月が過ぎ、体調は次第に悪化していった。高血圧で頭痛や胸の痛みを訴え、通院もしている。
男性は20歳のころから5年ほど中東のドバイで働き、日本に来た。イランの家族とは、連絡をとっていない。
「イランに帰っても、行くところがない。いつまで、収容所に入れられたり出されたりの日々が続くのですか」
30分の面会時間が過ぎ、別れ際、漆原さんと男性は、透明の板越しに手のひらと手のひらを合わせた。男性が部屋を出たあと、漆原さんがつぶやくように言った。
「この人は、日本の社会に一番振り回された人なんだと思う。必要なときは仕事をさせて、必要がなくなったら収容された」
買ったパスポートで来日
東京入国管理局には、さまざまな国籍の人達が訪れる。
ミャンマー人の男性(39)は、「就職のビザを他人から買った」と言う。2007年に来日し、日本語学校と専門学校を卒業したが、日本で就職先を見つけられなかった。それでも日本に滞在し続けたかったから、1年間のビザを、居酒屋のアルバイトで貯めた40万円ほどで買ったが、実際にはその会社での仕事はしていない。
この男性も収容から6カ月が過ぎ、体調の悪化を訴えている。血圧が上がり、ひどい頭痛と吐き気、めまいの症状があるという。
中国人(43)の女性は15年ほど前に、偽造パスポートで入国し、日本のスナックなどで働き続けてきた。中国で150万円ほど支払って、他人のパスポートを買ったという。
2014年に逮捕されたが、客として知り合った日本人男性と結婚しており、一時は仮放免が認められていた。2018年1月、この女性も再び入管に拘束され、間もなく9カ月になる。毎晩、入管から支給される睡眠薬を服用している。
3人に30分ずつ話を聞いた限りだが、入国時の状況も、日本での生活歴もそれぞれ異なっている。不法在留として非難されるべき事情も、考慮すべき事情もある。
「フジテレビの番組を見た?」と尋ねると、漆原さんはこう話した。
「何人も面会をしていると、この人はおかしいなと思う人もいます。ちゃんと番組を見たわけではないけれど、一人ひとり事情が違うから、一部だけを切り取るのは間違いだと思う」
(文・写真、小島寛明)