昨年のディープラーニング開発カメラ「AWS DeepLens」に続き、今年の開発者向け製品は「AWS Deep Racer」。強化学習の開発キットだ。
AWSはクラウドサービスの基盤を提供する企業だ。とはいえ、彼らがハードウエアを発表することもある。その大半はもちろん、サーバーを構築するための「技術」と関係している。
だが時に、彼らがコンシューマ向けに近いハードウエアを開発して販売を開始し、記者を驚かせる。今年の「びっくりハードウエア」は特に驚きだった。なんと「ロボットカー」だったからだ。
11月28日(現地時間)、米・ラスベガスでは、アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)の大規模な年次開発者イベント「re:Invent 2018」の基調講演が行われた。基調講演は3時間にも及び、20もの新製品・新サービスが発表されたが、その中でも「AI」「機械学習」の比率は高まる一方だ。彼らは今、それらの技術にどう向き合い、企業に提供しようとしているのだろうか?
ロボットカーで「強化学習」エンジニアを育成
AWS DeepRacer。機械学習を使ったAIで自律走行する車を自作できるキットだ。価格は249ドルで予約が開始され、3月の出荷を予定している。
「AWS DeepRacer」と名付けられたこのロボットカーは、18分の1サイズの大きめのラジコンカー程度の大きさ。この中にバッテリーはもちろん、センサーとしてのカメラや処理用のデュアルコアCPU(Intel Atom)などを内蔵し、自律走行ができる。米Amazonではすでに予約が開始されており、399ドルのところを、249ドルで割引販売されている(ただし、日本からは注文できない)。
HDカメラ、加速度センサー、ジャイロセンサーを内蔵。画像処理などはインテルのAtomプロセッサーで行う。ちょうどラジコンにカメラ付きの小型コンピューターを搭載したような仕様だ。バッテリーはコンピューター駆動用とモーター駆動用の2つを搭載。
AWSが用意するのはハードウエアだけではない。「DeepRacer League」という、自律走行によるレースも主催することが明らかになった。2019年初頭から始まるリーグの優勝者は、来年のre:inventへ招待される。プレリーグは、基調講演終了から30分後にスタートし、リアルタイムで集計が行われている。
DeepRacerでの学習例。道の状況を強化学習し、走行精度を高めていく。
re:invent会場のひとつであるMGM Grandのアリーナでは、DeepRacerをエンジニアが実際に使い、強化学習を学んでいた。
コースの様子。
デモで使われたDeepRacerの実機。大きさのイメージが分かるだろうか?
レースは実機だけで行われるわけではない。クラウド上のソフトウエアを使って行われるシミュレーションでも、同様にレースが行われている。re:inventに参加したエンジニアがネットを介して参加し、レースを繰り広げている。
機械学習はアプリに必須の要素になる
AWSのCEOであるAndy Jassy氏。今年の基調講演も、3時間ほぼノンストップで精力的に話し続けた。
AWSが自動運転ラジコンのレースを企画するのは、もちろん、AWSがいきなりエンタメ企業になったからではない。自動運転が目的でもない。
AWSは2018年、クラウド上の機械学習、特に「強化学習」と呼ばれる手法の普及に力を入れている。
強化学習をAWS上で開発するためのツールである「SageMaker RL」を発表し、画像認識などに使われる「深層学習」とともに、活用を促進した。
強化学習は「繰り返す」ことでソフトウエアが自ら学んでいく手法。古典的な手法だが、理想的な「教師データ」がない課題、ロボットの動作や自動運転には向いている。DeepRacerとSageMaker RLを使って強化学習について学ぶエンジニアを増やし、機械学習をより身近なものにすることが、AWSの目的だ。
AWSは昨年のre:inventでは、画像認識を学習するためのキットである「DeepLens」を発表しているが、DeepRacerも同じ考え方のハードウエアである。
AWSのAndy Jassy CEOは、「今後、5年から10年が経過すると、ほとんどのアプリに機械学習の要素が組み込まれることになるだろう」と語る。実際、この10年間で、アプリにとってクラウドは必須のものとなり、その多くの部分をAWSが担うことになった。
基調講演では、現在のクラウドサービスインフラの領域では、AWSが51.8%ものシェアを握っている、とのデータも公表された。AWSとしてはこの勢いを生かし、将来必須となる機械学習の技術と、そこから生まれる「AI」についてのインフラでも、支配的な地位を狙うということなのだろう。
AWSはクラウドの分野で圧倒的なシェアを持つ。ライバルのオラクルのシェアが小さいことを、ラリー・エリソンCEOの写真を使ってチクリと刺した。
Amazon.comが使っている「推薦機能」を外販へ
今回、3時間に及ぶ基調講演のうち半分近い時間が、機械学習とAIに関連する発表で占められていた。機械学習のコストを下げる、AWS内で使われる新しいハードウエアや、今回の強化学習技術は当然として、その成果である「AI」をサービスとして提供することについても発表が行われている。
特に重要なのは、「Amazon Personalize」と「Amazon Forecast」だ。
Amazon Personalizeはレコメンド(推薦機能)を実現するもので、Amazon Forecastは業績や売れ行きの予測を行うツールを提供しているものだ。ポイントは、どちらも「アマゾンが自社のECサービスで使っているもの」と同じものが提供される、ということ。
レコメンドはECサービスやコンテンツ配信などに必須の技術だが、開発には機械学習を含めた多数のノウハウが必要でハードルが高い。しかし、これらの新しいサービスを使えば、機械学習などのノウハウがなくても、自社のサービス内に導入することができる。ある意味「アマゾンのキモをAWSが売る」形だが、AWSにとってはアマゾンも「ひとつの巨大な顧客に過ぎない」という考え方から、他社への供給を決めた。
Amazon Personalizeが動作する仕組み。いわゆる、個人の閲覧履歴や嗜好に応じた推薦機能を担っているもの。アマゾンのECの売上増加の要の1つと言えるものだ。
売れ行きの予測技術を担うのが「Amazon Forecast」。Amazon Personalizeと並んで、いずれも虎の子の技術だが、外販することによってAWSが得るものも大きいという判断なのか。
ただし、両技術はあくまで「ロジック」の提供に過ぎないので、実際に使うには、導入する企業側で自社のデータを組み込む必要があり、アマゾンのデータが使われるわけではない。つまり開発の手間が不要なわけではないが、機械学習のエンジニアがいなくても導入できる、という意味では大きな価値を持つ。
振り返れば、AWSはクラウドによってコンピューターパワーやストレージ利用を「民主化」した。そして、同様に機械学習とAIの民主化をも狙っているのだ。
(文、写真・西田宗千佳)
西田宗千佳:フリージャーナリスト。得意ジャンルはパソコン・デジタルAV・家電、ネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主な著書に『ポケモンGOは終わらない』『ソニー復興の劇薬』『ネットフリックスの時代』『iPad VS. キンドル 日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』など 。