サウジアラビアの著名なジャーナリスト、ジャマール・カショギ氏(59)がイスタンブールのサウジ領事館で殺害された事件。サウジの経済改革、社会改革を強力に進めるムハンマド皇太子の側近や警護役が殺害に関わっていたことが明らかになり、皇太子自身の関与を全面否定するのは難しい状況になっている。
サウジ政府は10月20日にカショギ氏が領事館で殺害されたことを認めたが、「領事館の担当者と口論になって死にいたった」と偶発的な出来事との見方を示した。
それに対してトルコのエルドアン大統領は23日に国会内で演説し、「上からの指示によって実行された凶悪で計画的な殺人である」とサウジ側の発表を一蹴し、「司令者から実行者まで責任をとらせる必要がある」と述べた。
実行犯は皇太子直属の「タイガー部隊」の報道も
カショギ氏殺害に関与が疑われているムハンマド皇太子。改革派の半面、強権的な一面が指摘されている。
REUTERS/Bandar Algaloud,Courtesy of Saudi Royal Court
エルドアン大統領は殺人の指示を与えた人物の名前こそ示さなかったが、トルコの捜査当局の手元には、事件時に領事館とサウジとの間の通信記録があるとの報道もあり、サウジ政府の今後の対応次第では、さらにトルコから具体的な情報が開示される可能性もある。
これまでにトルコの捜査当局からメディアに流れた情報は、ムハンマド皇太子との関連が色濃く出ている。実行犯15人のチームはサウジからイスタンブールに到着し、領事館に入っており、その中にはムハンマド皇太子の警護役として外遊に同行する情報関係者の姿も特定され、画像とともに欧米のメディアで報じられている。
中東情報専門のニュースサイト「ミドル・イースト・アイ(MEE)」は、サウジの情報機関に近い筋の情報として、実行犯15人は1年以上前にムハンマド皇太子直属としてつくられた「タイガー部隊」と呼ばれる暗殺部隊のメンバーだと報じた。
同部隊は異なる情報機関などから集められた精鋭50人で成り立ち、事件後、事件に関わったとして更迭されたアフマド・アシリ総合情報庁副長官と、王室上級顧問サウード・カハタニ氏の2人がこの部隊の指揮系統を担っていたという。2人とも皇太子の最側近である。
高齢の国王に代わって国政の主導権握る
高齢のサルマン国王に代わって、ムハンマド皇太子は国政の主導権を握りつつある。
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ムハンマド皇太子は2015年1月に実父のサルマン国王が即位した後、29歳で国防相・王宮府長官に抜擢された。さらに経済開発評議会議長に就任し、国防と経済政策を掌握。
同年4月には叔父ムクリン皇太子が更迭され、副皇太子だった年長の従兄ムハンマド・ナイフ皇太子兼内相が皇太子に昇格し、自らは副皇太子に就任した。2017年6月にはムハンマド・ナイフ皇太子が更迭され、自身が皇太子に昇進した。近く国王に即位するとの観測が出ていた。
副皇太子時代から、80歳代の高齢で認知症を抱える父王に代わって、国政の主導権を握った。その手法は対外的にも、国内的にも、強硬策で権力を固めていく、攻めのタイプだ。
国防相に就任して間もなくイエメン内戦への軍事介入を始め、民間施設への無差別空爆が国際的な非難を浴びた。対イラン強硬策をとり、2016年1月のイランとの国交断絶を主導。2017年6月にはイラン寄りの政策をとったとして隣国カタールとの断絶を発表した。
対イラン強硬策では、イランとの核合意を調印して関係正常化を目指したオバマ大統領とは冷たい関係だったが、トランプ大統領とは一転して親密な関係となった。大統領の娘イバンカさんの夫で、ユダヤ系のクシュナー大統領顧問を通じてイスラエルとも秘密裏に協力関係を持ったとされる。
改革の裏で反対記者や活動家を拘束
カショギ氏殺害に関して、世界中で抗議の声が上がっている。
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ムハンマド皇太子は経済政策では2016年4月に脱石油を掲げた大胆な経済政策「ビジョン2030」を発表し、海外からの投資を呼びかけた。2018年6月に解禁された女性の自動車運転も推進したとされ、女性のスポーツ観戦の解禁、映画館の解禁など、イスラム的に超保守的な国で「改革者」のイメージを打ち出してきた。
一方で、強権支配の影は随所に現れていた。女性の自動車運転解禁の1カ月前に、長年、運転解禁を求めてきた著名な女性運動家を含む8人が「外国勢力と連携し、資金援助を受けて、国家の治安と安定を揺るがし、国内の統治を損なおうとする陰謀を図った」という容疑で拘束された。
2017年9月以降、改革派のイスラム宗教者やジャーナリストの大量拘束を始めた。イエメン内戦への介入、カタールとの断交に批判的だったカショギ氏は、サウジの有力紙アルハヤートのコラムを執筆禁止になった。その前後からカショギ氏は渡米し、ワシントンポストで国際問題のコラムを書き始めた。
国際的ジャーナリスト組織「国境なき記者団」は2018年2月に、「サウジでは2017年9月に始まった当局による言論弾圧によって、15人のジャーナリストや市民ジャーナリストが行方不明になっている」と告発した。
皇太子の強硬な手法の最たるものは、2017年11月に自ら主導する腐敗追放委員会が11人の王族を含む現職閣僚・旧閣僚、ビジネスマンらを含む有力者200人を「汚職追放」の名目で一斉に拘束し、リヤド中心部の高級ホテルに監禁した事件だ。
拘束された中には、世界的大富豪の投資家アルワリード・ビンタラール王子やアブドラ前国王の息子で一時は有力な国王候補とされたミテブ前国家警備隊相も含まれていた。拘束は莫大な保釈金の支払いと引き換えに2018年1月まで続いた。
皇太子に就任した後、王族内、経済界、宗教界、さらにメディアの反対派を力で押さえつけて排除する強硬な手法をとってきたことが分かる。
権力基盤の脆さゆえの強権支配
カショギ記者殺害事件で揺れる中、リヤドで10月23日から行われた投資会議。日本を含む各国の実業界関係者が相次いて出席を取りやめた。
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30歳そこそこの皇太子が強引な手法をとるのは、サウジ建国者のアブドルアジズ初代国王の孫世代で初めての国王となるために、年功序列を基本として王位を継承してきたサウド家のルールを力で打ち壊すしかないと考えたためだろう。
父サルマン国王は第7代であり、アブドルアジズ王の25番目の息子である。父王の前に5人の第2世代の国王がいて、その息子たちだけでも数十人になる。
実際に副皇太子に就任して半年後の2015年9月には、サウジの王族が匿名で「国王、皇太子、副皇太子の更迭を求める要請書」を出し、欧米メディアにも報じられた。
「すべてのサウド家メンバーへの緊急の警告」というタイトルで、
「なぜ、われわれは国王の精神的な問題で統治ができなくなっているのを放置しているのか? なぜ、国王に近い者が国を政治的に、経済的に支配し、好き勝手に計画を立てているのを黙認しているのか?」
などとサルマン国王とムハンマド副皇太子(当時)を厳しく非難する内容だった。ムハンマド副皇太子に対しては「無能なサルマン国王の権力は子どもじみた若い男によって濫用されている」と痛烈な言葉を浴びせていた。
ムハンマド皇太子のエキセントリックな行動は、32歳という若さとともに、王族の中でやっかまれ、孤立していることへの裏返しでもあっただろう。しかし、直属の暗殺部隊を使って国外にいる批判的なジャーナリストを領事館で殺害したという疑惑が出れば、国際社会では全く受け入れられない。
フセインやカダフィと重なる残忍な印象
トルコのエルドアン大統領。名前こそ出さなかったが、記者殺害に皇太子の関与をほのめかした。
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エルドアン大統領の演説が行われた10月23日は、サウジではムハンマド皇太子が主催する経済投資会議「未来投資イニシアティブ」の初日だった。当初は世界の経済界の有力者や多くの企業トップが出席する予定だったが、カショギ氏殺害事件を受けて、欠席が相次いだ。投資を控える動きがさらに広がるとの懸念も出ている。
カショギ氏殺害事件は、なぜ、この最悪のタイミングで起きたのだろうか。
いや、ムハンマド皇太子が世界に打って出る国際会議の前に、邪魔者を抹殺しようとしただけなのかもしれない。そう考えれば、リビアのカダフィやイラクのサダム・フセインなどかつての残忍な中東の独裁者像と重なってくる。
彼らの悲惨な末路を見てきた世界が、開明的なイメージを振りまく石油大国の若き皇太子に、不吉な未来を予見して凍り付いたとしても不思議ではない。
川上泰徳:フリーランスとして中東を拠点に活動。元朝日新聞中東アフリカ総局長、編集委員。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在し、パレスチナ紛争、イラク戦争、「アラブの春」などを取材。