スティーブ・ジョブズの理想がついに。iPad版Photoshopに「協力体制」アップルとアドビの思惑:Adobe MAX 2018

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アメリカ・ロサンゼルスで開催中の、クリエイターの祭典「Adobe MAX 2018」。日本時間16日未明に開催された初日の基調講演は、2時間半に及ぶ力の入ったもので、数多くのCreative Cloudアプリのアップデートや新たなビジョンを打ち出した。

このタイミングに合わせて、日本を含めたアドビの各国法人は、新発表関連のブログ記事10本以上を一斉に公開している。

基調講演の発表の中で最も象徴的なのは、なんといっても「iPad版フォトショップの投入」に代表されるように、マルチデバイスでのモバイル対応に本格的な舵を切ったことだろう。

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米アドビの会長・社長兼 CEO、シャンタヌ・ナラヤン氏。「誰にでも語るべきストーリーがある、誰にでもクリエイティビティが発揮できるようにしたい」と語り、そのために、誰でもどこでもインスピレーションがわいたときに制作できる環境を考え直した、として一連の発表につなげた。

ただし、このニュースを「PCは不要になり、すべてのクリエイティブワークがiPad Proで完了する時代なった」と読むのは、アドビの戦略を理解するうえでは正確とはいえない。なぜ2018年のこの時期に、こうした体制を打ち出すのか? そこにはアドビと、開発に協力するアップルの明確な狙いがあるはずだ。

アップル副社長が異例の登壇、「親密な開発体制」が明らかに

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紙(雑誌)やWebやモバイルと同じように、新しいメディアとして今や音声とARはクリエイターとして勉強し、活用していく必要がある、とスコット・ベルスキー氏(Creative Cloud 担当エグゼクティブバイスプレジデント 兼 CPO)。

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プロトタイピングツール「Xd」の機能アップデートでは、アマゾンとの協力でAmazon Echoの実機を使った音声連携サービスのプロトタイピングが可能になった。

初日基調講演は、プロトタイピングツール「Xd」のAmazon Echo対応や「illustrator」などの機能改善など意欲的なアップデートも数多く発表された。

全体を通して振り返ると、印象深いのは「なぜここまでiPad Proにフォーカスするのか?」と思うほど、iPad Pro推しが際立っていたことだ。

基調講演に先立って発表済みのiPad版フォトショップ「Photoshop CC on iPad」のデモのみならず、YouTuber向けの動画制作ツール「Premiere Rush CC」や、全く新しいプロ向けお絵かきツールの開発版「Project Gemini」(プロジェクト・ジェムナイ)、6月のアップルWWDC2018で開発が公表された、ノープログラムで作れるARコンテンツ制作ツール「Project Aero」(プロジェクト・エアロ)のデモも、主役はiPad Proだった。

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スピーディーで本格的な編集作業に重点をおいた、YouTuber向けの本格動画編集ツール「Premiere Rush CC」。すでに配信開始済み、試用版は無料で利用できる。MacOS、Windows、iOSのマルチ対応だ。

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新しいプロ向けお絵かきツール「Project Gemini」。新たに「ライブブラシ」という、水彩や油絵をシミュレートするブラシが追加。本物の絵の具のように、塗料が盛り上がり混ざり合う表現や、リアルタイム処理で染みていく水彩表現が可能。2019年中に登場予定。

きわめつけは、Photoshop CC on iPadの一連のデモ(これも実にスムーズに見えた)のあと、「アップルとの関係がなければ、このようなことは可能ではありません」(Creative Cloud 担当エグゼクティブバイスプレジデント 兼 CPO、スコット・ベルスキー氏)として、アップルのマーケティング担当の上級副社長、フィル・シラー氏がゲスト登壇したことだ。アップルの幹部が他社のイベントに登壇するのは、異例といっていい出来事だ。

プロのクリエイターからの支持とリスペクトがアップルにとってどういう意味を持つかとの質問に、フィル・シラー氏はこう答えている。

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まさにサプライズ登壇だったアップル上級副社長のフィル・シラー氏(左)。壇上にアドビロゴとアップルロゴが並ぶのも珍しいことだ。

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シラー氏の登壇の終盤、ジョークに持ち出されたのはAdobeMAXのグッズ。背中には、フォトショップのレタッチ機能「Content Aware Fill」を文字ってPHIL(シラー氏の名前)にしたジャケットをプレゼント。会場は笑いに包まれた。

フィル・シラー氏:クリエイティビティとはアップルの当初からの基盤。アップル内部(のスタッフ)や外部のカスタマーにとっても共通点でもあるが、振り返るとスティーブ(ジョブズ)がみんなに見せていたのは、情熱を持っている人は世界を変えることができる、ということだった。(中略)

クリエイティビティや芸術は情熱を放つべきものだ、ということは変わらないが、変わったのはテクノロジーだ。(スティーブ・ジョブズが存命だった)その当時は、フォトショップをiPad Proでどこでも使えるような世界なんて、想像もできなかった。だから(今回の発表には)私たちも本当にワクワクしている。

こうした一連の賛辞と、異例の登壇は、アドビとアップルの関係が、まさにいま親密なものであることを感じさせる。

iPad Proでフル版フォトショップが動作できる鍵

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iPad版フォトショップの開発秘話として披露されたスライド。30年分の機能を洗い出し、iPadに1つ1つ詰め込んでいったという。

スコット・ベルスキー氏は壇上で、Photoshop CC on iPadの開発秘話として、数年前から社内のエンジニアやデザイナーでチームをつくり開発に取り組んできた様子を語った。その中身とは、「過去30年分のコードをiPadに詰め込んだ。アップルとのコラボレーションにより実現」することだった。「ものすごい開発のパワーがかかった」とベルスキー氏。それが決して簡単なものではないことは、セッションの中で、再三にわたって「これは決してiPad向けの軽量版ではありません。本当のPhotoshopなんです」と強調していたことからも感じられる。

一方、冷静にみれば、いかにプロ向けにパワフルな設計のiPad Proとはいえ、その性能からするとハイエンドスマホ水準の性能を大きく超えるものではない。何より、Photoshop特有の複数レイヤー処理や高解像度処理に欠かせないメモリー容量も“わずか”4GBしかない。

にもかかわらず、デスクトップ版とほぼ同等のレイヤー数の画像(デモに使ったのは208レイヤーのPSDファイルだと説明していた)を操作できることには、この関係性の中でのアップルの特別な支援があったのかもしれない。

iPadが初登場した2010年から変わったもの

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なんらかの機能アップデートがあったアプリ一覧。2019年の枠には、iPad版フォトショップ、Project Geminiなどが並んでいる。

Photoshop CC on iPadの機能について、ベルスキー氏は「公式に近づくことができた」と表現している。コードの転用というよりは、おそらくは「移植」に近い作業だったことがうかがえる。

アップルとの協力、iPadそのもののハードウェア性能の進化に加えて、クラウド環境(Creative Cloud)が十分に整い、モバイルでの作業に本当の価値が生まれるようになったこと ── 裏を返せば、そこにビジネスの芽が生まれたこと ── が、アドビに「モバイル対応の本格化」へと舵を切らせた。

これには、Creative Cloudの好調なビジネスモデルを、さらに高めようという意図があることは間違いない。Creative Cloud開始以降の2013年〜2017年の5年間で、約1.8倍の73億ドル(約8183億円)に達した売上高を、さらにもう1段ジャンプさせようと考えているのだ。

またこの取り組みは、アドビにとってもアップルにとっても、両社で協力して進めるだけの価値があるものだ。

アドビは、またとない話題性とiPad ProというCreative Cloudの「入り口」として一般知名度が極めて高いシンボルを手に入れた。アップルも、ついにiPad Proを「本当のプロのためのツール」と胸を張って名乗れるようになる。

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アドビが掲げるユーザーへの約束。みんなのためのクリエイティブプラットフォーム、どこでも使えるプラットフォーム。その言葉には、とっつきやすさを感じるiPadやiPhone、一部アプリが対応するAndroidは、たしかにぴったりだ。

ビジネス上のメリットはさておいても、アドビにとっても、もちろんアップルにとっても、iPad版フォトショップの正式発表は象徴的で、「感慨深い」ものであったはずだ。初代iPadが登場した2010年、故スティーブ・ジョブズ氏のプレゼンテーションを目にした人々が抱いた夢と期待は「これ1台で仕事も遊びも済むようになるのではないか」というものだった。

その夢と理想から8年が経ったいま、ようやく、iPadに本格的で複雑な機能をもつ、歴史の長い「プロ」向けツールがやってきた。そこに普通以上の意味を感じなければ、フィル・シラー氏がスティーブ・ジョブズ氏のエピソードを、1万4000人のクリエイターやプレスが参加する場であえて話すはずはないだろう。

ただ、勘違いしてはいけないのは、アドビの狙いはiPad Proを「制作ツールの主役」にすることではない、ということだ。

アドビはPhotoshop CC on iPad、Premiere Rush CC、Project Geminiといったデモの中で、「ラウンドトリップ」つまり、自宅や職場のPC、移動中のiPadやiPhoneでデバイスを次々に変えながらシームレスに作業を続けられることを何度も強調している。

アドビの考えは、あくまでもiPadをPCやスマホと同様の、クリエイティブプロのための「快適な制作環境の選択肢」の重要な1つに迎え入れることだ。

まったく新しいARツール「Project Aero」

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アドビが取り組むAR環境構築へのイメージ。アップルやピクサーとともに普及を進める3D統一フォーマットUSDZの各種CCアプリ向け対応、Project Aeroの開発、さらにAeroで作ったARコンテンツのデリバリー(配信)まで一式を取り揃える。

最後に、アドビが動作デモを披露したProject Aeroについて。「デザイナーやクリエイターが、ノープログラミングで使えるAR作成ツール」という触れ込みが話題を呼んでいたが、その概要がある程度、明らかになった。

一言でいえば、アドビの各種アプリで作れるデータを、AR空間に持ち込んでコンテンツ化するための、全く新しいツールとして開発が進んでいる。

デモで披露されたのは、

  • フォトショップで作成したレイヤー付きデータ(PSDファイル)をAR空間上に展開して奥行きのある画像にする
  • Dimension CCでつくられた3Dオブジェクトを空間上に配置して使う

といったことだ。

いずれもアップルのARKit対応アプリと同様に、QRコードなどのマーカーなどは不要で、机や床の平面を認識する。空間上の位置も記憶するので、iPadを持ったまま、AR空間のオブジェクトに近づいたり・離れたりしてコンテンツを楽しめるようになる。

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壇上で行われたデモ。フォトショップのレイヤーを、奥行き方向に間隔をあけて配置すると、パララックス効果のような奥行き感が出る。PSD形式の2Dデータの再利用という意味でも面白い着眼点だ。

フォトショップのレイヤー構造を奥行き構造に変えてコンテンツ化するのはよく考えたと関心させられる。基調講演後には、iPadを手に持って実機デモを体験する機会も得た。手書きの絵の空間に飛び込んだかのような、独特の不思議なAR体験はなかなか印象深いものだった。

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アドビは、AR空間もあらたな表現手段の1つで、「次世代の画期的なメディア」だととらえている。そのためProject Aeroは、制作(ARデータのオーサリング)の部分だけではなく、ブラウザー経由での配信までカバーするAR制作ツールとして開発が進んでいる。アドビは、一部の登録者向けに、アーリーアクセスを提供するとし、事前登録を呼びかけている。

(文、写真・伊藤有、取材協力・アドビ)

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