東京・京橋の明治本社にて、松田克也社長(右)と立教大学ビジネススクールの田中道昭教授。
明治製菓と明治乳業が経営統合して2019年で10年。時価総額1兆2000億円を超え、業界を牽引する明治ホールディングスの食品事業会社トップ・松田克也社長と、企業戦略を専門とする立教大学ビジネススクールの田中道昭教授が、同社の戦略と食品業界の未来について語り合った。(前編はこちら)
「低栄養」の時代
田中:明治グループの「2026ビジョン」を読むと、「健康価値領域での新たな挑戦」「社会課題への貢献」が重点方針の一つに掲げられています。その内容にはいずれも「健康」というキーワードが含まれているようですが、そのあたりへのこだわりや想いをお聞かせください。
明治ホールディングスの「2026ビジョン」に記載された重点方針。
出典:明治ホールディングス「2017年度決算・2020中期経営計画説明会」資料
松田:現代人の健康状態が話題になる時、過剰栄養だという人と、栄養不足(低栄養)だという人がいます。ひと昔前は、飽食の時代になって栄養を摂り過ぎで、低栄養なんてことを言う人はいなかった。
ところが最近になって、とにかく痩せていればいいということで、カロリー摂取量が不足する人や、しっかり量を食べているけれどもバランスが悪く必要な栄養素を摂れていない人が増えてきました。
実際のデータを見ると、総エネルギー摂取量は年々減ってきているものの、脂質の摂取量はほとんど変化がない。減っているのはタンパク質で、戦後と同水準という研究もある。当然、疾病が増えたり、産まれてくる赤ちゃんに影響する可能性も出てきますから、大きな問題です。
もう一つ取り組むべき問題は、高齢者の「フレイル」。こちらも栄養状態の改善、特にタンパク質の適切な摂取による予防が可能と考えています。
フレイルとは……「加齢とともに心身の活力が低下し、複数の慢性疾患の併存などの影響もあり、生活機能が障害され、心身の脆弱性が出現した状態であるが、一方で適切な介入・支援により、生活機能の維持向上が可能な状態」(厚生労働省)。健康な状態と介護が必要な状態の中間を指す。
「健康」プラス「おいしい」が明治流
施設で強い人気の「メイバランス」、健康維持のために1日1本飲むファンが増えているという乳酸菌飲料「R-1」「LG21」。
田中:日本では次から次へと新たなダイエット・メソッドが流行しますが、確かにバランスを欠いたものが多い気がします。世間に流布する誤解も多くて、多少痩せているくらいがいいという人が多いと思いますが、実はBMI(肥満度指数)が少し高め、ちょっとぽっちゃり型の方が長生きするというデータもあるようですね。
松田:確かにそういうデータが出てきているようですね。低栄養もフレイルも、栄養を摂ることが解決のカギではあるんですが、医療機関でも薬品会社でもなく食品会社である明治としては、そこに「おいしい」というキーワードを絡めないと当社として使命を果たしているとは言えない。そうでないと、明治らしい、明治だからできることとは言えない。
おいしいということは楽しいことであり、おいしいものを買ったり食べたりすることはワクワクすることであるはずです。幼いころに駄菓子屋やスーパーの菓子コーナーに行くのが楽しみだったように。ところが、健康が重視されると、なぜか楽しさの要素が追いやられてしまう。健康でいられて、おいしく、楽しい。明治はそこにこだわりたい。
田中:高齢者のフレイル予防は、医療や栄養学の要素が色濃そうに感じますが、そこでも「おいしい」へのこだわりは貫けるものなのでしょうか。
松田:もちろんです。栄養食品「メイバランス」シリーズがまさにそれで、介護施設では相当役立ててもらっています。施設には栄養を補給する製品の売り込みはいくらでもありますから、そこで圧倒的なシェアを獲得できているのは、他に比べておいしいという付加価値があるからこそだと思います。
メイバランスは、当初の想定としては、低栄養で嚥下の力が弱くなった高齢者向けの商品なのですが、すでにお話ししたような成人の栄養不足対策としても有効なので、現在はそういう展開も進めています。ただ、新しいジャンルの商品なので、ドラッグストアやスーパーの店頭に置いてもなかなかコンセプトが伝わりづらく、どうやって認知してもらうかが目下の課題ですね。
チョコレートとの新たな関わり方
縦型のシンプルなデザイン、クラフトチョコレートを示唆するクラフト紙のパッケージ、カカオの素材や香りにこだわったラインナップで大ヒット商品になった「THE Chocolate」(写真奥)。
田中:明治の商品はマーケティングの視点で見ると本当に面白い。マーケティングの授業でも題材にしています。用意した図表はまさに授業からの引用。ラダリング(消費者視点で商品の価値を分析する手法)を用いて、大ヒット商品「THE Chocolate」のブランディング、マーケティングを分析したものです。
カカオの素材や香りにこだわった「商品そのもの」としてのチョコレート。縦型のシンプルなデザイン、クラフトチョコレートを示唆するクラフト紙のパッケージでスーパーやコンビニの陳列棚を確保し、消費者が共感=シェアしたくなるプロモーション。まさにマーケティングのお手本とも言える商品展開ですよね。チョコレートを文化ブランドにまで高めていこうとする意欲が感じられます。
田中道昭教授による明治「THE Chocolate」のブランディング分析。
出典:立教大学ビジネススクール田中道昭教授が作成
田中道昭教授による明治「THE Chocolate」のマーケティング分析。
出典:立教大学ビジネススクール田中道昭教授が作成
松田:チョコレートはかつて、遠足や運動会に持っていくおやつの位置づけでした。それはそれで文化の一つだけれども、もっと深く美味しさを楽しむやり方もある。THE Chocolateの宣伝コピーを「香りを食べる、こだわりカカオ」としたように、実は食べる前の香りだけでなく、口に含んでから鼻から抜けていく香りにはさらに別のおいしさを感じることができるんです。
また、THE Chocolateの属性として「BEAN to BAR」(カカオ豆の生産から板チョコの製造までを一貫して手がけるスタイル)を挙げてもらいましたが、もう一歩踏み込んで、カカオ樹の栽培、環境農法の普及やカカオ農家支援まで含めた「FARM to BAR」に取り組んでいます。
こうしたチョコレートとの新たな関わり方は、田中さんご指摘のように、文化ブランドとして育成していると言っていいのかもしれませんね。
「The Chocolate」は食べる時にさまざまなサイズに割って食感を楽しめる工夫がなされている。が、松田克也社長は女性が一度に食べ切れるパッケージサイズにするなど、まだまだ向上の余地があると妥協を許さない。
ただし、商品としてはまだまだ最終型ではありません。例えば、THE Chocolateは17グラムあるんですが、女性がひと口で食べるには大きすぎる。また、「力強い深み」「華やかな果実味」といったバリエーションの多さは魅力の一つながら、スーパーやコンビニの店頭では分かりにくい、種類が多すぎるという声があるのも事実なんです。
少量ずつ食べ比べできるセット商品を発売するなど、より良い商品にするために社員たちが試行錯誤を繰り返しているところです。文化をつくるには時間がかかりますからね。
田中:THE Chocolateは、消費者行動の分析にもよく使われる「マズローの欲求5段階説」に当てはめるなら、その商品を選ぶ自分がどうありたいのか、どんな心境の時に食べたいかという、最も高度な「自己実現の欲求」にも訴求する商品です。
ターゲティングやポジショニングは明確なので、無理に大衆化させようとすることなく、ライフスタイルや在り方に訴求した文化ブランドとしての位置を確立していくのが理想的ですね。より多くの人たちの自己実現の欲求を顕在化させていくことでより商品も広がっていくと思います。
「乳酸菌」事業の可能性
松田克也社長が語るように「チョコレートの明治」「乳酸菌の明治」は、2018年時点でチョコレート市場は24.3%、ヨーグルト市場では43.5%のトップシェアを誇る。
田中:「チョコレートは明治」のイメージが定着していますが、乳酸菌関連の食品メーカーとしてもよく知られていますよね。実は、私もドリンクタイプのヨーグルトを愛飲しているのですが。
松田:60年以上前から研究を続け、約6000種類の乳酸菌ライブラリを持っており、「乳酸菌は明治」だという自負があります。それらの知見をいかし、さまざまな特長を持った乳酸菌を使用した「明治プロビオヨーグルト」シリーズのR-1、LG21、PA-3が支持を得ています。
田中:最先端のテクノロジーを活用した医学の発展は著しく、10年、20年というスパンで見れば、医薬品はそれぞれの遺伝子に合った個別のものになっていくと考えられています。そう考えると、もしかしたらそれぞれの体質、状態に合わせた乳酸菌商品を提供する未来もありえるのではないでしょうか。
松田:カスタマイズされた商品のマーケットは間違いなく大きくなる、ということは言えるでしょうね。現時点でそうしたサービスを開発しているわけではありませんが、乳酸菌商品の提供方法としては考えられる未来だと思いますし、それを実現できるとしたら日本では明治しかないでしょう。
田中:アマゾンのように優れたテクノロジーをもち、消費者一人ひとりにまでターゲティング(「一人のセグメンテーション」)している先進的なEC企業でも、乳酸菌のカスタマイズ販売までは手が出せないと思います。ちなみに、乳製品は新鮮な方がいいと誰もが考えていると思うんですが、乳酸菌商品もできたての方が良かったりするんでしょうか。
松田:そのようなこともあると思います。例えばの話ですが、菌の活性が1週間しか続かないといった乳酸菌が入っている商品はECサイトでは扱いづらく、明治の強みになるかもしれません。
田中:健康についてもう一つ言えば、顔認証技術を活用して健康状態を診断するサービスの研究開発が進んでいます。顔認証と言えば、中国が世界を圧倒的にリードしていて、すでに向こうのケンタッキー・フライドチキンではスマホでのQRコード決済すら不要、顔認証のみで支払いが済んでしまうところもある。
日本でもコンビニなど地域の拠点にデバイスが導入され、顔認証で健康状態がすぐに分かって、それぞれの購入履歴データを参照しながら、最もふさわしい健康食品がリコメンドされるようになるかもしれません。そういう未来はもうすぐそこまで来ていると思います。
経営統合から10年、効果はこれから出てくる
対談前編でも話題にのぼったプロテイン食品「ザバス」の新たなラインナップ。
田中:事業戦略としては、太い柱がいくつもあって、テクノロジーの進展に合わせた柔軟な変化もしっかり視野に入っている。一方、組織戦略について、松田さんが何か課題と感じていることはありますか。
松田:前編でもプロテインの部分で話題にした、乳飲料の「ザバスミルク」。実は、乳飲料は市乳営業本部の管轄で、プロテインは栄養営業本部の管轄なんですね。両部門で一緒にやろうとなると、帳簿の問題が起こるわけです。こっちの売り上げがそっちに取られてる、とか。事業の枠を超えて新しい商品、新しい時代をつくろうという時に、そんなことを言っている場合かと。
田中:ある地方で最大シェアを持つスーパーの経営者から聞いた話なんですが、魚介類のコーナーにムール貝を置いても全然売れないと。ところが、イタリアンコーナーに食材として置いてみたところ、他の関連商材とあわせて、なんとバカ売れしたとのこと。
スーパーも売り場ごとの縦割り社会で、そこはトップが号令をかけて調整してうまくいったそうですが、やはり部門の壁にとらわれないコンセプト、ブランドづくりは大切ですね。アマゾンのジェフ・ベゾスCEOが社員たちに繰り返す言葉は「今日がスタートだ(Still Day One)」。大企業になるとセクショナリズムがどうしても出てくるので、それを大きな視点から戒めていくのは経営者の大事な役割かもしれません。
松田:僕はコンセプトやブランド戦略、要するに根本的な考え方をつくる時にはいろいろ文句をつけますが、デザインやカラーなど細部の相談は持ってきてくれるなと言っています。The Chocorateのデザインや味をどう思いますかと言われても、僕らおじさんに食べてもらう商品じゃないだろう、と。
歴史と伝統のある大企業だからこその問題というのが間違いなく存在します。明治製菓と明治乳業という大きな枠を本当の意味ではずせるかどうか。それが一番の課題ですが、僕には良い方向に向かっている実感があります。経営統合の効果は10年を過ぎたこれからようやく出てくるんだと思っています。
(取材・構成:川村力/浜田敬子、撮影:今村拓馬)
松田克也(まつだ・かつなり):株式会社 明治代表取締役社長。1980年、明治乳業入社。2012年、明治執行役員乳製品ユニット乳食品事業本部乳食品事業部長。2015年、常務執行役員加工食品営業本部長。2017年、取締役専務執行役員営業企画本部長。2018年より現職。
田中道昭(たなか・みちあき):立教大学ビジネススクール(大学院ビジネスデザイン研究科)教授。シカゴ大学経営大学院MBA。専門は企業戦略&マーケティング戦略及びミッション・マネジメント&リーダーシップ。上場企業取締役や経営コンサルタントも務めている。主な著書に『アマゾンが描く2022 年の世界』『2022年の次世代自動車産業』『「ミッション」は武器になる あなたの働き方を変える5つのレッスン』がある。