IT大国として昨今注目を集めるエストニア。筆者は仮想通貨のシンクタンクBaroque Streetを設立、その拠点をエストニアの首都のタリンに置いたため、2018年4月にこの国に移住して来た。
街並みが美しいエストニアの首都・タリン。
撮影:Baroque Street
関連記事:メガバンク辞めた同期3人+1人がエストニアでつくる仮想通貨専門シンクタンクこれまでエストニアの生活事情、ビジネス事情に関して考察してきたが、今回は政府のカルチャーについて考察し、本連載を締めくくろうと思う。
e-residensyはコミュニティビジネス
エストニアと言えば「e-residency」と言われるが、このe-residencyに登録しただけではビザは下りないし、法人は登記できても、現地に行かないとほとんどの銀行口座は作れない。
e-residencyとは:エストニア国外の人たちがエストニアの電子住民になれる制度のこと。
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何か特別な記念品がもらえるわけでもないし、ポイントがたまるわけでもない。費用も無料でははなく、きっちりクレジットカードで100ユーロの支払いを要求される。
e-residencyカードはアダプターを使ってPCに接続できるようになっている。ちなみに日本のように自分のナンバーを秘密にする必要はない。
撮影:Baroque Street
だが、なんとなく登録しているといいことがある気がするし、他に登録している人たちのことが気になる。もしかしたら、彼らと交流する機会もあるかもしれない、と。
合理的に考えると「新しくてちょっと嬉しい」以上の恩恵はないのだが、世界中からたくさんの人たちが参加している。それがe-residencyの現状だ。
この構図、実はビジネスの世界で最近増え始めている、オンラインサロンと酷似していると気がついた。
有名人や著名団体のブランドに惹かれ、そこに言語化できない何かを期待して、多くの人々が集まる。雑誌やメルマガのように何か具体的で付加価値の高いコンテンツが用意されていない場合でも、一定数の人は会費を払って登録する。
ファンクラブではないので、その有名人に実際に会えるのはごくわずかな機会だし、付加価値の高いコンテンツは世の中に無料で溢れかえっている。
にも関わらず、そういった人たちが存在するのは、そのコミュニティ自体に価値が付いているからに他ならない。
何か表には出てこない最新の情報が得られるのではないか、共通の関心事項がある人たちとつながっておくことで、何かビジネスの機会が生まれるのではないか。新しい動きの中にいることで、自分にとっていい刺激になるのではないか。
目に見える分かりやすいものはないが、そういった期待値が先行して人が集まり、思い思いに勝手に議論を始める。その結果として、そのコミュニティの発案者はコミュニティを管理しているだけでアイデアも収益も得ることができ、ブランディングにもなるのだ。
e-residensyはこれとまったく同じ構図であり、コミュニティビジネスそのものだと考えることができる。
エストコインは話題先行の未完成プロダクト
世界中の人々が参加しているe-residensy。コミュニティの中で刺激や、新たなアイディアを得ることにつながっている。
撮影:Yuta Tanahashi
エストコインに関しても同様の見方をすると、理解がしやすい。
2017年8月にエストニア政府は、国家としては初の暗号通貨を発行すると発表した。
当時、ビットコインを中心に暗号通貨の価格が軒並み上昇傾向であったため、当然エストコインに関しても注目が集まった。
e-residencyというコミュニティビジネスで、ある程度認知度を高めていたエストニアが打ち出した次のプロダクトがエストコインなのだ。
今現在もプロトタイプすら発表されていない状況からすると、発表当時はアイデアすら固まっていなかったに違いない。しかし「仮想通貨」「ビットコイン」というバズワードに上手く乗っかる形で、「エストコイン」というワードが世に出された。
その結果として、エストニア自体の知名度が上がり、2017年末から2018年にかけてのエストニアブームが起こっているのだとすれば、マーケティングとしての効果は十分にあったと思われる。
ウェルカム、エストニア批判
「真の豊かさ」を感じることができるエストニアで人生と向き合ってみるのもいいかもしれない。
撮影:Yuta Tanahashi
エストニアに視察に訪れた人たちの反応は、大きく2パターンに分かれるように思う。
観光視察に来た人たちは、会社に何かしらの報告を求められるため、無理矢理にでも「良かった」「すごかった」という反応を示す。
一方で、何かしらの案件があってついでに寄ってみた、とりあえず話題だから自分の予算で来てみたという人たちは「何もなかった」と言う。
観光視察に来る人たちは一度しか来ないのでその流れが一巡すると、今よりもエストニアに対して批判的な意見も増えて来るだろう。
こういった批判の声に対してエストニア政府はどのように考えているのだろうか。 それは「いいぞ、もっと言え」である。
周りが騒げば騒ぐほど、エストニアの名前は売れるし、そこで計画されているアイデアも世に知られるようになる。そのうち批判に加えて「ここが良くなかった」「もっとこうすれば良いのではないか」と言ったフィードバックや解決策も勝手に出て来るので、エストニア側はそれを拾ってまとめるだけで良い。
e-residencyというコミュニティプラットフォームを維持さえしておけば、勝手に世界中の「エストニア通」たちがエストニアの未来について議論してくれるのだ。
その姿は限られたリソースの中で高い志を持ち、周囲の関心や好意を上手く利用してプロダクトを改善していくベンチャー企業の姿そのものである。
炎上商法と言うと少し言い過ぎだが、ベンチャーとしてのマーケティング戦略に長けているのは間違いない。
日本や他の先進国が見習うべきものは、座学で学べるITやブロックチェーンの技術ではなく、弱小ながら世界に名を轟かせているマーケティングの技術ではないか。
そんな見方をして視察に行けば、あるいは得られるものも大きく変わってくるのかもしれない。
本当の豊かさを感じられる国
エストニア政府はe-residencyによって国の知名度を上げるとともに、フィードバックや解決策を自然と得ている。
撮影:Yuta Tanahashi
これまで4回に渡って、エストニアに関する記事を執筆してきた。 昨今のエストニアブームの中で、恣意的に持ち上げる記事が多いので、どうしてもそれらに比べると批判的な内容が増えてしまったが、個人的にはあくまで中立のつもりである。
ビジネスチャンスが特筆してあるわけではないし、この国に骨を埋める覚悟もないため、この先は別の地に行くことになるだろう。
ただ最後にこれだけは言っておきたい。
エストニアは穏やかで心落ち着く素晴らしい国である。人々も一見無愛想だが、みな親切で優しい。自然や自分と深く向き合い、今後の人生や幸せについてじっくり考えるには最適な環境である。
電子化やブロックチェーンなどにのめり込むのもいいが、都会の喧騒から離れ、陽の長い涼しい夏を満喫しにきてはどうだろうか。もちろん会社の金など使わず自腹でという話になるが、そうやって実際にやってくる人はごく少数であり、それこそが真の豊かさの証だと感じた夏であった。
エストニアのさらなる発展を願いつつ、本連載は一旦終了とする。 これまでお読みいただき、ありがとうございました。
福島健太(Kenta Fukushima):株式会社Baroque Street代表取締役CEO。京都大学農学部卒。都市銀行、システムエンジニア、国立大学特別研究員を経て、仮想通貨に特化したシンクタンクであるBaroque Streetを設立。現在はエストニアに拠点を移し、仮想通貨プロジェクトのリサーチに従事している。