東京、バンコク、男木島…住む場所変え続けたら「死なないモデル」が身についた

今回の記事で追究するテーマはズバリ、「私たちは住む場所をどうやって決めればいいのか」です。

働き方や会社組織のあり方について考えるメディアで、なぜ住む場所なのか——。仕事を求めて上京するとか、あるいはその逆に住んでいる場所から通える範囲で仕事を探すとか……従来であれば、住む場所は仕事との絡みで半自動的に決まっているところがありました。

しかし、テクノロジーの進展や働き方改革の文脈などで、必ずしもオフィスの近くに住む必要がなくなった今、私たちはあらためて「なぜ他でもないここに住むのか」を問われています。そのような新しい生き方・住まい方を選択すれば、それがまた働き方のアップデートにつながることもあるはずです。

家族写真(海辺)

WordPressのコミュニティで活躍する西川伸一さんは2016年3月、瀬戸内海に浮かぶ人口160人程度の離島・男木島に家族とともに移り住みました。移住3年目の今年7月には、過去世界65カ国で開催されてきたWordPressユーザーの国際カンファレンス「WordCamp」を国内の離島で初めて開催。実行委員長として島の人口の2倍以上の人を集め、大成功させています。東京、タイ・バンコク、そして男木島と移り住んできた西川さんは「住む場所を変えるたびに今まで以上に仕事が広がり、うまく回るようになった」と振り返ります。西川さんはどのようにして住む場所を決め、またその結果として彼の仕事には何がもたらされたのでしょうか。

西川伸一

Human Made Inc. Partnership Manager大手メディアや大企業向けのWordPressソリューションを提供するHuman Made社唯一の日本人としてリモートワークで働きつつ、国内のWordPressコミュニティで活動。WordCamp Tokyo 2012、WordCamp Ogijima 2018の実行委員長。バンコクのWordPressコミュニティ発起人。WordPress専門メディア Capital Pの共同運営者。『サイトの拡張性を飛躍的に高める WordPressプラグイン開発のバイブル』などの著作があるほか、ブログやポッドキャスト「男木ラジオ」を通じてWordPressや家族での移住、ライフスタイルについて発信している。

面白い人が勝手に集まる「磁場」のある場所を求めて

——東京に住んでいた西川さんが2013年末に突如バンコクへ引っ越したのはなぜですか?

たい

タイ・バンコク時代

個人的に提唱している考え方に「アリジゴク・モデル」というものがあります。アリジゴクが自分の巣から移動しなくても寄ってくるアリにありつけるように、待っているだけで面白い人が自然と集まってくる場というのが時々できて、そこにいることが大事だというものです。

最初にそのことを実感したのは、まだ東京にいた2010年代の初めのことでした。一つは経堂にあった「Pax Coworking」、もう一つは下北沢にある「OpenSource Cafe」という二つのコワーキングスペースです。単なるスペース貸しみたいなものではなく、そこで時間を過ごすだけで自然とつながりが生まれるような場所。当時フリーランスとして働いていた僕は、そこに集まってくる人たちとの交流を通して「こういうスペースっていいなあ」というのを体感していたんです。

——ええ。

バンコクに引っ越したのもコワーキングスペースがきっかけです。家族で旅行に行ったらたまたまコワーキングスペースがありました。街の中心からは少し離れたところにある、一軒家を改装したところで、覗いてみると、僕が東京でやっているのと同じような働き方をしてる外国人がたくさんいた。僕は結婚して子供もいるんですけど、「なるほど、僕も独身だったら海外でこういう働き方をするのもアリだったかもしれない」とか思って。

HUBBA

バンコクのワーキングプレイス「HUBBA」

ところが、そのコワーキングスペースを出たら2軒隣に幼稚園があったんです。「あれ? ひょっとしてこれは家族が一緒でも可能なんじゃないか」と思って、幼稚園のパンフレットをもらってホテルに帰りました。妻にその話をしてみたら、彼女も「行っちゃう?」みたいなノリで。それで引っ越すことになったんです。

——理解のある奥さんですね(笑)。

「HUBBA」はバンコクで初めてのコワーキングスペースだったんですけど、「BA」はタイ語で「バカ」や「クレイジー」、つまり「HUBBA」は「バカが集まる場所(ハブ)」という意味です。

東京でPax CowrkingとかOpenSource Cafeが面白かったように、ここもまさにアリジゴクのような場所でした。とにかくエネルギーがあったし、磁場に引き寄せられたように面白い人が次々にやってくる。海外から一旗あげようと思ってやってきた人も、タイのスタートアップ界隈について知りたいと思っている日本やシンガポールの投資家も、もちろん現地のプレイヤーもたくさんいました。

今住んでいる男木島も、ちょっとそういう感じなんです。自分からどこかへ出かけていかなくても、面白い人が勝手に集まってくる。だから、きょうのお題である「住む場所を選ぶ理由はなんですか?」と問われたら、僕の場合は「面白い人が来るところ」なんだろうな、と。ただし、これにはちょっとした「条件」があると思っています。

——なんでしょう?

「時期」です。そうした面白い場所も、いつまでも面白いわけではない。新しいことが始まる場所っていつもそうだと思うんですけど、始めの盛り上がりが起きる、その直前くらいが一番面白い。「面白いらしい」という噂が広まるにつれて、集まる人たちの質が少しずつ変わっていって、だんだんと面白くなくなってしまいます。

——かつてのツイッターは面白かった、みたいな?

そうですね。最初のころに集まってくる人たちは能動的で、自分自身が「こういうことをやりたいんだ」という熱を持ってるんです。出来上がったコミュニティに憧れて「入りたい」というのじゃない。お互い何者でもないんだけど、なんとなくそういう熱を持った人が集まってくる時期が好きなんです。

当時のHUBBA

当時のHUBBA

先ほどのバンコクのコワーキングスペースにしても、僕としては今行っても全然面白くないんです、残念ですけど。タイのスタートアップといえばそこのオーナーっていうほどに今では有名になっているし、拠点も増えているので、ビジネスとしては僕がいた当時よりずっと成長しています。でも、その場が持つムーブメント、グルーヴ感は、ビジネスの大きさとは関係ないんですよね。

だから「住む場所を選ぶ基準」と言った時にも、時期は大事だと思います。いろんな巡り合わせとか幸運があって、面白い人を惹きつける、そういう磁場みたいなものができる時があるんだけれど、ある時期を過ぎるとその役目を終えるというか、安定する代わりにその磁場はなくなってしまうんです。

「なかなか死なない」の難易度を自ら上げていく

——バンコクから男木島へ移ったのも、一番面白い時期が終わったと感じたから?

海犬走

ぶっちゃけて言えばバンコクに飽き始めていたっていうのもあるし、一箇所にずっといてもしょうがないみたいな思いもありました。ちょっと壮大に話がズレますけど、さっきの「アリジゴク・モデル」とは別にもう一つ、「なかなか死なないモデル」っていう考え方がありまして……。

——「なかなか死なないモデル」。なんですか、それは。

あるいは「どっこい生きてるモデル」とも言うんですけど。僕はフリーランスになる前、東京でデザイン・エージェンシーの営業みたいなことをやっていたんです。そこがリーマン・ショックの時に、それまでと同じようなビジネスができなくなってしまって。

でも、当時一緒に働いていたデザイナとかプログラマとかは、それでも仕事がなくならなかったんです。みんなよそで別の仕事をたくましくやっている。一方、お金を回す仕事をしていた僕だけが仕事がないということになって……。

それで、「ああそうか、今の僕の状態は非常に脆弱だったんだな」って気がついたんです。だったらその時に出会っていた制作スキルのある人たち、モノを作れる人たちのようになろうと思った。そういう人って「なかなか死なない」ようになっているから。

——実際にモノを作れるから。

そうなんです。「どっこい生きてる」んです。それはいいなあと思って。会社とかできっちり成果を出してどんどん上に行くっていうのもいいけれど、僕には性が合わないだろうなという自覚もありましたし。じゃあ手に職つけようということでWeb制作のスキルを独学でいろいろ勉強し始めて、ようやくどっこい生きていられるようになったのが2011、12年くらいのことです。

WordPressのコミュニティに入っていったのもちょうどこのころでした。最初は自分のブログを作るのに使っていただけだったんですけど、次第にWebサービスを自分で作って運営するようにもなって。そうこうするうちに、2012年くらいにはなんとなく一旦落ち着いて、「なかなか死なない」ようになりました。東京では。

——東京では。

バンコクに行ったのは、東京では一応「死なない」ようになったから、今度は「どこでも死なないモデル」に移行します、ということでもあったんです。その文脈でいうと、バンコクと男木島にはものすごく大きな違いがあります。

——どんな違いですか?

アウトソーシングができないんです、男木島では。バンコクはもしかしたら東京以上にいろんなことをアウトソーシングできます。食事もそうだし、マンションも借りた時点で冷蔵庫からベッドから全部揃っているんですよ。だから本当に入るだけ。暮らしの中のすごく大きな部分がパッケージとして用意されているんです。

翻って男木島はですね、まず家がない(笑)。不動産屋さんなどはいないので、最初は知り合いづてで家を探してもらって、見つかったからってことで移ってきたんですけど、実際にはリフォームっていうレベルじゃなくて。基礎工事を自分でやる人もいるし、ジャッキで持ち上げて柱を入れ替えもするし、壁も断熱材も自分でやらないといけない。それがまあすごく楽しいんですけど、でもすべて自分でやらないといけないんです。

椅子に座って、携帯で作業をする西島さん

男木島に住んでいると漁師さんに魚をもらえることもあるんですけど、それにしたってさっきまで生きていた魚なので、捌くところから自分たちでやらないといけない。

——そうですよね。

完成品として出来上がってるものを消費しながら生きていけるのがバンコク。いろんなものが準備されている。その点、男木島は何もないので。「どこでも生きていけるって言っているけど本当か?」みたいなことはずっと自問してました。

——つまり、「なかなか死なない」の難易度を自ら上げていくようにして移り住んだんですね。

そうですね。東京でお金を稼いでまともに暮らせるようになるってところから始まって、海外に行ってもそれができるっていうのが次の段階でした。でも、それも実は結構文明に頼って可能になっているところがあるから……。いや、それでなんの悪いこともないんですけど、その中で自分でできることをちょこっと増やしたい、みたいなことですよね。

移動し続け、アウトサイダーであり続けることの価値

——移住したことで一時的に仕事が停滞したような経験はありますか?

それはありませんでした。逆に、居場所を変えると仕事が増えたり幅が広がったりします。僕がインターネットの仕事をしているとか、WordPressのコミュニティに参加してたとか、そういう前提もありますが、なぜそうなるのかというと、僕はアウトサイダーであることをすごく大事にしてきたんです。

——アウトサイダー、ですか。

会社組織でもコミュニティでも、「中の人」になりすぎると視野がだんだん狭くなってきて、自分のことも周りのことも見えなくなり苦しくなってきます。一歩外から見たら「こうすればいいのに」とか「なんでこんなことしてるんだろう」とか普通に気づけるのに。

——一つの会社に長く勤めていると、その会社の常識があたかも世間の常識かのように錯覚してしまったり。そうですね。

だから、外に出ることで、アウトサイダーの視点を持ちたいんです。

僕自身、東京でずっとやってきてバンコクにポンっと出て、現地の人たちの何か物事を始める時の気楽さとか、キャリアよりも当たり前のように家族との時間を優先する価値観とかに触れたことで、「東京にいた時に悩んでいたことがそんな大問題でもなかったんだな」と思えたんですね。

父と娘

そうして、東京の人間というアウトサイダーとしてバンコクの価値に気がつくのと同時に、翻って東京の生活や仕事を突き放して見る視点も得ることができました。だから、仕事で東京に戻った時には「タイの西川さん」みたいに受け入れられました。

タイではビジネスはどうなっていて、外注先としてタイの会社はどうなのか、どういう人がそこでビジネスしてるのか……そうした日本の会社が知りたいことが全部分かるわけですよ。それから東京という街の情報量の多さ、イベントやビジネスの多様さといった、東京にいた頃には見えなくなっていた価値も見えてきました。

要するに、一回外に出るとアウトサイダーとして物事が見られる。かつ、どこかのコミュニティに行ったら珍しい人として受け入れてもらえる。これがすごく大事なことなんです。それは、自分が人生を面白く生きられるっていう意味でもそうだし、仕事にもつながってきます。「バンコクにいる」「WordPressにめちゃめちゃ詳しい」「日本人のフリーランサー」って、それだけで珍しいから仕事に困らないんです。

——現地に進出する日本企業からすれば日本語でやり取りできるのは心強いでしょうし、法人に頼むより個人に頼んだ方がずっと費用も安く済む……。

言い換えるなら、移動している人はいろんなコミュニティに多様性を供給する人になれるんです。東京に対して地方や離島の視点を持ち込む、というように。人口減少という意味では、男木島は日本の未来の姿ですから、日本に対してもアウトサイダーの視点を持つことができます。

犬の散歩 (西島さん)

僕は今、男木島にいながらイギリスの会社に所属しているんですけど、イギリスの会社からすると東京は欧州各国とは全く異なるマーケットなわけで、そこには未知の難しさがあります。その際、僕が「日本ではこういったやり方がいいんじゃない?」とか「このやり方をヨーロッパに持ち帰ればビジネスがこんな風に広がるよ」みたいなことが言えるのは、僕が外の人だからです。僕がいることで組織の多様性が上がる。その視点を価値にして仕事をしています

なおかつ、男木島に移ってきた今も僕は東京やバンコクを捨てたわけではありません。全部引きずって、積み上げてきているんです。だから、引っ越しすればするほど仕事の幅が広がっていくんです。

——あえてお聞きすると、そうやって違う場所に行くと、文脈を共有していないゆえに「話が通じない」みたいな難しさはないんですか?

やっぱりそれを待ってくれてる人とじゃないと仕事はできないですね。でも、逆に言えばそれを価値として受け入れてくれる人と仕事をすればいい。だからそれを苦労と思ったことはありません。

今は、決められたことを決められた視点でやっていても難しい時代ですよね。仕事の仕方として、何かを切り開いていかないといけない。今まで通りじゃダメだってことはみんな分かってる。だけど、自分たちでそれをやるのは大変なところもあって。

そう考えると、異質であることや多様であること自体が価値になります。というか、それ以外に何があるんだっていうくらいかもしれません。極限までコストを切り詰めるとか、同じ品質のものを常に作れるとかだけでは戦えない状態になっていて、どういう風に違う価値を持ち込んで、ガラッと変えられるかの勝負だと思うんです。多様性自体が価値だってことには、みんなもう気づき始めている。

だからこそ、そういう人としてやっていくのが大事だなって思いますし、何よりそのほうが楽なんです。アウトサイダーになった瞬間に、いろんなことのハードルがものすごく下がるから。

——競争がないから。

そうです。均質な中だと、もうクオリティの高さで勝負するしかないけれど。でも、一回外に出たら急に「そこにプレイヤーは自分しかいなかった」みたいな状態になります。これはとても重要なことだという気がしています。

笑顔 海(西島さん)

いろんなことが試せる時代になった

——この先についてはどんなことを考えていますか。

今、子供が9歳、6歳、0歳なんです。小学生の子供もいるから、今後はそんなに親の勝手には引っ越せないと思ってます。だから子供たちと話し合いながら、自分たちにとっての大事なことは何かを考えながら、動こうと思っています。そういうことを話し合うポッドキャストを家族でやったりして、その中で今後の計画を話し合うということもしています。

だいたい2030年ごろに上の子が20歳になるんです。2030年の日本って、良きにつけ悪しきにつけ、今とは全く違う状況になっていますよね。だから、その時にどうしたらいいのかは、子供たち自身に決めてもらうしかない。

何かやりたいことがあるならやっちゃえばいいし。そのためにはちょっとは考えないといけないだろうし。でも、それも頑張ったら意外にできちゃうっていう生き方を親がしていれば、子供も「自分でもやれる」と思ってくれるんじゃないかと思ってます。それで一生懸命頑張っているところもあるんです。

家族写真 (書斎)

——住む場所を変えるって、やはり家族の理解あってこそというところはあるわけですよね。そもそも最初の移住にしたって、「バンコク行っちゃう?」みたいなノリを奥さんが共有していたところが大きい・・・。

それはもう、運が良かった。妻は小さい時からお父さんの仕事で海外を転々としていたので、言葉もできるし、あんまり抵抗もなかったし、そういう志向はもともと持っている人だったんです。だからバンコクも男木島も、一応楽しくやってくれてる……のかな(笑)。

夫婦の写真(海辺で)

——いずれにしろ、どういう仕事をするとか、どこに住むとかよりもさらに上位に、どういう人生を送りたいのか、何を幸せと感じるのかみたいなことが一致していないと。まあ、行動する前に考えて考えつくようなものではないかもしれないですが。

そうですね。だって、僕がきょうお話ししたようなこと、例えば面白い人が集まる場所を求めて移住していたんだってことに気づいたのは、男木島に引っ越してくる時ですからね。それまではそこまで自覚的じゃなかった。だから結果論なんです。「ちょっと気になる」くらいで動いてみたら、「ああ、こっちか!」みたいなことが続いて。それを繰り返してるうちにだんだんと自分が何をしているのかが見えてきました。

重要なのは、今はそういうことが気軽に試せる時代だということです。「自分の仕事はインターネットじゃないから」とか「会社員だから」と思って、僕の話が他人事のように聞こえてしまう人もいるでしょうけど、そういう人だってもしかしたら、これまでは機会がなかったから、自分の本当の志向に気づいてないだけかもしれない。

いきなりフリーになるのではなくても、まずはリモートワークをやってみるとか、違うコミュニティに顔を出してみて、自分の特性を活かせる場所を探してみるとか。そういうことから始めるのはアリなんじゃないかと思います。

二匹の犬と散歩中の西島さん

[取材・文] 鈴木陸夫 [撮影] 額賀順子

"未来を変える"プロジェクトから転載(2018年10月11日公開の記事)

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