「若い人が(研究に)人生をかけてよかったなと思えるような国になることが重要ではないか」
2018年10月2日、ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった直後の記者会見で、京都大学の本庶佑(ほんじょ・たすく)特別教授はこう苦言を呈した。
ノーベル医学生理学賞は京都大学の本庶佑特別教授らに。地道な基礎研究を創薬につなげたことが評価されたが、ここにきて日本の基礎研究の足元は揺らいでいる。
TT News Agency/Fredrik Sandberg via REUTERS
地道な基礎研究が、免疫を利用してがんをたたく画期的な治療薬「オプジーボ」の開発につながったことが評価された。しかし最近、国の財政難による予算削減・抑制もあり、日本の基礎研究をとりまく環境は厳しさを増している。
成功確率は「3万分の1」とも言われる新薬。日米両国でそれぞれ会社を立ち上げ、それを2つも世に送り出したシリアルアントレプレナー(連続起業家)がいる。今は社会起業家やアーティストを支援するS&R財団の理事⻑兼CEO を務める久能祐子さんだ。久能さんに、日本の基礎研究と起業における課題を聞いた。
「不必要な競争」はなくすべきです
日米で起業し、画期的な新薬を2つも世に送り出した久能祐子さん。2015年に米経済誌「フォーブス」の「アメリカで自力で成功した女性50人」に日本人で唯一選ばれた。
撮影:庄司将晃
財政難が深刻化するなか、政府は研究関連予算についても「選択と集中」を掲げてきた。応募と審査を経て交付される「競争的資金」の比重が増す一方、研究室の維持などに回る運営費交付金は削減が続き、目先の成果は見込みづらい基礎研究の足元が揺らいでいる——。そんな指摘も目立つ。
「競争自体は悪いことではありませんが、『不必要な競争』はなくすべきです。
とくに初期段階の基礎研究は運に左右される部分が大きい。多くの研究の中から、ある確率で成果が出てくる性格のものです。こういう研究に対しては、大きな額ではなくても、広く配布する方が良いと思います」
「選択と集中」が過ぎると、研究者が短期的な成果を求めるあまりリスクを取りづらくなり、結果として成功例を生み出しにくくなる、と久能さんは指摘する。さらに日本の研究者、大学には“無駄”が多いとも。
「競争的資金を獲得するための書類づくりに、大学の研究者が膨大な時間をとられがちなことも問題です。アメリカにはそうした仕事を担うスタッフがいます。日本でも大学運営のさまざまな無駄を省いた上で、そのような人材を雇うなど支援態勢を整えるべきです」
リスク取る人にもっと報酬を
東京都内にある武田薬品工業グローバル本社。画期的な新薬につながりそうな研究成果を握るベンチャーを、製薬大手が巨費を投じて買収する事例が相次いでいる。
REUTERS/Kim Kyung-Hoon
基礎研究を発展させ、実用化につなげる段階では企業の役割が大きい。本庶氏は、社運をかけて全面支援した業界中堅の小野薬品と「二人三脚」で、オプジーボの製品化にこぎつけた。
新薬の開発コストが高騰するなか、最近では世界大手でもそうしたリスクを避け、新薬につながりそうな研究成果を握るベンチャーの買収を優先する傾向が強まっている。
一方、アメリカなどに比べると日本には起業を目指す人はまだまだ少ない。
「現在、画期的な新薬開発の余地は狭まっています。こちら側からあちら側に一気に跳ぶような、『破壊的イノベーション』が求められるようになっていますが、これは1、2人といった少人数でないとできません。大企業がこれに取り組むのは、大企業であるがゆえに難しいのです。
お金だけでなく『名誉』も含めて、リスクをとることに対する報酬やリスペクトが少なすぎるのだと思います。会社員の発明の対価なども含めて、新しいものをつくり出したことに対する報酬を増やすべきです」
シーズとニーズつなぐ「プロデューサー」育成が急務
撮影:庄司将晃
日本では「イノベーション(革新)」と「インベンション(発明)」が混同されがちだという。久能さんはインベンションは個人でもできるし、「この研究が面白い」と思ってやっているだけ、という場合も多いという。
「それを証明し、実用化するために膨大な実験を繰り返すなどして、やっと世の中のニーズにこたえるイノベーションになる。インベンションとイノベーションの間をつなぐ人、つまりシーズ(将来実を結びそうな基礎研究)とニーズをつなぐ人を、日本はもっと育てる必要があります。そういう人材は大学にいても企業にいてもいいのですが、日本ではまだまだ足りません」
例えば、iPS細胞を創り出しただけでなく、医療現場での実用化に向けた段階にも関わる京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥所長のような人物だという。
現在、久能さんは京都大学総長学事補佐という肩書きも持っており、そんな人材を育てていくための方策を練っている。
「研究者の側でもプロデューサー的な人を育てる努力をあまりしてきませんでした。資金を集めることとか、マネジメントの仕事に対するリスペクトが少なかったからだと思います」
大企業に隠れている人材に挑戦の場を
2017年、米ロサンゼルスであったイベントで設けられたベンチャーキャピタルのブース。アメリカではスタートアップに対するリスクマネーの出し手の層が厚い。
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日米双方で起業した経験を持つ久能さんだが、それぞれの強みをこう指摘する。
アメリカは基礎研究でもスタートアップ育成でも、資金の出し手が国から民間の財団まで幅が広く層も厚いし、「新しいもの」に寛容な気質がある。一方で、日本には文化に根差した「組織に属している人たちの強さ」という特長があると。
「組織があるからこそいい仕事ができる、という人も多い。その強みを再評価し、潜在力を解放することが必要です。
私自身、これまで若手研究者らの支援活動を続けてきましたが、今度は日本の大企業の中に隠れている人材が、所属企業とのつながりも維持したまま自由な挑戦ができる場をつくるようなことを考えているところです」
(取材・構成:庄司将晃)
久能祐子(くのう・さちこ):1954年生まれ。京都大学大学院工学研究科博士課程修了。日米両国で起業し、1994年に緑内障・高眼圧症治療剤「レスキュラ点眼液」を発売、2006年には米食品医薬品局(FDA)から慢性便秘症治療薬「アミティーザ」の販売承認を取得。現在は会社経営の一線から退き、アメリカで設立した財団などを通じた若手研究者や社会起業家への支援活動などに取り組む。京都大学経営管理大学院特命教授も務める。