世界を変えた15の自動車…日本から3車種が登場

初代フォード Fシリーズ。

初代フォード Fシリーズ。

Ford

  • 1940年代から2010年代まで、10年ごとに2台、ベストカーを選出。
  • ピックアップトラックからスーパーカーまで、さまざまな車が選ばれた。
  • もちろん、テスラも入った。

自動車の黄金時代はいつか?

さまざまな意見があるが、実は第2次世界大戦以降、ずっと黄金時代が続いているようなものだ。

80年間、自動車は素晴らしい存在であり続けている。ゴージャス、イノベーティブ、パワフル、そして信頼性が高く、価格もリーズナブル。

我々は、車を所有する人が減っていること、自動運転車が増えることについて議論するなかで、これまでの栄光を振り返り、各年代を代表する素晴らしい車を選ぶことにした。

我々の基準はシンプル。当時ヒットした、歴史的に重要、変革をもたらした、もしくは大きな影響を与えた車。

最近まで生産されていた場合、ボーナスポイントを加算した。

1940年から現在まで、10年ごとに2台ずつ、我々が考えたベスト・カーを見てみよう。

1940年代 初代ジープ(Original Jeep)

初代ジープ

Jeep

ウィリス・オーバーランド(Willys-Overland)が開発したジープは、第2次世界大戦で連合国の勝利に大きく貢献した。初代ジープの頑丈さ、極めて優れた走破性は、ジープ・ラングラー(Wrangler)などにしっかりと受け継がれている。

軍用車は時として民生用に作り変えられる。例えば、ハマーもその一例。

だがウィリスのジープは、勝つために必要なものをすべて備えた車と言われる。シンプル、メンテナンスが簡単、丈夫、すぐに動かせる。

米軍を始めとする連合国軍が偵察用装甲車として使用、最前線で活躍した。今見ても、機能と形状の完璧なコンビネーションに感動せずにいられない。

1940年代 フォード Fシリーズ(Ford F-Series)

フォード Fシリーズ

Ford

Fシリーズはもともと、作業トラック、あるいはビジネスや農業、長距離輸送に使われる車として開発された。

約80年後の今、Fシリーズはアメリカでベストセラーカーとなり、1980年代以来トップに君臨している。フォードは2018年、100万台近くのFシリーズを販売。驚異的な記録はここから始まった。

1950年代 シトロエン DS(Citroën DS)

シトロエン・DS

REUTERS/Charles Platiau

シトロエン DSは第2次世界大戦後にフランス車の復活を示した。

テクノロジーとデザインの時代の到来に先駆け、DSは常にユニークなフランス車の最高傑作とされてきた。おしゃれで、上品、それでいて世俗的。

象徴的なスタイル、先進的なハイドロニューマチック・サスペンション、そしてシトロエンが生み出した数々の奇抜なデザインによって、DSは真に唯一無二の存在になった。

生産は1955年から1975年まで。アメリカはテールフィン、マスタング、そしてマッスルカーの時代、一方、フランスは美しいDSの時代だった。

1950年代 シボレー コルベット(Chevrolet Corvette)

シボレー・コルベット

GM

お洒落なロードスターの代名詞コルベットは1953年に登場。1950年代のムードとトレンドを感じさせながらも、フォード マスタングのようなコンパクトでお洒落な1960年代の人気車の手本となった。

コルベットファンの多くは、1970年代が舞台の映画『ブギーナイツ』に登場する真っ赤なコルベットがお気に入り、あるいはケンタッキー州ボーリング・グリーンで組み立てられる最新モデル ── スティングレー、Z06、グランスポーツ、新型ZR1をシボレーの最高傑作と考えているだろう。

だが、初代コルベットは今なお、思わず振り向いてしまうほど美しい。大型セダンの地であるアメリカが、スポーツカーでもヨーロッパに負けないことを証明した。

1960年代 フォルクスワーゲン ビートル(Volkswagen Beetle)

フォルクスワーゲン・ビートル

REUTERS/Uruguayan Presidency

「国民車」を意味するフォルクスワーゲンは、フェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche)が、ナチス・ドイツから大衆車を作るよう要請を受けて創業した。同氏はその後、自身の名を冠したポルシェを創業、一方ビートルはドイツの第2次世界大戦敗北を乗り越え、1960年代を代表する車となった。

手頃な価格のビートルは、大型セダンが1950年代の輝きを失ったアメリカで、大きな人気を集めた。2003年に生産終了となったが、最終的に2100万台以上が生産された。

1960年代 フォード マスタング(Ford Mustang)

フォード・マスタング

Ford

マスタングは1960年代半ば、若者が求める車を作ろうとしたフォードの挑戦から生まれた。

マスタングはすぐに成功を収めた。だが失敗もあった。1970年代に登場した2代目は、現在では失敗作と見なされ、その名に値しないとされている。

だが、3代目は伝説となった。有名な「FOXプラットフォーム」を採用、50年以上がたった今でもマスタングの最高傑作と言える。

1970年代 ホンダ シビック

ホンダ・シビック

Honda

小さな低燃費の日本車がアメリカに登場し始めた頃、アメリカの自動車業界は冷笑していた。だが、1973年、ホンダ シビックが登場するまでに、アメリカはかつてない衝撃を経験していた。オイルショックだ。

ガソリンの価格が突然上がったため、アメリカの人々はスタイリッシュで広いとは言え、燃費の悪い車のことを考え直していた。小型車が受け入れられる土壌は、すでにフォルクスワーゲン ビートルとフォード ファルコンが切り開いていた。だがシビックはさらに新たな価値をもたらした。素晴らしい信頼性だ。

顧客は数年ごとに新しい車を欲しがるものと考えた、自動車業界の悪名高い戦略「計画的陳腐化」とは真逆だった。

シビックは低燃費と高い信頼性を実現。以来、現在も生産され、史上、最も人気の高い車となっていることは不思議なことではない。

1970年代 ランボルギーニ カウンタック(Lamborghini Countach)

ランボルギーニ・カウンタック

Lamborghini

驚いた! 「カウンタック」はイタリアの方言で驚きを表す。そしてこれは1971年、この車がジュネーブ・モーター・ショーに初登場した時、人々が発した言葉でもある。

元祖スーパーカーと言えば、驚異的な美しさを誇るランボルギーニ ミウラかもしれない。だがカウンタックはスーパーカーの存在を世に知らしめた。以来40年、カウンタックの知名度に匹敵する車は存在しない。

ランボルギーニの伝説的なビッザリーニV12エンジン、マルチェロ・ガンディーニが手がけたウェッジシェイプ、象徴的なシザードアでカウンタックはカルチャー現象となった。

1973年のオイルショックでさえ、その勢いを止めることはできなかった。

1980年代 ダッジ キャラバン(Dodge Caravan)

ダッジ・キャラバン

FCA

クライスラーがミニバンを作る以前にも、もちろんバンはあった。だが、ファミリー向けではなかった。配達用か、1970年代のバンを派手なペイントで小さなキャンピングカーに改造する人向けだった。ワーゲンバスという前例もあった。カウンターカルチャーを象徴する車だった。

クライスラーは1983年、初めて正真正銘のファミリー向けミニバンを発表、ダッジ キャラバンとプリマス ボイジャー(Plymouth Voyager)だ。この2つは大ヒットし、真似をする車も登場した。

ミニバンは最近、SUVにその人気を奪われているが、子どもを持つ世代はミニバンを支持し続けている。

現行のフィアット・クライスラー・オートモービルズ(Fiat Chrysler Automobiles Pacifica)のパシフィカ(Pacifica)はキャラバンの後継車でかなりの人気。ホンダはオデッセイを、トヨタはシエナを送り込んでいる。

1980年代 レクサス LS400(Lexus LS400)

レクサス・LS400

Lexus

トヨタ車はすでにアメリカで素晴らしい評判を集めていた。いつでも問題なく動き、長持ちし、燃費は財布に優しい。

そのポジションにずっと留まることはできた。だが同社は考えた。高級車市場に「トヨタ方式」を持ち込んだらどうなるだろうか、と。

高級車市場はレーガン大統領の時代、つまり1980年代に大きく変わった。それ以前、アメリカ人はシンプルにリンカーンやキャデラックが作った高級車へと乗り換えていた。だがドイツ車 ── BMWとメルセデス・ベンツが優れたクオリティとパフォーマンスを誇る車から、ステータスシンボルになっていた。

レクサスの投入、つまり同社の卓越した生産能力を活用した取り組みはメルセデス・ベンツと競合するためのものだった。大きなリスクだったが、成功した。LS400は高い評価を集め、レクサスはたちまちメルセデス・ベンツ、BMWと並んでアメリカの高級車市場の一角を占めるようになった。

アメリカの高級車市場に初めて挑んだ日本車メーカーは、1986年に進出したホンダのアキュア。日産のインフィニティがそれに続いた。レクサスは1989年に参入、トヨタにとってアメリカにおける絶頂期と言える。

1990年代 フォード エクスプローラー(Ford Explorer)

フォード エクスプローラー

Ford

フォード エクスプローラー、SUVが今、アメリカの自動車市場を支配しているのは、この車のおかげだ。1990年代はじめに発表されたエクスプローラーは、アウトドア向けの無骨な実用車を郊外に住むファミリーのシンボルへと変えた。

その過程でエクスプローラーは、ステーションワゴンを実用的なファミリーカーの王座から事実上陥落させた。金融危機後のガソリン価格の高騰で打撃を受けたものの勢いは回復、2013年までにワゴンのみならずファミリーセダンからもユーザーを奪い、再びフォードの生命線となった。

数々のSUVの中で、これほど影響力のある車は他にない。今もなおラインナップされている ── そして変わらず、素晴らしい1台。

1990年代 マクラーレン F1(McLaren F1)

マクラーレン F1

McLaren

1990年代の自動車テクノロジーの最高峰。マクラーレン F1は、他の量産車がその後10年以上実現できなかった先進のカーボンモノコックボディとパフォーマンスを実現した。

1990年代、マクラーレン F1は自動車界の頂点に君臨した。価格は81万ドル(約8900万円)、世界で最も高価な車となった。BMW製V12エンジンは当時、500馬力でも難しいと考えられていた中で、軽々と627馬力を生み出した。最高速度は時速391キロメートル、10年近く破られなかった。

基本設計に優れたマクラーレン F1は、1995年のル・マン24時間レースに出場。優勝のみならず、3位、4位、5位にも入り、この年のル・マンの主役となった(ドライバーの1人だった関谷正徳は、ル・マンで総合優勝した初の日本人となった)。

2000年代 トヨタ プリウス

トヨタ・プリウス

Toyota

SUVの全盛期に、プリウスがアメリカ市場でヒットしたことは皮肉的なことだった。

トヨタは数年と数十億ドルをプリウスの開発に費やした。地味なファミリー向け4ドアセダンは、ボンネットの下に秘密兵器を隠していた。

ハイブリッドシナジードライブ(Hybrid Synergy Drive)、世界初の実用的なガソリンと電気のハイブリッドシステムだ。

一夜にして、ユーザーは優れた燃費と、CO2排出量の大幅削減を実現した車を手に入れた。

2000年頃にアメリカに登場した初代プリウスは、格好いいとは言えないエコノミーセダン「エコー(日本名:プラッツ)」がベースだった。2代目は、今でも悪名高いデザインに。多くの人にとっては格好の悪い車だが、プリウス・オーナーにとっては美しい車だ。

プリウスをはじめとするトヨタのハイブリッド車の累計販売台数は、2017年はじめに1000万台を突破。EV人気が高まりつつあるものの、プリウスが与えたインパクトは誇張し過ぎることはない。約100年前のフォード モデルT(T型フォード)のように、すべてを変えた。

2000年代 ポルシェ カイエン(Porsche Cayenne)

ポルシェ・カイエン

REUTERS/Juergen Schwarz

遅いポルシェなど、誰が欲しがるのか!

ポルシェがSUVの計画を発表した時、ポルシェ愛好家たちはそんな風に言った。多くの人が、ポルシェは恥をかくことになると考えた。

だが、そうはならなかった。カイエンはすぐにポルシェファンからのリスペクトとオーナーからの称賛を獲得した。ポルシェは史上最高のSUVを作り上げ、成功した。

もちろん、カイエンは911とは違う。だが新たな素晴らしいSUVで、ポルシェはハイパフォーマンス・ラグジュアリーSUVという新たな市場を作り出し、大きな売り上げをあげた。

現在、フェラーリ以外の主なラグジュアリーブランドは、どこもSUVをラインナップしている。フェラーリもSUVを計画中。リスクを冒し、道を切り開いたポルシェ カイエンのおかげだ。

2010年代 テスラ モデルS(Tesla Model S)

テスラ・モデルS

Tesla

モデルT以上に重要な車を敢えてあげるなら、似たような名前の「モデルS」だろう。

テスラと同社CEOのイーロン・マスクは、同社初の車「ロードスター」で、EVが格好いいゴルフカートに留まらないことを証明した。EVは速く、セクシーであり得ると。

モデルSは、テスラがすべてを手がけた最初の車(ロードスターはロータスがベースだった)。速く、快適で、スタイリッシュでラグジュアリー。モーター・トレンド(Motor Trend)の2013年カー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。価格は10万ドル(約1100万円)。

販売後も数年にわたり、テスラはモデルSの航続距離とパフォーマンスをアップグレードさせた。最上級モデルのP100Dの0-60mphはスーパーカーを上回る。

「モデルT」は極めて重要な存在、一方、「モデルS」は驚くべき素晴らしさだ。

2010年代 ウーバー(Uber)!

ウーバー

Thomson Reuters

2010年代のもう1つのベストカーは、車ではない! ウーバーだ。評価額600億ドル(約6兆6000億円)以上、紛れもなく、GM、フォード、フィアット・クライスラー・オートモービルズ、テスラの時価総額を上回っている。

ウーバーはアプリを使ったオンデマンド配車サービスを実現、移動に関する利便性を向上させた。すぐにユーザーは「Ubering」(そう、英語では動詞にもなった)する方が車を所有するよりも経済的だと気づいた。同社は都市の様相を変え、タクシー業界に衝撃を与えた。

2017年にCEOトラビス・カラニックが辞任する以前から、同社は自らが作り出した新しい市場を支配するために、見境いのない、無謀な取り組みを続けた。法を捻じ曲げ、時には法を破ることすらあった。ヨーロッパでは各国政府との規制を巡る争いもあった。

だが自動車の発明以来初めて、ウーバーは多くの人にもう車は必要ないかもしれないと思わせたことに議論の余地はない。

※敬称略

[原文:15 cars that changed the world

(翻訳:Ito Yasuko、編集:増田隆幸)

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