合同会社シーラカンス食堂、MUJUN代表・デザイナーの小林新也さん。1987年兵庫県生まれ。大阪芸術大学デザイン学科卒業。2011年「合同会社シーラカンス食堂」を地元の兵庫県小野市に設立。2016年「MUJUN」をオランダアムステルダムに設立。播州刃物や播州そろばん、石州瓦、京都の伝統工芸品などのブランディングから商品開発、地域財産を世界市場へ向け「伝える」ことに注力した販路開拓に取り組んでいる。2018年、播州刃物の高齢化した職人の継承者を生むために「WORK SHOP」を立ち上げ、実験的に地域の複数の熟練刃物職人と連携して持続可能な新しい後継者育成の仕組みを構築している。
デザインの力で日本の伝統産業に光を——「ものづくりを変える」31歳が描く未来
仕事と暮らしがシームレスにつながり、固定観念にとらわれることなく物事に取り組んでいく。働き方も暮らし方も、目的と意思を持って自分で選択し、人生を楽しむ──。ミレニアル世代を中心にこうした価値観が広がってきている。故郷の兵庫県小野市で企業や文化産業、地域の問題解決やイノベーションに取り組む合同会社「シーラカンス食堂」を立ち上げ、CEOを務める小林新也さんもその1人。熟練職人が生み出した商品を持って世界を飛び回る小林さんは、何を目指しているのだろうか。
少年時代の原体験と家業の経営不振がきっかけ
──なぜ兵庫県小野市の伝統産業に関心を持ったのでしょうか?
家業が屏風や襖、掛け軸などを扱う表具屋で、ものづくりが身近にある環境で育ちました。小さいときから父のお古ののこぎりやかなづちを使って遊んでいました。
ずっと忙しかった父ですが、私が中学生くらいのときから仕事がどんどん減り、「なんでやろ」と違和感を持ち始めました。例えば襖や障子を張り替えるときといえば、お正月、お盆、お祝いごとなど家に人が集まるとき。仕事が減ったのは、そうした文化が薄れてきているからだ……。そう考え出すと、ものづくり全体が衰退しているように見えました。
大学卒業後、偶然が重なって起業
小林さんが初めて小野市の伝統産業継承について考え、取り組んだ播州そろばん。
大学はプロダクトデザイン学科へ進みました。ところが実際に入ってみると、樹脂成型や金型といった基礎やセオリーを学ぶ授業ばかりで、期待と違っていました。もっとユーザーの使い勝手を考えたデザイン思考やコンセプトづくりなど、ものづくり全体を見通し、人の暮らしを豊かにする術を学びたかったんです。
学校での勉強に限界を感じて、次第に学外活動に注力していきました。島根県江津市の古民家リノベーションを行ったり、瀬戸内国際芸術祭に参加したり……。そのとき、改めて地方都市の衰退を目の当たりにした。伝統産業についての問題は、実家の表具店だけに起きているんじゃないと感じました。
起業したのは本当に偶然が重なったからだと思っています。大学を卒業して実家に戻り、たまたまそろばん製造業をやっている地元の知り合いを訪ねたとき、そもそもそろばんそのものが衰退しつつあることを知りました。
そろばん文化復活をかけて何かプロジェクトを立ち上げるには、新しい会社が必要なのではないかという話をしていた矢先、大学時代に制作し、イタリア・ミラノの展示会に出展した椅子に興味を持ってくれたとある企業から、「個人には無理だけれど、会社を設立するなら出資する」という申し入れがありました。それで、「じゃあ会社でも起こすか」という流れになったのです。
ヨーロッパは「ものづくり文化」に理解が深い
学生時代から頻繁に訪れている島根県江津市に伝わる石見焼。昔ながらの技術、技法を使って食器などを製造する「もとしげ」のすり鉢とおろし器の新しいブランドを立ち上げるにあたり、シーラカンス食堂ではクリエイティブディレクションをメインにさまざまなデザインや海外展開の手伝いをしている。
──播州刃物の販売先はフランス、ドイツ、アメリカ︎など欧米を中心に10カ国以上。その他の製品についても、欧州、米国に加えカナダ、オセアニアなどへと販路を伸ばしています。日本の手仕事を国内で売ることは難しいのでしょうか。
日本では「古くさいもの」という壁を超えるのはなかなか難しいですね。一般的に、ものづくりに対する教育水準は欧米の方が高い。欧米では、小さい子たちが美術館に行って教育を受け理解している。だから高くてもいいものは売れるのです。
2016年には文化的な教育水準が高く、親日派でもあるオランダのアムステルダムに現地の方と組んで新会社「MUJUN」を設立。日本とオランダの二拠点体制で、自分たちとご縁のある工芸品に新たな価値観を生み出し、現代のライフスタイルにあったものづくりと販売を行っています。
ヨーロッパにはヨーロッパ、日本には日本の文化や工芸があります。どちらが素晴らしいかと競うのではなく、それぞれのよさを尊重してものづくりをしていくことが大切だと思います。グローバリズムといって何でも欧米の真似をするのではなく、自国の文化を掘り下げることが本当の国際人をつくるのではないか。海外に出れば出るほどそのことを実感します。
上長への許可より、「バカンスが大事」な欧米人
価値ある商品を生産しているにもかかわらず、適正な評価がなされていなかった播州刃物。小林さんはこの問題を「播州刃物」としての明確なブランドを確立することで解決に導いていった。写真は毎年2月、フランクフルトで開催される見本市ambienteに出展したときの様子(撮影は2016年)。2015年から連続出展している。
シーラカンス食堂提供
最近は、海外だとフランスに行くことが多いです。ヨーロッパで仕事をして面白いなと感じるのは、彼らの意思決定の速さ。聞くと「バカンスの時間が大事だから」だそうなんです。日本のように本社に戻って上長に確認して……というプロセスは、彼らからすると無駄なんですね。それゆえに豊かな暮らしができているのだと思います。
──兵庫県小野市に本社があることに、不便を感じませんか?
たしかに、出張が多いので、移動に便利な大都市圏に拠点を移してはどうか、と言われることもあります。でも、生まれ育ったこの小野市を離れるつもりはありません。神戸、大阪も近いし、不便は感じませんよ。子どもはいませんが、この先もし生まれたらここでのびのびと育てたいですし。国内外を飛び回っているからか、最近ではほとんど仕事も生活も趣味も、一緒になっているのかもしれません。
結婚したばかりの頃は家に仕事を持ち帰らないようにしようと思っていましたが、今ではむしろ家で仕事をすることが自然になっています。事務所も自宅のすぐそばなので、長時間通勤とは無縁。今やっている仕事は、時間と心に余裕がなければできないものなので、のんびりとした穏やかな街で暮らし、そこで働くというのが自分に合っているのだと思います。
職人の価値を適正に評価し直す
シーラカンス食堂に隣接する工場(こうば)で刃物職人見習いとして働く藤田純平さん。
2013年からは、「播州刃物」という高価格帯の地域ブランドを作りました。バラバラだった名前を「播州刃物」と地域名を入れて統一し、安い紙製のパッケージから桐の箱に変更し、価格はそれまでの2~3倍に設定。数十年前から止まっていたような価格設定だったので、むしろ職人の価値を正当に評価したと言えるかもしれません。
今、注力しているのは、後継者の育成です。クラウドファンディングを利用して資金を調達し、職人に直接弟子入りしなくても播州刃物の技術を身に付けられる拠点として、2018年7月に火床(ほくぼ)を備えた工場を建てました。
今通っているのは藤田純平さん(写真)を中心に数名。初めて藤田さんに会ったとき、僕の話を聞いて僕がやりたいことに共感してくれたんです。そしてまだ工場もできていないのに、すっかり本気になった藤田さんが翌日から仕事を手伝いに来てくれたのでした。他のメンバーも人のつながりで一人、二人と増えていきました。作業をしてわからないことは職人に質問に行くというスタイルで修業をしています。
個人的な夢としては彫刻を作りたいですね。自分の手を動かしながら、ものづくりに没頭する充実感が欲しい。できれば昔ながらの彫刻家のように、作業に必要なノミなども自分で作るところから始めたい。
やはり、彫刻家も含めアーティストや職人には憧れがあるんです。ただ、消えゆこうとしている日本の優れた職人のDNAを1つでも多く残すのが、自分の使命と考えているので、今自分が職人になってしまったらそれを全うすることができない。なので、彫刻家になるのは歳を取ってからの楽しみにとっておこうと思っています。
小林さんの取材から、自身の原体験に基づく、日本の伝統産業への愛情、そして海外を見ているからこそ感じる、熟練職人たちの評価をもっと上げたいという思いがひしひしと伝わってきた。
大事にしたいものは何か、既存の価値観に流されることなく、仕事、趣味という枠を超えて取り組む──。目的と意思を持って挑戦する人たちを、アメリカン・エキスプレスは応援しています。