高岡市の鋳物メーカー能作の工場を見学する中国人グループ。さながら写真撮影会だった。
「ものづくりの伝統と革新に挑む高岡に、中国から約160人のものづくり関係者が来訪!」
10月初旬、こんなタイトルのプレスリリースが手元に届いた。伝統工芸で町おこしをしている地域が全国にいくつもある中で、なぜ富山県高岡市なのか。
問い合わせの連絡を入れると、高岡市が積極的に誘致したというよりは、「高岡を気に入った中国人が、大量の仲間を連れてきた」構図っぽい。しかも160人って相当な規模なのに、視察が決まったのは1カ月前。中国に長年住み、今も中国関連の仕事が多い筆者には、今から見える。現場のカオスが……。
野次馬的なワクワク感を抑えきれず、視察団に同行させてもらうことにした。
新幹線で来ると聞いていたのにバスで到着
10月15日、東京駅を午前6時台に出発する新幹線に乗り、高岡駅に到着すると、高岡市広報情報課の板志佳係長が出迎えてくれた。
富山駅で一回乗り換えたと話すと、「北陸新幹線が開業したのに、一番速い『かがやき』が(新高岡駅には)停車しないというピンチで、観光に力を入れないとというムードが高まっているんですよ」と返って来た。
そこに降ってわいた中国人の大規模視察ツアー。だが、板さんによると、「新幹線で来ると聞いていたのですが、昨夜、いきなりバスで来たんですよ。もう、てんやわんやです」
2日目は高岡大仏を見学。あまりの人の多さに通りかかった日本人が驚いていた。
160人は4台のバスに分乗し、15日、16日の2日間で伝統工芸のメーカーや展示施設を回る。筆者は、「職人が一番多い」というAグループに同行することになった。ちなみに、今回の参加者は職人のほか、プロダクトデザイナー、経営者が中心で、たぶん、彼らの「お友達」も混じっている模様……。
Aグループが初日の午前に向かったのは、地元で有名な鋳物メーカー「能作」。能作本社は工場見学やモノづくり体験を実施し、レストラン、お店も併設する観光スポットになっている。多くの中国人が、工場や日本人の職人をずーっと動画撮影、中にはライブ配信する若い女性もいた。
能作のガイド役の女性が、自在に曲げられる錫(すず)のかごを手に、「当社にしかできない技術、日本のどこにもない製品」と紹介すると、身を乗り出すように聞いていた中年男性が「買う!」と大声を出し、笑いが起きた。能作によるとこの人は20万円分買い物をしたという(後から聞いたところ、中国人参加者はここで200万円分購入したと話していた……)。
一言インタビューのはずが大プレゼン大会に
月餅の歴史を研究しているという於さん。京都には何度も足を運んだ。
見学後は昼食タイムで、同社の錫の器を使ったお弁当が出された。と、そこにコーディネーターの日本人女性が、「職人さんを連れてきました」と大柄な男性を連れてきた。視察が始まる前に、「1人か2人から、高岡市の印象や感想を聞きたい」と筆者から依頼していたのだ。
「よろしくお願いします」と、ノートを取り出すと、彼は昼ご飯を食べている人たちに向かって、「取材だぞー。言いたいことがある人はこっちだ」と集合をかけた!
すると、あっという間に5、6人がやってきて、男性の背後にあった椅子が「取材待ち」スペースになってしまう。やば、趣旨が伝わっていない。これはプレゼン大会の予感。
皆を呼び集めた大柄な男性、於進江さんは、北京でスイーツショップを経営している。名刺を見ると「中国の有名な芸術家」「有名なブランドデザイナー専門家」。「有名な」が2つも書かれている。早速アクの強い人来た!
デザイナーからお菓子の研究家に転身し、今は月餅の古代のデザインを収集中。最近、伝統菓子の写真集も出版したという於さんの演説を聞くこと15分。こちら気弱な日本人なので遮るタイミングを図れず、笑顔でうなずいていると、後ろで待っている人が「もういいだろう」とせっついた。
Aグループが夕方散策した金屋町。店か家か分からない建物が多く、皆戸惑い気味だった。
次に目の前に座った若い男性、阮さんはシャワーヘッドを持っていた。
「昨日は温泉に入りました。日本の温泉は本当に気持ちよくてくつろげるけど、中国は水質が一定しなくて、特に東北部の水はいまいちなんですよ」
彼は杭州のメーカーのCEO。手にしているシャワーヘッドは、硬水を軟水に変えることができ、アメリカでも販売しているという。
今度は、適当なところで話を止め、さっきまで見学していた工場の感想を聞いた。
「いやー、感動しましたよ。あんな整然とした工場は、生まれて初めて見た。見習いたいけど簡単じゃないですね」
この2人のインタビューですでに30分。これで十分なんだが、そして隣では、高岡市の広報の2人も巻き添えを食う形で身動きが取れずにいるのだが、まだ何人か、椅子に座ってご飯も食べずに(筆者もだけど)順番を待っていてくれている。
ここで、中国人ガイドが割って入り、「きりがないので1人5分にしましょう。5分、いいですね」と釘を刺した。
ものづくりを尊ぶ日本が羨ましい
家具を買えなくて紙で作り始め、ついに起業した劉さん。
次の男性も、何か大きな棒状の物体を持っている。目の前で開くと、それは美しい照明器具だった。深センで紙を使ったプロダクトメーカーを経営する劉さんは、大学を卒業して働き始めたころ、家具や雑貨を買うお金がなく、「自分の理想の生活を想像しながら、紙でインテリアを作っていた」ことが、今の仕事に結びついた。
彼に高岡の印象を尋ねると、「若い職人が多いのが印象的でした。今、中国では工場で働きたい人はいないですよ。日本のものづくりを貴ぶ文化が羨ましいです。もともと中国の技術だったものが、日本ではちゃんと継承されているのに、中国では全部機械に置き換わっている。考えさせられました」と語る。
次は、首から可愛いラジオ状のデバイスをぶら下げたおじさん。
7歳でラジオをつくり始めたというおじさん。名刺は持っていないけど、別れ際にピンクのラジオをプレゼントしてくれた。
「私は7歳で初めてラジオを作り、ラジオ一筋55年。今、62歳だ」と自己紹介すると、ラジオに中国語で「今日の天気は?」と話しかけた。AIスピーカーを組み込んだラジオらしい。残念ながら、ネットの調子が悪く、返答の精度は分からなかったが、「アメリカでも認証を受け、日本でも売っていきたい。インスタもFBページもあるんだよ」とアピールした。
この他に数人の話を聞いたところで、コーディネータ―の日本人女性に「あと15分でバスが出発しますから」と急かされ、慌てて昼食スペースに移動した。
そこへ、工場見学とは思えないアバンギャルド?なファッションに身を包んだ女性が「1分だけ」と駆け寄ってきて、名刺を差し出した。「私はデザイナーなの。海外の伊勢丹でも出店したことがある。日本の百貨店に出したいんです」
すみません。私にはその力がありません。
「伝統工芸の高岡」とは接点が見出しにくい人たちも混じっているが、皆、海外でビジネスを展開し、礼儀正しく、とても友好的だ。だが、売り込みのチャンスと見たら、スイッチが切り替わる。
筆者と同じく、昼食を食べっぱぐれた板さんは、「このアグレッシブさは、見習わないといけないですね」と感心したように話した。
ドラえもんの風鈴(7560円)を爆買い
まとめ買いをしていく人が続出したドラえもんの風鈴(左)。
9月に視察団の来訪が決まって、高岡市は視察ルートにある全店舗に、中国で普及しているデビット決済「銀聯カード」用の端末を導入した。
今は銀聯より、微信支付(WeChat Pay)や支付宝(アリペイ)などのスマホ決済がトレンドですよ、と思ったけど、今さらなので黙っておこう。
中国人たちは昼食の後、能作で買い物をして、次の視察場所に向かった。彼らが去った後、ショップのスタッフに「どれくらい売れましたか?」と聞くと、「午前中は2つのグループが来ましたが、100万円は軽く超えてるでしょうね」とのことだった。
こちらもやたらと売れていました。
一番人気は、曲がる錫のかごとと、ビアグラスが入った2万円台のセット。ドラえもんの風鈴(7560円)は、土産用か10個以上まとめ買いする人が少なくなかったという。
次の視察地「高岡御車山会館」では、売店スタッフが「みんな、ものすごくたくさん買ってくれるのよ。大したものだわ~」と話しかけてきた。決して大きいとは言えない店なのに、最初の2グループで、50~60万円のお買い上げがあったという。
しかも、売れ筋は4グループとも「高岡銅器の緑の香炉」に集中。ライオンの歯磨き、カルビーのフルグラ、花王のメリーズと、中国人の爆買い銘柄には多少明るい筆者だが、伝統工芸でも好みがはっきりしてるんだと、気付きを得ました。
WeChat使える日本人経営者の対応力
商品をお買い上げしたデザイナーの女性と記念撮影する四津川さん。スターのサイン会みたいでした。
午後2番目に訪れた銅器製造の「四津川製作所」は、他の見学場所と明らかに違う点があった。中国モバイル決済に対応していることを示す「支付宝」「微信支付」のステッカーが掲示されていたのだ。「日本の伝統」と「モダン」を組み合わせた、外国人受けしそうなデザインの商品と併せ、「海外で売るぞ」という気概が満ちている。
中国人たちも、これまでとは違うレベルの歓迎感を感じたのだろう。応対した四津川晋専務に直接英語で話しかけ、盛り上がっている。四津川さんが中国のSNSアプリ「微信(WeChat)」を使っていることが分かると、連絡先を交換したい人たちが列をつくった。
四津川製作所は「これからは、大きな市場を取り込んでいきたい」と、すでに中国やドイツ、カナダの商談会に定期的に参加している。数年前から外国人の購入が増え、最近中国のモバイル決済も導入したという。
四津川さんは微信の操作も手馴れており、名刺と連絡先を交換すると、即座に「一緒に写真を撮りましょう」とツーショット写真を自撮りし、相手に送信する。
「こうしておくと、相手の顔や、知り合ったシチュエーションを記録できますから」
こちらも最初の2グループで50~60万円分売れたそうだが、「在庫切れのものもあって反省しています」とのことだった。
バスに置いて行かれても悠然と買い物
コンパクトなお店が大渋滞。家族総出で対応に追われる大寺幸八郎商店。
そしてこの日最後の視察場所は、古い町家が並ぶ石畳の通りの散策だった。参加者の一人が、「ここは店?」と指さしたのは、1860年から営業する大寺幸八郎商店。確かに外国人から見たら何なのか分からない。「店ですよ」と答えると、1人、2人と入っていき、あっという間に小さな店内で渋滞が発生した。
ラジオのおじさんは、1つ1500円のアクセサリーを6個わしづかみにして精算。その後も何かを見つけて、計3回、レジでお金を払っていた。
ただ、通りは店なのか家なのか、営業しているのかぱっと見では分からない建物が多く、朝からの詰め込み日程で疲れた参加者の多くは、道端でタバコを吸ったりスマホをいじっている。たぶん、一番疲れていたのは中国人のガイド。集合時間まで20分ほど残っていたが、「後はバスで休憩!」と皆を追い立て、バスに戻ってしまった。
皆がバスに戻ったのに気付かず、店内に取り残された2人。
再び静まり返った路上に、市役所の職員と2人で突っ立っていると、店主の大寺康太さんがやってきた。
「1日で1週間分売れたんじゃないですかね」と話す大寺さんは、「対応するので精一杯でしたけど、終わってみたら、あれもやれた、これもやれたって思いますねえ。家屋の中や、庭も見ていただきたかった。そうだ、お二人、見ていかれませんか」
そうだ。私も富山県に足を初めて踏み入れた観光客。お言葉に甘えて、中を見せてもらった。
趣のある庭に癒され、ふと右を向くと、先客がいる。あれ? 昼間にインタビューした有名菓子研究家と、食器デザイナーの2人だ。お店の人と身振り手振りでやり取りしながら、見て回っている。おーい!バスはもう出発しましたよ!。
「私たちの(正確には市役所のですが)車に乗っていきますか?」と声を掛けると、於さんは「それはありがたい。バスより快適だろうし。だったら買い物するからちょっと待ってて」と、店内に引き返してしまった……。
同行していた日本人は「買いすぎ」とつぶやく
個人的な感想ですが、高岡の職人、経営者たちは皆おしゃれだった。佐川男子に続く高岡職人男子のカレンダーが出たら買いたい。
段取りを無視する中国人視察団、段取り通りにいかず右往左往する日本人、そして伝統工芸品の爆買い。筆者も売店の女性に通訳と思われ、お手伝いしたり、置いてきぼりの中国人をホテルに送り届けたり、まあまあ活躍した。
コーディネータ―の日本人女性は、「1カ月前に正式決定して、もうこの仕事しかしてません。予定変更、変更ばかりで」とぐったり。同行していた富山県庁の職員は、2日目も「あれを買う」「これも包んで」と購買意欲が衰えない一人の男性を見つめ、「まだ買ってますよ。買いすぎですよ……」とつぶやいた。
実はこれ、中国中小商業企業協会と、経済作家の呉暁波氏の個人メディアが主催した「職人交流」をテーマにした視察ツアーだった。視察団は10月11日に東京入りし、イベントに参加したり企業見学をし、その後京都組と高岡組に分かれたのだが、参加者200人のうち160人が高岡市を選んだ。そもそも、なぜ高岡なのか。仕掛け人はだれなのか。
板さんはこう説明した。
「高岡市は金沢市と富山市に挟まれて、一番速い新幹線も止まらない。何かやらないとと1年半ほど前、モノづくりをテーマにメディアツアーを実施したんです。国内の旅行メディアが対象だったのですが、中国人向け旅行メディアが1社混じってて、何でか分からないけどそこの編集長に刺さりまくったみたいで。それが始まりです」
その人は、日本旅行者向け中国語ガイドブック「旅日」の編集長、姚遠さんだった。
飲み会で若い職人にほだされた
旅日の編集長、姚遠さん。全てはこの人から始まった。
「高岡の若い職人たちにほだされちゃって、彼らに協力したいと思ったんですよね」
姚遠さんは1988年、写真技術を学ぶために来日。日本の繊維会社で働いていた2000年、メルマガ「東京流行通訊」を発行し始めた。
「当時は中国からの旅行者はほとんどいなかったのですが、日本文化を愛する台湾人“哈日族(ハーリーズー)”が話題になり、台湾と香港からの旅行者が増えていました。でも、日本に関する間違った情報が多くて、自分が撮影した写真を通じ、嘘のない情報を届けたかったんです」
東京流行通訊は配信登録者40万人のメルマガと、紙媒体の形式で2016年まで発行されたが、運営会社の経営上の問題で継続が難しくなり、姚さんは会社を移って2017年、中国と日本で約5万部を発行する「旅日」の編集長として再スタートを切った。
「旅日」は、「もの消費」から「こと消費」へのシフトも反映し、人物や文化の紹介が多い。
姚さんは長い間、東京の情報を発信していたが、この数年、政府がインバウンド誘客に力を入れ、訪日中国人旅行者も激増する中で、地方情報の発信ニーズが増加。
2017年2月のメディアツアーで初めて高岡市を訪問し、工場などを回る中で、「高岡市の観光パンフレットの中国版も作成したことがあるのですが、その時には分からなかった文化の価値が、現地の人たちと話して腹落ちしたんです。特に夜の若手職人グループとの交流会が楽しくて、楽しくて……。伝統を守りながら革新に取り組む日本の職人と、中国のものづくり関係者をつなげたいと思うようになりました」
その後、経済作家の呉暁波さんや中国の業界団体に声を掛け、今回の1週間の職人交流視察を実現。200人の視察者のうち、8割が京都ではなく高岡に向かったことに「呉暁波さんが高岡の中小企業に興味を持ってくれた影響もありますが、今回の参加者は経営者層が中心だったので、京都は何度も行ったって人が多かったのでしょう」と解説した。
「金沢で金箔アイスを食べたかった」声も
現場のどたばたぶりは、姚さんも知っている。
「高岡側、中国側の両方から電話があって、それぞれから感謝だけでなく問題点を指摘されました。160人がやってきたけど、皆が皆ものづくりに興味があったわけでなかった。すぐ近くの金沢の方が有名だから、金沢で金箔アイスを食べたかったという声もありました」
「でも日本の地方の若い職人と、中国企業をつなぐイベントをゼロから実現できた。今後の可能性をとても感じています」
2日目、全ての行程を終えた高岡市の板さんは、「対応するのに精一杯で、次につなげるとか今はそんなこと考える余裕はない」と苦笑いしつつ、「無責任に聞こえるかもしれないけど、みんないい人たちで、楽しかったです。今度の休みは中国に月餅を買いに行きたいなんて思ってしまいました」と話した。
別れ際、ろくに食事を楽しめなかった筆者のために、鱒(ます)寿司をくれた。
(文・写真、浦上早苗)
編集部より:初出時の「1867年から営業する大寺幸八郎商店」は正しくは1860年でした。訂正致します。 また、一部表現を改めました。2018年11月1日 14:00