「安倍首相は最近、『戦略』の2文字を封印しています」
こう耳打ちしてくれたのは、在京の外交消息筋である。
首相は10月25日から訪中、1978年の日中平和友好条約調印から40周年の節目に、悪化した対中関係の改善をうたい上げる。
それを前に、自身の外交戦略「自由で開かれたインド太平洋戦略」から「戦略」の2文字を消し去ったというのだ。理由は「中国への無用な刺激を避けるため」と消息筋はみる。
「中国けん制の意図ない」
安倍首相は、訪中前日の10月24日の国会での所信表明演説でも「インド太平洋戦略」という固有名詞を使わなかった。
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調べてみると、最近の演説からは確かに「インド太平洋戦略」という固有名詞は見つからない。
例えば、訪中前日の国会での所信表明演説では
「ASEAN、豪州、インドをはじめ、基本的価値を共有する国々とともに、日本は、アジア・太平洋からインド洋に至る、この広大な地域に、確固たる平和と繁栄を築き上げてまいります」
と述べた。言わんとするのは「インド太平洋戦略」に違いはないが、「戦略」の2文字は全くない。
2018年1月の施政方針演説と比べれば、違いは明らかだ。
「この海を将来にわたって、すべての人に分け隔てなく平和と繁栄をもたらす公共財としなければなりません。『自由で開かれたインド太平洋戦略』を推し進めます」
なぜ戦略を封印したのか。
先の消息筋は、「安倍首相が3年前に提唱して以来、ずっと中国に対抗する封じ込め戦略とみられてきました。政府はそんな意図はないと説明してきましたが、誤解は解けない。戦略という2文字がつくと何か『意図的』な政策と受け止められかねない。そこで訪中が近づいたこの9月から封印したようです」と解説した。官邸と外務省で詰めた末の結論だった。
封印はトランプ米政権にも通知し、了承を得た。トランプ大統領も2017年11月のアジア歴訪で、同戦略をアメリカの戦略として取り入れたからだった。
「一帯一路」協力が改善の切り札
経済界からの関係改善要求を受け、安倍氏は関係改善の「切り札」として、昨年来「一帯一路」への条件付き支持・協力を打ち出している。
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今回の訪中は、日本の首相としては7年ぶりの公式訪問。2012年の尖閣諸島「国有化」で、両国関係は国交正常化以来、最悪の状態が続いてきた。「戦後外交の総決算」を掲げる首相にとって、対中関係の改善は必ず実現しなければならない最大懸案だ。
日中の貿易総額はこの40年で、85倍の2969億ドル(約33兆円=2017年)にまで膨れ上がり、経済界からも関係改善を求める声が高まっている(共同通信より)。
そこで安倍氏は改善の「切り札」として、2017年来「一帯一路」への条件付き支持・協力を打ち出した。
2018年5月の安倍・李克強首脳会談では、両国が第三国で協力するインフラ整備事業について協議する「官民合同委員会」の立ち上げで合意した。中国から見れば、それは「一帯一路」への日本の協力を意味する。対米関係が悪化する中、周辺外交を重視する中国にとって、安倍政権の路線転換はまさに「渡りに船」だった。
北京で開かれた第1回官民合同委員会(9月25日)では、日中が第三国で協力するインフラ整備事業として、
- タイの高速鉄道建設
- 中国と欧州を連結する鉄道での物流協力
- 西アフリカでの道路・鉄道
など50件近いプロジェクトが検討対象となった。10月26日に行われる習近平、李克強両氏との首脳会談の新しい目玉になる。
政経分離を図ったが…
今回の訪中は、日本の首相としては7年ぶりの公式訪問。2012年の尖閣諸島「国有化」で、両国関係は国交正常化以来最悪の状態が続いてきた。
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首脳会談ではこれに関連して、
- 「開発協力対話」の立ち上げ
- 開発協力に向けた日中双方の1000億ドル規模の投資ファンド設立
などでも合意する見通し。このほか
- 円と人民元のスワップ(融通)協定
- 海上自衛隊と中国海軍の艦船相互訪問
- 福島県など10県からの食品輸入禁止の解禁
なども話し合われる。
しかし、1、2は関係悪化によって中断した案件の復活にすぎない。関係改善を象徴するのが、日中の開発協力事業。「一帯一路」と「インド太平洋戦略」の事実上の「連結」になる。「戦略」は2本柱からなる。
アフリカ諸国のインフラ投資に協力するという「経済」の顔。もう1本が、中国の海洋進出をにらみ「国際秩序に基づく自由で、開かれ、安定的で、繁栄するインド太平洋地域の維持」という「安保」の顔である。
そこで安倍政権は対中改善に向けて、「戦略」の経済と安保を切り離す「政経分離」を図った。「戦略」の2文字の封印も、その文脈から読めばすんなりと頭に入るのではないか。首相自身、香港のテレビメディアのインタビューで、「インド太平洋では一帯一路を掲げる中国とも協力できる」と説明したほどである。
「ODA貢献を報道せよ」
中国外交当局は、自国の官製メディアに対し「日本のODAの貢献を積極的に報じるよう」指示した。日本側の中国への配慮とバランスを取る狙いがあると見られる。
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中国への気遣い。安倍氏の支持層からすれば「そこまでするか?」と、「屈服」に映るかもしれない。しかし中国側もこの間、訪中に向け安倍政権への配慮を忘れていない。
安倍氏は10月25日の北京到着後の演説で、約40年に及ぶ中国への政府開発援助(ODA)は歴史的使命を終えたと、終了を宣言した。
共同通信北京電(10月23日)によると、中国外交当局は中国の官製メディアに対し、「日本のODAの貢献を積極的に報じるよう」指示したという。「インド太平洋戦略」についても、「一帯一路に対抗する戦略だと記事で位置付けないよう」指示し、第三国での日中協力を強調するよう求めたとされる。
中国で日本の支援が強調されることは少ない。日本では不満の声があったが、中国政府も友好ムードを前面に押し出している。しかし「戦略」の2文字を封印しても、「安保」の顔が消えたわけではない。今回の関係改善については、米中対立の激化で、北京が東京を味方にして、ワシントンに対抗しようとしているとの分析が幅をきかせている。
しかし安倍氏は、ワシントンに対しては「安保」の顔を向け続け、「日米同盟基軸」の路線を踏み外したわけではない。
年末に公表される新たな「防衛大綱」で、中国を仮想敵国にした戦略や武器装備の配置が公表されれば、中国は安倍政権を批判せざるを得ないだろう。「戦略」の2文字を取り払ったものの、いずれ「経済」と「安保」の股裂きに直面することになる。
岡田充(おかだ・たかし):共同通信客員論説委員、桜美林大非常勤講師。共同通信時代、香港、モスクワ、台北各支局長などを歴任。「21世紀中国総研」で「海峡両岸論」を連載中。