小林味愛さん。株式会社陽と人代表。東京都生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒業後、衆議院調査局に入局。1年目の年に東日本大震災を経験。日本総合研究所を経て、2017年8月に起業。
仕事も生活も挑戦の連続 ──31歳元官僚夫婦の「新しいパートナーシップ」のかたち
仕事と暮らしがシームレスにつながり、既存の価値観にとらわれず意思決定する。働き方も暮らし方も、目的と意思を持って自分で選択し、人生を楽しむ──。ミレニアル世代を中心にこういった価値観を持つ人が増えている。
小林味愛さん(31歳)もその1人。キャリア官僚から民間のシンクタンクを経て、起業へ。仕事に自分を合わせるのではなく、自分の生き方に合わせて仕事を選び、拠点を選ぶ。その軽やかさの源にあるものとは、何だろうか。
国家公務員を辞めるのに迷いはなかった
──2017年8月に福島県伊達郡国見町で「株式会社陽と人(ひとびと)」を設立。福島と東京の2拠点生活を送っていると聞きました。そこまでの経緯を教えてください。
大学で政治の勉強をして政治に興味を持ち、「現場が知りたい」と衆議院調査局に入局しました。経済産業省に異動になってからは、帰宅が深夜になることも多くなりました。
その後、ローカル経済圏の検討に携わりました。まだ「地方創生」という言葉が使われる前のことです。
東京出身のため、もっと地域のことが知りたい、現場に出る仕事がしたいと思って日本総合研究所に転職。3年間、例えば過疎化した温泉地の魅力を再発見するプロジェクトなど、地域活性化の仕事に携わりました。官僚を辞めるのに迷いはなかったかとよく聞かれるのですが、勉強したいという思いが強くて、まったくなかったのです。
東京育ちでも、福島が好きになった理由とは
福島の桃農家さん宅で桃を試食しながら、首都圏への桃の出荷について打ち合わせ。
福島という土地には、もともと子どもの頃から旅行でよく行っていて、親しみを感じていました。福島は口ベタな人が多く派手なPRはしないけれど、びっくりするくらい質の高いものが眠っているんです。
日本総研在職中には、福島で仕事をする機会も多く、福島が抱える本質的な課題も見えてきたので、「大好きな場所で課題を1つでも解決できたら」と考えて福島で起業しました。
他の地方自治体にも当てはまりますが、日本全体の人口が減少している中、国からの支援だけに依存するのは危険だと考えています。これからは民間が地域を支えていかなければならない。自分なりに地方を見てきて、地域の産業をもっと稼げる産業にしなければいけない、という危機感や使命感を抱いたことも起業の根底にあります。
“自分が息苦しくならない社会”を自分で選ぶ
福島県国見町の見晴らしの良い場所でのんびりするのは、贅沢な時間。
私たちの世代は、子どものころから地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災、アメリカ同時多発テロ事件など、世の中を価値観を揺るがすようなニュースをいくつも見てきました。
こんなにも多くの人が一瞬で亡くなってしまうのだから、「自分の人生も、いつ何が起きるかわからないという感覚を幼い頃から持っていました。
しかも縮小社会ですから、安定した生活なんてないということが前提です。公務員になったり大企業に入ったりすれば安心とは思わない。それより、仕事も生活も自分の意志で決める、作る。自分が息苦しくならない社会を自分の手で選ぶ。
2拠点生活もその流れのひとつだと思います。どこかを家と決めなくていい、いろんなところが家でもいいじゃないか、と。
“ハイブリッドライフ”の一番の理解者
夫の中西信介さん(左)と小林味愛さん(右)。
──旦那さんとはどのような関係なのでしょうか。
彼もキャリア官僚を4カ月で辞めて豆腐の引き売りを始め、今は保育園の運営に関わっています。
社会人2年目のときに結婚しましたが、お互い公務員のときは、ほとんど一緒に過ごす時間がありませんでした。目の前の人を笑顔にする仕事が合っていたようで、豆腐販売を始めてからはすごく楽しそうに仕事をするようになりました。
現実として収入は大幅に減ったため、家賃の安い地域に引っ越したり、食卓に売れ残った豆腐や油揚げばかりが並んだり、誕生日プレゼントがアクセサリーから手紙や手作りビデオレターなどに変わったけれど、それも楽しい。自分に合った選択ができる彼を尊敬しています。
今は私が東京と福島に拠点を持っているので週2、3日は福島。夫は休みが合えばたまに一緒に福島に行くという生活です。
夫婦ともにかつて務めていた霞ヶ関。
自分たちがどういう状態が幸せなのか、嬉しかったことや嫌なことなど、些細なことも話して常に共有しています。人の価値観は年齢や置かれている環境などによって変わりますよね。
20代前半は寝食の時間を削って勉強して働いて幸せだと思っていたけれど、今は違う。彼と話していると、たまに「今、無理しているんじゃないの?」というアドバイスをもらうこともあります。夫というよりパートナー、仲間の感覚です。今の生き方を選ぶ上で、夫から受けたインスピレーションは大きい。そして一番の理解者だと思っています。
12月に初めての出産、夫が1年間育休取得予定
夫が1年間育休を取り、私は早めに仕事復帰する予定です。ただ、何事も計画通りにはいかないものですよね。妊娠も何歳までに……と決めていたわけではなかったんです。
子育てもきっと、実際にやってみないとわからないことばかりのはずです。現時点ではただ「家族みんなで楽しく生きられれば」、それだけを思っています。
等身大の自分でいたい
──仕事とプライベートに対してのスタンスを教えてください。
オンとオフの区別は特にありません。だからこそ、無理をしなければならないほど仕事は入れ込まないよう調整はしています。
期待していただくことは嬉しいのですが、たくさん詰め込んでしまうと、結局アウトプットがおろそかになってしまう。自分の能力やキャパを見極めて、できないことは「できない」と言い、“期待に応えること”が目的にはならないようにしています。無理しすぎないことが質の高いアウトプットを出すことになると思うので、私自身は等身大でいたいんです。
「大きなことがしたい」と思うこともありません。もちろん誰かの役に立ちたいとは思いますが、それはそれが自分にとって嬉しいし楽しいからです。一人でも、目の前の人の課題が解決されて喜んでもらえれば、それ以上の生きがいはありません。
──等身大で生きることを前提として、その上で目標や夢はありますか。
まずは今の事業によって地域産業を活性化させること。その後にやってみたいのは、次の世代の人生の学びの場をつくること。義務教育の中だけでは、人生の選択肢を増やす機会がどうしても少ない。さまざまな体験を通して、今の自分にとって幸せな生き方を選び取れるような環境を提供できたらと思います。
あと10年もすれば私は40代。もっと若い人たちが活躍する時代に変わります。次の世代へ残すべきものを遺し、支えるところは支えて、うまく循環させていくことが地域でも国でも重要だと思います。
取材を通じて彼女の自然体で飾らない言葉の中に自分らしさのブレない軸が垣間見えた。 仕事やプライベートの境界があいまいになる時代、揺れ動く価値観の中で自分らしさとは何かを考えて、意思決定をする。
パートナーとの形も、固定観念にとらわれることなく自ら作り上げる。 目的と意思を持って挑戦する人たちを、アメリカン・エキスプレスは応援しています。