【記者殺害事件】ムハンマド皇太子の進退で変わる中東の勢力図——トルコ、イラン、イスラエル、アメリカ…

サウジアラビア人の著名なジャーナリストのジャマル・カショギ氏がイスタンブールのサウジ総領事館で殺害された事件で、サウジの実質的な支配者であるムハンマド・ビン・サルマン皇太子(32)の“今後”に世界の注目が集まっている。

事件関与への疑惑が深まってもそのまま権力を保持し、国王になるのか、または排除されるのか。どちらの場合も、サウジと中東は大きなリスクを抱え込むことになり、米トランプ大統領の中東政策にも影響する。

注目集めるムハンマド皇太子の進退

ムハンマド皇太子とトランプ大統領

トランプ大統領と会談するムハンマド皇太子(2018年3月)。トランプ大統領は、軍事的事情などからムハンマド皇太子が権力にとどまることを望んでいる。

Kevin Dietsch-Pool/Getty Images

欧米のメディアには、事件を受けて王族内部でムハンマド皇太子に代わる王位継承者について議論が始まった、という情報もあれば、王族の間にはサウド家の分裂を避けるために皇太子が国王になるしかないという意見が強いとの報道もある。

さらにアメリカでは、トランプ大統領はムハンマド皇太子が権力にとどまることを望んでいるが、事件後にサウジを訪れたポンぺオ国務長官は皇太子を交代させるべきだと考えている、と言われている。トランプ大統領が皇太子をかばうのは、皇太子が対イラン強硬派であることと、大統領の娘イバンカ氏の夫でユダヤ系のクシュナー大統領上級顧問が皇太子と親密で、水面下でイスラエルとの協力関係を進めている —— などの理由だ。

ムハンマド皇太子が生き延びるとすれば、王族内と国内の批判を抑え込まねばならず、政府批判派のカショギ氏を殺害した強硬手法が、さらに進むことになる。逆に、ムハンマド皇太子が排除されるとすれば、代わりに権力を担う人物は調整型の人材とならざるをえないだろう。カショギ氏が唱えた民主化や言論の自由を進めることで、サウジの長期的な安定を探る道もある。この事件は、皇太子が生き残って強権化か、排除されて民主化か、という選択になろうが、共にリスクを伴う。

伝統を無視する急進改革

車を運転するムスリムの女性

ムハンマド皇太子は宗教界のコンセンサスを無視し、女性の運転解禁や女性のスポーツ観戦の解禁、映画館の運営の解禁などの改革を進めてきた。

REUTERS/Hamad I Mohammed

サウジアラビアの王族であるサウド家では伝統的に2つのコンセンサスが重視されてきた。一つは王族のコンセンサスであり、2つ目は宗教界のコンセンサスである。

年功序列を基本に、王族の話し合いで王位をつなげてきたサウド家で、サルマン国王が息子のムハンマド王子を副皇太子に任命することについては年長の王族から反対の声があがったとされる。匿名の王族によるサルマン国王とムハンマド副皇太子を批判し、追い落としを呼びかける文書が出回ったことは欧米のメディアでも取り上げられた。その後、ムハンマド・ナイフ皇太子を解任してムハンマド・サルマン副皇太子が皇太子に就任したことで、王族内の反発があることも予想される。

もう一つの宗教者のコンセンサスについては、女性の運転解禁や女性のスポーツ観戦の解禁、映画館の運営の解禁など、ムハンマド皇太子が主導して矢継ぎ早に行う改革について、サウジの主流である超保守的な宗教界は沈黙している。一方で人気のある改革派の宗教者が次々と拘束され、保守派を抑え込むだけでなく、改革派も抑え、皇太子が宗教界の影響力を排除しようとしていることがうかがわれる。

ムハンマド皇太子の手法は、サウジで重視された王族と宗教界の伝統的なコンセンサスをかなぐり捨てる破天荒なものである。反対意見を抑え込むために、宗教者やジャーナリスト、市民活動家を拘束し、弾圧した。カショギ氏殺害事件はその流れの中にある。皇太子が今回の危機でも反対意見を抑え込んで生き残れば、開明的な社会改革、経済改革をとりつつも、国内では秘密警察を使って恐怖政治で支配するという、1970年前後にイラクのサダム・フセインやリビアのカダフィが始めた個人独裁化の道を進むことになるだろう。

若者の支持が焦点

カショギ氏を悼む人々

殺害されたカショギ氏を悼む人々。ムハンマド皇太子が強権手段で生き延びるとすれば、人口の半分を占める若者世代の支持を得る必要がある。

Chris McGrath/Getty Images

しかし、強権手法によって支配を固めることができるかどうかは、国民の支持、特に人口の半分を占める若者の支持を得ることができるかどうかにかかっている。サウジの人口中央値はちょうど30歳であり、若い皇太子が長老たちを排除して国政を主導する姿は、2011年に若者たちが「体制打倒」を叫んでデモを始めた「アラブの春」の若者の反乱にも通じる。

若者たちの怒りや不満の背景には、失業問題、結婚問題、住宅問題など、アラブ世界に共通する若者問題がある。ムハンマド皇太子が強権手法で生き延びるとすれば、王族や部族に金をばらまくような伝統的な手法ではなく、能力に応じて若者を登用し、公正を担保できれば、若者たちのエネルギーを経済、社会改革に組み込むことができるだろう。

改革と言いながら、実際には腐敗が続き、皇太子の取り巻きだけが権力と富を独占する体制が継続するならば、新たに格差が拡大するだけとなる。有能な若者は幻滅して、反体制運動に参加し、体制が急速に不安定化する可能性もでてくる。

逆に、今回の危機で、ムハンマド皇太子が排除されれば、皇太子によって伝統的な支配層が排除された後だけに、権力の空白状態が生じる。それを契機として、これまでに募った若者たちの不満が噴き出して、状況が一気に不安定化する可能性も出てくる。

民主化に伴う不安定さや混乱

破壊されたモスルの街。イスラム国(IS)から奪還するべく、イラク軍が激しく攻撃していた。

破壊されたモスルの街。イスラム国(IS)から奪還するべく、イラク軍が激しく攻撃し、2017年7月に制圧した。ISの主力を担ったのは、政権に不満を持つ若者たちだった。

Carl Court/Getty Images

欧米諸国はカショギ氏殺害事件でムハンマド皇太子の危険性を認識した。より安定したサウジの体制をつくるために、皇太子を排除して、より穏健な王族を後継者に据えようと考えるかもしれない。

しかし、王族や宗教界の長老らとの合意を重視する支配者が、いまのサウジに安定をもたらすかどうかは疑問だ。伝統的な手法では若者たちの不満を抑えることはできないだろう。サウジから出てきた「アルカイダ」や「イスラム国」(IS)のような過激派も、若者たちが担った運動であり、若者たちの異議申し立ては暴力的な形をとる可能性もある。ムハンマド皇太子がいなくなった途端、皇太子が強権のもとで覆い隠していたサウジの矛盾が噴出することになる。

皇太子が排除されるならば、カショギ氏が最後まで求めた民主化や言論の自由などを進めて、若者たちを政治に取り込むことが、王国の安定を実現する道だろう。しかし、「アラブの春」後のエジプトやチュニジアの例から分かるように、民主化には不安定さや政治の混乱を伴う。サウジ国民や国際社会が、それをどこまで容認できるかにかかっている。

影響力強化を狙うエルドアン大統領

エルドアン大統領

トルコのエルドアン大統領はムハンマド皇太子の失脚を望んでいる。背景には、近年中東においてトルコの影響力が低下していることがある。

REUTERS/Murad Sezer

ムハンマド皇太子が排除されれば、アメリカのトランプ政権は、対イラン封じ込めの支えを失うことになる。皇太子の命運を握るのは、カショギ事件の捜査情報を持つトルコのエルドアン大統領である。大統領が狙っているのはムハンマド皇太子を追い落とすことだろう。

トルコで政権支持派の英字新聞「デイリー・サバフ」に事件後、カショギ氏殺害事件との関連で、「アラブ世界は政府間の争いや相違を抱えながらも、イスラエルに対抗する点では足並みをそろえる伝統があった。しかし、サウジの新しい皇太子とアラブ首長国連邦(UAE)はイスラエルと戦略的な同盟関係を結ぶ動きを見せている。(中略)カショギ氏の殺害は両国の皇太子の手法が、サウジとUAEにとって害をもたらすことを示している」という論評が載った。

カショギ氏殺害事件の関連でイスラエルが出てくるのは唐突かもしれないが、エルドアン大統領はムハンマド皇太子がトランプ大統領と親密な関係をつくり、水面下でイスラエルと協力関係を強めていることに強い警戒感を抱いていることを示す。

トランプ大統領の対イラン強硬姿勢は、大統領選挙運動から始まっている。親イスラエル・ユダヤロビーの支持を獲得するためにクシュナー大統領顧問を通じて、イスラエル政府の意向を強く反映したものであろう。イスラエルがサウジと秘密裏に治安協力をしてきことは、イスラエルメディアでは既成の事実として報じられる。

イランとの核合意を契機として関係改善を目指したオバマ米大統領の政策を転換して、トランプ大統領が「イスラエル―アメリカ―サウジ」によるイラン封じ込めの体制をつくったことは、イスラエルにとっての重要な成果である。

特にイランはイラク戦争後にイラクに生まれたシーア派政権の後ろ盾となり、シリア内戦ではアサド政権を支援して、イスラエルを脅かす存在になっている。それに対して、サウジのムハンマド皇太子が中心となってアメリカやイスラエルと連携して対イラン強硬姿勢をとっていることは、イスラエルがイランの勢力拡張に対抗する上でも重要である。

カショギ氏殺害事件でムハンマド皇太子が排除されれば、トルコ、イランとアラブ諸国が「共通の敵」としてのイスラエルに当たるという中東・イスラム世界の伝統的な構図が復活する可能性もある。


イスラエルとパレスチナの間の分断壁

パレスチナとの境界にイスラエルが一方的に設置した分離壁。イスラエルは近隣のイスラム諸国から孤立していたが、近年ムハンマド皇太子実権下のサウジアラビアと急接近している。

Chris McGrath/Getty Images)

イランとトルコ、アラブ諸国によるイスラエル包囲は、「アラブの春」後の自由選挙で、穏健イスラム政治組織「ムスリム同胞団」がチュニジアやエジプトで勝利し、両国に同胞団主導の政権ができた時に出現した。トルコのエルドアン大統領が率いる「公正発展党」(AKP)は、同胞団系組織とは近い関係にあり、同胞団政権を支援した。

パレスチナ自治区ガザを実効支配するハマスは、同胞団のパレスチナ支部から始まった。エジプトやチュニジアで同胞団政権ができたときには、ハマスも勢いを得た。

「アラブの春」の後、エジプトやチュニジアで生まれたムスリム同胞団政権は、エルドアン政権を自分たちの成功モデルとして考えて、トルコとの連携を強めた。トルコにとっての中東での影響力が増大した。しかし、エジプトの同胞団政権は2013年に軍のクーデターで排除された。サウジも同胞団を「テロ組織」に指定して、政治から排除した。ムハンマド皇太子が2017年6月にカタールと国交断絶し、エジプトが同調した背景には、カタールがイランと融和的政策をとったことと合わせて、同胞団を支援したことも含まれている。

アラブ世界でムスリム同胞団が封じ込められ、ムハンマド皇太子がアメリカやイスラエルと連携して、イランを封じ込めようとする流れの中で、エルドアン大統領の影響力は限られたものになっている。同大統領がカショギ氏殺害事件を契機にムハンマド皇太子に圧力をかけるのは、中東での自らの影響力を強めようとする主導権争いの意味を持つ。

ムハンマド皇太子がサウジの支配者として生き残るかどうかは、トルコにとっても、イランにとっても、さらにイスラエルにとっても、オセロゲームで1つの石によって優勢、劣勢の形勢ががらりと変わるような重大な意味を持つ。


川上泰徳:フリーランスとして中東を拠点に活動。元朝日新聞中東アフリカ総局長、編集委員。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在し、パレスチナ紛争、イラク戦争、「アラブの春」などを取材。

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