2018年11月6日に行われた「trialog vol.4」。キャッシュレス社会がもたらす私たちの生活の変化について語るBrainCatの中村貴一氏(左)とOrigami代表取締役社長の廉井義貴氏(右)。vol.4では初めて参加条件が「30歳以下限定」となり、若い世代から新たな潮流を生み出そうという気概が強く感じられた。
2018年11月6日、東京・渋谷にあるイベントスペース「EDGEof」は早々に満員となった。さまざまなファッションに身を包む30歳以下の男女がステージを熱心に見入る。その先にあるのは、トークイベント「trialog vol.4」の登壇者たちだ。「trialog」は、雑誌『WIRED』日本版の元編集長でblkswn publishersを立ち上げた若林恵氏とソニーが手がけるプロジェクト。「本当に欲しい未来は何か」をテーマに、さまざまなトピックを毎回設定。今回のお題は「経済」。お金とクリエイティブの新しい関係をテーマにトークが繰り広げられた。
4回目にして初めて「お金」がテーマ
「権利関係やお金のことなど、クリエイターから最も遠いと思われがちな話を、しっかり知らなければクリエイティブな仕事もできないし、優れた人たちとチームも組めない」とそれぞれの体験を通じて語る水口氏(左)、トーフビーツ氏(中央)、若林氏(右)。
イベントは3つのセッションで構成。若林氏がモデレーターを務める中、進行された各セッションのテーマと登壇者は以下の通りだ。
- セッション1:お金が変わる。働くが変わる。生きるが変わる。(スピーカー:Origami代表取締役社長・康井義貴氏、BrainCat代表取締役中村貴一氏)
- セッション2:未来の会社/会社の未来(スピーカー:音楽プロデューサー/DJ tofubeats(トーフビーツ)氏、Enhance代表水口哲也氏)
- セッション3:資本主義のオルタナティブと「幸福」のゆくえ
この中から、誰もが求めて止まない「幸せ」について語られたセッション3を紹介する。
スピーカーのプロフィール
北野宏明/ソニーコンピュータサイエンス研究所所長:ソニーコンピュータサイエンス研究所代表取締役社長。特定非営利活動法人システム・バイオロジー研究機構 会長。沖縄科学技術大学院大学 教授。ソニー株式会社執行役員。ロボカップ国際委員会ファウンディング・プレジデント。国際人工知能学会(IJCAI)エクゼクティブ・コミッティー・メンバー。世界経済フォーラムAI&Robotics Council 委員。
若林恵/コンテンツ・ディレクター:1971年生まれ。早稲田大学を卒業後、平凡社入社。『月刊太陽』編集部所属。2000年、フリー編集者として独立。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社設立。
文化人類学者と人工知能の権威が語る「幸福論」
AI研究に哲学思想は欠かせないという北野氏。
エチオピアや中東の都市でのフィールドワークを通じ市場や国家のあり方を問い直してきた文化人類学者で岡山大学文学部准教授の松村圭一郎氏と、ソニーコンピュータサイエンス研究所所長の北野宏明氏が繰り広げたのは、経済のあり方と「幸福」について。数年前、ラオス、カンボジア、インド、ブータンなどの途上国を旅したという北野氏は、そのときの写真をスクリーンに映しながら説明した。
Hiroaki.KITANO
「フィリピンの首都・マニラの郊外のスラムとフィリピンの漁民の島。どちらも収入レベルは非常に低いのですが、島の人たちはみんなニコニコしている。生活インフラや医療、教育も十分ではないし、本当に幸せなのかといえばそれは分からない。私が思ったのは、幸福感というのは人それぞれ違う、経済レベルだけでは測れないということです」と自分の体験を通じて実感した幸福論を展開した。
生活の質を語る「新しい言語」が必要
文化人類学者は「そもそも、それって……」と前提から疑ってかかる面倒くさいヤツと自虐的に語り笑いを取る松村氏。
松村氏はGDPという指標に対して問いを投げかける。
「GDPはものさしとして便利だけれど、国としての経済力の高さと、一個人の幸福感、生活満足度といった質の違うものを並べても意味がない。また発展途上国の人たちが、富を持つ人たちと自分たちとの経済格差を知ってしまうことで、かえって貧窮感をあおり己の不幸せを実感することにつながってしまう。そしてGDPは日本人にとっても、生活実感とはかけ離れた言葉です。私たちは生活の質を語るための新たな言葉を獲得しなければならない」と指摘した。
GDPという尺度が使える国、使えない国
幸せの形、感じ方は人それぞれ、と熱く語る北野氏(左)、松村氏(中央)、若林氏(右)。
さらに、北野氏は「途上国においては経済成長と幸福度は一定の連関があります。例えば、国連のHuman Development Index(=人間開発指数、HDI)などのように、教育や医療などの基本的充実度は、1人あたりのGDP(GDP per capita)と強く相関している。HDIが高ければ幸福かというと、それは同じではないと思いますが、基本的なニーズに関わるので、関連は高いとしてよいと思います」と言う。
「例えば、カンボジアやインドなど無電化村に行くと、もし1日数時間でも電気が使えれば、もっと仕事も勉強もできるし、オイルランプによる呼吸器系疾患などの問題の解決するという明確な変化があります。しかし、1人あたりGDPが一定水準以上の国においては、HDIと1人あたりGDPとの相関関係は薄れていくという統計がある。最近では、GDPに代わる指標が研究されています。例えば、世界経済フォーラムは、GDPに代わる5つの指標などを提案しています (Five measures of growth that are better than GDP)。日本は、これから多様性やサステナビリティといった方向性で、GDPに変わる尺度で物事を計っていくことが重要になります」と語った。
経済成長のためには若いエネルギーが必要
gettyimages
セッションのあと、北野氏に個別インタビューを行った。個人的に発展途上国を旅し、現地の状況を目の当たりにしてきた北野氏からは、今の豊かな日本がどのように見えているのだろうか。
「ある大学で講義をしたとき、学生たちに『ほしいものはありますか』と聞いたら、誰も手を挙げなかった。みんな『ほしいものは全部あるから幸せです』と言う。片や中国やインドなどでは、『とにかく成功したい、もっと収入を上げたい、もっといろんなモノがほしい』という若者がたくさんいて国の経済成長の原動力になっている。若い人が満足している社会はそこから先に進みません。
そこはかなり心配ではあるけど、物質的に恵まれた環境に育った人々が、どこを目指していくかと考えると、そこに新しい価値観や世界観があると思う。それは従来のGDPでは測れない領域だと思うし、そこにパラダイムチェンジ的な期待感があります」
人の幸せのために研究を続ける
AIやロボットは道具に過ぎない、と断言する北野氏。
飽和社会の日本において、さらに新たなテクノロジー発展のため研究していくのはなぜか。北野氏は「テクノロジーは幸福のための道具だから」と説明する。
「例えばITによって働く場所に縛られなくなったように、テクノロジーで多様なライフスタイル、働き方をすることが可能になる。AIによって仕事を奪われるのではないかという危惧もあるが、これまでと同じ仕事ではなくなっても、それに変わる仕事、例えば街に設置されたAIセンサーの点検、修理など違う仕事がたくさん生まれてくると思う。むしろ人不足になることさえ考えられる」
北野氏がいま注目しているテクノロジーは何だろうか。
「AI、IoT、ロボティクスといった情報技術の領域ですね。そして、環境エネルギー技術、生命科学技術の3大領域。情報技術、生命科学技術は今後著しいスピードで進歩することが予想されますが、どちらの分野も、特に生殖工学では哲学、倫理観が大きく問われることになる。何のための技術なのか、研究者は常に原点に立ち返って考えなければならない」
テクノロジーは経済を変え、働き方を変え、幸福のあり方を変える。実際、今回のセッション1、セッション2でゲストとして登壇した面々は、テクノロジーの発展により新たなビジネスチャンスやクリエイティビティを獲得した人々だ。「変化」はもっとおもしろくなる、「技術」は私たちが欲しい未来を創り出す。そんな予感に満ちたイベントだった。