2003年10月24日、JFK国際空港からラスト・フライトに飛び立つブリティッシュ・エアウェイズのコンドルド。
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- ブリティッシュ・エアウェイズは2003年10月24日、超音速旅客機コンコルドのラスト・フライトを運航。ニューヨークのJFK国際空港からロンドン・ヒースロー空港へのフライトだった。
- コンコルドは1976年に就航、合計14機がブリティッシュ・エアウェイズとエール・フランスで使われた。
- イギリスとフランスが共同開発したコンコルドは、最初で唯一の超音速旅客機。
- マッハ2.02で高度最大6万フィート(約1万8000メートル)を快適に巡航できた。
20世紀のわずか30年、だが超音速旅客機は確かに存在した。
しかし2003年10月24日、その時代は突然、幕を閉じた。その日、ブリティッシュ・エアウェイズは、JFK国際空港からロンドン・ヒースロー空港までコンコルドのラスト・フライトを運行した。
エール・フランスはその数カ月前に同機の運航を終了させていた。つまり、これが1976年1月に運航を開始したコンコルドの本当のラスト・フライトだった。
コンコルドは、BAEシステムズ(BAE Systems)の前身であるブリティッシュ・エアクラフト・コーポレーション(BAC)と、現在は合併してエアバスとなったアエロスパシアル(Aerospatiale)が共同開発した。
商業的には失敗に終わり、メーカーの期待通りとはならなかった。コンコルドは環境面でも運航面でも制限があり、航空各社への導入は進まなかった。
製造されたのはプロトタイプを含めて、わずか20機。導入した航空会社もエール・フランスとブリティッシュ・エアウェイズの2社のみだった。
だが商業的には失敗だったとしても、現代航空機の象徴であり、テクノロジーの驚異であることに変わりはない。
事実、ブリティッシュ・エアウェイズのラスト・フライトから15年が経った今、我々はまだ超音速旅客機を手にしていない。
超音速旅客機コンコルドの歴史を見てみよう。
1947年、チャック・イェーガーが音速を超えるとすぐに、民間航空会社はマッハ1を超える旅客機の計画を立て始めた。
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1962年10月29日、 フランス、イギリスの両政府は超音速旅客機の製造における協調(concord)に関する合意に署名。これがコンコルドという名前の由来となった。
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アエロスパシアルとBACはエンジン4基とデルタ翼を持つ超音速旅客機の製造に合意。
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同じ頃、アメリカとソ連のエンジニアもそれぞれ超音速旅客機の開発に取り組んでいた。アメリカのボーイング2707(Boeing 2707)は計画のみで実現しなかった。一方、ソ連のツポレフTU144(Tupolev TU144)は就航したが、性能と安全面の問題から、すぐに退役した。
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合意の一環として、コンコルドはイギリス、フランスの両国で製造された。
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イギリス・ブリストルにあるBACの工場で製造中のコンコルド。
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エンジンはロールス・ロイス/ブリストル・シドレー(Rolls-Royce/Bristol Siddeley)とスネクマ(Snecma)が共同開発したオリンパス593(Olympus 593)ターボジェットエンジン。
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アフターバーナーが生み出す煙は、コンコルドの離陸の特徴となった。
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コンコルドは欧米の他の旅客機にはない特徴がある。ダブル・デルタ翼や、
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機首が下方に折れ曲がるドループ・ノーズ。離着陸時にパイロットの視界を確保する。
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通常時、機首は下がっていない。
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操縦クルーは3名。パイロット2名とフライト・エンジニア1名。
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1967年、フランス・トゥールーズで初公開。
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1969年3月、1機目のプロトタイプが初飛行。
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1969年10月1日、初の超音速飛行に成功。
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コンコルドはすぐに大人気となった。
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世界中の十数社の航空会社が発注。
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だが、すぐに逆風に直面した。
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超音速飛行の副産物の1つにソニックブームがあり、地上の人々に害をもたらす。結果として、コンコルドの飛行ルートは海上に限られ、陸上の飛行は最低限となった。
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さらに空港付近の住民が4基の巨大ターボジェット・エンジンが生み出す騒音に抗議。
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フライトはさらに制限された。
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1973年のオイル・ショックに始まる環境的、経済的な懸念から、ほとんどの航空会社が発注をキャンセル。
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ブリティッシュ・エアウェイズとエール・フランスだけが残った。
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プロトタイプも含め、20機が製造された。
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7機がエール・フランスで就航、
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7機がブリティッシュ・エアウェイズで就航した。
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1976年1月21日、2機のコンコルド(各社1機ずつ)が同時に、乗客を乗せた初の超音速フライトへの飛び立った。
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エール・フランスはセネガル経由でリオデジャネイロへ、ブリティッシュ・エアウェイズはペルシャ湾のバーレーンへ。
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同年、ブリティッシュ・エアウェイズはロンドン - ニューヨーク間の定期運航を開始。
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音速の2倍以上の速度と、
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最大1万8000メートルの高度を飛び、大西洋をわずか3時間で横断した。
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7時間かかった747ジャンボジェットと比べると、大きな向上。
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当初、100人乗りの機内はシンプルでやや質素だった。
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だが顧客が豪華になるにつれ、機内も豪華に。
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すぐにお金持ちとセレブのお気に入りとなった。
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毎日、高級シャンパンとベルーガ・キャビアを積んだ。
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それが顧客の望みだった。
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1990年代には、スーパーモデルのシンディ・クロフォードやクラウディア・シファー、テニス界のスター、アンドレ・アガシといった世界的ビッグ・スターも搭乗。
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ジャーナリストのピアーズ・モーガンにシャンパンをつぐ、ロックのレジェンド、スティング。
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イギリスのトニー・ブレア元首相も楽しいひとときを過ごしたようだ。
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エリザベス女王も搭乗。
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その歴史のほとんどは輝かしい記録に包まれていた。
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だが、すべてが変わった。2000年7月25日、エール・フランスのコンコルドが離陸直後に炎に包まれて墜落。破裂したタイヤが燃料タンクを破損、漏れた燃料に火がついた。113人が命を落とした。
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残る全12機は直ちに運航停止となり、より強度の高い燃料タンクに改良された。
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2001年後半に運航を再開したが、業績は回復しなかった。
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2003年春までにエール・フランスとブリティッシュ・エアウェイズはコンコルドを退役させる意向を発表。
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ブリティッシュ・エアウェイズの幹部は、9.11同時多発テロ以降のウォール街の出張予算削減と運航停止の決定に伴う維持費の高騰を理由にあげた。
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出典:The Guardian
2003年5月31日、 エール・フランスはニューヨーク - パリ間のラスト・フライトを運航。
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JFK国際空港からラスト・フライトに飛び立つエール・フランスのコンコルド。
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アメリカでのさよならツアー終了後の2003年10月24日、ブリティッシュ・エアウェイズもラスト・フライトを運航。
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ニューヨークから最後の離陸を行うコンコルド。
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JFK空港から飛び立つコンコルドに手を振る人たち。
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ロンドン上空で他の2機と合流。3機のコンコルドは続けてヒースロー空港に着陸し、一緒にこの機会を祝った。
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着陸!
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地上で再集結したコンコルド。
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27年間でブリティッシュ・エアウェイズのコンコルドは、5万回のフライトを行い、250万人以上の乗客を運んだ。
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現在、コンコルドは博物館に展示されている。ライバル機であるソ連のTU144と並んだエール・フランスのコンコルド。
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商業的には大失敗だっだが、テクノロジーの驚異としてのコンコルドの地位に非の打ちどころはない。
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多くの人にとって、コンコルドの終焉は1つの時代の終焉というだけでなく、人類にとっての後退を意味した。我々はもはや、音速の2倍の速さで大西洋を渡ることはできない。もう二度とできないかもしれない。
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(翻訳:Ito Yasuko、編集:増田隆幸)