左上:『カメラを止めるな!』公式サイト/左下:『群像』公式サイト/右:広報さっぽろ 2018年6月号
Business Insider Japan 作成
2018年も多くの作品が「パクリ・盗作」で炎上しました。一瞬話題にはなるけれど、「本当に著作権侵害なのか?」が突き詰めて議論されることなく、その後すぐに忘れられてしまうことも多いのが「パクリ炎上」。
あの騒動は、著作権法的にアリなのか、ナシなのか?
2018年11月30日に行われた「小学館神保町アカデミー」の1講座、「著作権 超入門・盗作論争の正しい見方」で、著作権に詳しい弁護士の福井健策氏が指摘した、盗作論争に直面した時に考えるべきポイントを抜粋して、まとめてみました。
「カメラを止めるな!」炎上:台本がないまま世論が過熱?
出典:「著作権 超入門 盗作論争の正しい見方」資料
まずは有名な『カメラを止めるな!』騒動から。2018年6月に都内2館のみで上映開始された『カメ止め』は、インディーズ映画としては異例の大ヒットを記録しました。
けれど、作品の構成が『GHOST IN THE BOX!』という舞台作品に似ているとして、上演した劇団を主宰していた和田亮一氏が8月、「著作権侵害ではないか」と写真週刊誌「FLASH」に告発しました。
この炎上では、告発側である『GHOST IN THE BOX!』の映像や台本が公開されないまま、騒動が大きくなってしまったことが大きなポイントだった、と福井氏は語ります。
まず基本的な知識として、著作権侵害が成立するためには、以下の3つをすべて満たしていなければなりません。
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今回のケースは『カメ止め』の上田慎一郎監督がすでに『GHOST IN THE BOX!』を見ていることを明かしていたため、1点目の「類似性」が争点となる、と福井氏。
ここで重要なのは、個別の類似箇所はもちろん、その作品全体の中での位置づけ。当然、似ているとされる部分だけではなく、作品全体同士を見比べて、“侵害度合い”を測る必要があります。
けれど前述したように、今回のケースでは舞台の映像も台本も公開されておらず、多くの人々が『GHOST IN THE BOX!』を見ないまま、盗作疑惑報道が過熱してしまうという事態に。
福井氏自身も「どの程度似ているのか」の判断がつかず、著作権侵害にあたるかどうかの議論を深めることすら難しかった、と指摘します。
「類似点のみのリストにはご注意ください。それだけを並べるとどうしてもそっくりだ、という印象が強まってしまうけれど、二つの作品の全体を見比べてみると、実は全然違うんだ、という発見があることもあります」
「美しい顔」炎上:客観的事実は、独占できない
次に、5月発売の講談社の月刊文芸誌「群像」に掲載された、新人作家・北条裕子さんの『美しい顔』について。
同作品は、新潮社から発表されていた石井光太さんによるノンフィクション『遺体 震災、津波の果てに』と類似しているのではと、物議を醸しました。
こちらはどちらも作品が公開されていますが、問題となったのは『美しい顔』に出てくる遺体安置所のシーンです。
ここでポイントとなるのは「客観的な事実は、著作権で保護できない」という点。
例えば歴史的な出来事や、企業が公開しているデータなども、著作物の「思想・感情を創作的に表現したもの」という定義に当たらないため、著作権が及ばない情報となります。
出典:「著作権 超入門 盗作論争の正しい見方」資料
上の資料から分かるように、この例で言うと「紙にそれぞれの遺体につけられた番号が記されて」という部分や「死亡者リストに記載されている特徴にはかなり違いがあった」という部分。
これらは、現実の事態を淡々と述べているため、それだけでは侵害の根拠になりづらい、と福井氏。
一方で「うっすらと潮と下水のまじった悪臭が漂う」や「ねじれたいくつかの手足が突き出している」といった表現は、石井さんの独創性があると捉えられる可能性もありそうです。
裁判になった場合は、これらの表現の類似を、全体の中での位置づけや相違点も加味して、アリ・ナシを判断していくことになります。
福井氏によると「微妙だが、全体がまったく異なる物語であることも加味して、ギリギリで侵害にはあたらないという判決が出るのではないか」とのこと。
「ベルばらオシカル」炎上:パロディは著作権侵害になる?
出典:「著作権 超入門 盗作論争の正しい見方」資料
次に、札幌市による広報誌「広報さっぽろ」6月号の特集「公共マナーって何かしら?」が、漫画『ベルサイユのばら』に似ているとして、作者の池田理代子さんの事務所から抗議を受けた騒動はどうでしょうか。
こちらは『ベルばら』の主人公、オスカルをもじった「オシカル」というキャラクターが、マリー・アントワネットをもじった「マナー・シラントワネット」に公共マナーを教える、という内容でした。
作者からの抗議を受け、札幌市側はすぐに「誤解を招く表現でした」として謝罪。事務所側も謝罪を受け入れました。このパンフレットはネットで見ることができます。
このケースでは和解に終わっていますが、もし裁判で争われた場合、争点となるのは、似ている作品がパロディだと明らかに分かる場合、著作権の侵害度合いは弱められるのか、強まるのか?というところ。
福井氏によると、日本ではパロディを著作権上特別扱いする規定や判例はなく、裁判所は通常の「類似か否か」という基準で判断してきたため、パロディ側は訴えられたら敗訴する可能性が高かったそうです。
欧米ではパロディが政治風刺や社会問題と結びついてきたこともあり、フランスやスペインでは、著作権法に「パロディ規定」が設けられ、表現の自由としてパロディがかなり保護されています。
2015年、フランスの風刺週刊紙「シャルリーエブド」の襲撃事件が起こった時は、多くの人々が「Je suis Charlie(私はシャルリー)」というプラカードを持ち行進した。
GERARD BOTTINO / Shutterstock
他方、現代の日本ではパロディは原作へのリスペクトや愛からくることが多いため、原作側からクレームが来た場合、パロディをした側がすぐに謝罪や撤回をするケースがほとんど。
今回の例では、むしろ「パロディなのに原作への配慮が足りない」といった批判の論調も見られました。こうした事情から、「パロディ作品は著作権で守られるべきか?」が裁判で争われることはそもそも少ないと言います。
パクリかどうか、見解は流動的
「著作権 超入門・盗作論争の正しい見方」の様子。
撮影:西山里緒
情報社会の進展につれて、それまでの権利保護一辺倒(プロパテント)の政策が見直される社会の動きも影響してか、裁判所が著作権侵害を認める基準はやや厳しくなった印象がある、と福井氏。
他方、ネット世論が力を増している今、訴えられた側が炎上の拡大を恐れて、すぐに謝罪や撤回をしてしまうことも少なくありません。
この場合、ネット上では「法的に著作権侵害であること=法的問題」と「作品として未熟であったり、マナー違反であること=倫理的問題」の問題が一緒くたにされやすい傾向がある、と福井氏は語ります。
「裁判所が『著作権侵害だ』と認定するということは、権力による表現の禁止です。その表現はその後許されませんし、場合によっては刑事罰すら与えられる可能性もあります。
一方で、これは表現として未消化・未熟だよね、と論評することや、創作のあり方としておかしくないか?と問いかけることは、倫理や芸術性に関わる議論です。
これを、裁判所に判断させることは危険です。なぜなら(芸術や倫理では)答えはひとつとは限らず、多様性が命だからです」
多様性を前提とした議論に委ねるべき問題を、権利侵害という違法/禁止の問題と混ぜてしまうことによって、表現の幅が狭められ、社会が息苦しい場所になってしまう。パクリ炎上はそうした危険性もはらんでいるということを、福井氏は改めて呼びかけました。
(文、西山里緒)