テレビ番組で特集が相次ぎ存在感を放つようになってきた退職代行サービス。何も知らずに、第三者から社員の退職希望を語る電話がかかって来たら……あなたならどう対応する?
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ある月初めの月曜の朝、始業開始時間の9時ちょうどに、某行政関連団体の経理課長、鈴木芳子(仮名)さんのデスク電話が鳴った。
「そちらに勤めている山田健一さん(仮名)から依頼を受けて、代わりに連絡させていただきました。山田さんは『これ以上そちらに出社することができない』とおっしゃられています。退職の手続きを進めていただきたいので、人事部門にお電話をつないでいただけますでしょうか」
自分たちの知らないところでハラスメントでも……
2018年11月28日に放送され、退職代行サービスの拡大にスポットライトを当てたNHKクローズアップ現代プラス。
出典:NHKホームページより編集部キャプチャ
ご存知だろうか。最近急激に増加し、テレビの報道番組などでも特集が相次いでいる「退職代行サービス」からの電話だ。鈴木課長に、電話を受けた時の感想を聞いた。
「びっくりしました。退職代行というサービスがあることはネットニュースなどで知っていたのですが、いわゆるブラック企業のパワハラ上司を相手に退職手続きを代行するのだとばかり思っていたので。自分で言うのもなんですが、仕事量も少なく、のんびりしたこの職場でなぜ、と最初は思いました」
退職を申し出た山田さんは中途入社して半年、26歳の経理担当者。大人しく、周囲との関係は濃くはなかったものの、ことさら孤立していたわけでもなかった。職場の同僚たちも、突然の退職代行サービスからの連絡に、「なぜだろう」「何か自分たちの知らないところでハラスメントでもあったのではないか」などとさまざまな憶測を飛び交わせた。
だが、鈴木さんが山田さんの机のカギを開けた途端、すべてが明らかになった。引き出しから、明日までに処理しなければいけない膨大な量の経理伝票が見つかったのだ。
「これでは自分の口で退職など申し出られるはずがない……」
同僚たちはため息とともに、二度と山田さんが職場に顔を出さないだろうことを察した。同時に、山田さんが溜めに溜めた仕事を処理するため、しばらくは泊まりがけの残業も避けられないことを覚悟したのだった……。
強固な引き留めで退職できないケースが続出
2018年9月から12月にかけて、テレビ朝日、NHK、TBSなどテレビ番組に一気に露出し、話題となった退職代行サービス「EXIT」のサービス案内画面。
出典:EXITホームページより編集部キャプチャ
退職代行サービスは、退職を希望する人が3~5万円程度の費用を支払うことで、会社への退職の申し出を代行してもらうサービスだ。「今すぐ辞めたい」「苦痛から解放」「退職成功率100%」といった痛烈な売り文句が並ぶサイトから、メールやLINEで簡単に申し込みできる。
近年は未曽有の求人難により、どの職場も後任の採用が難しいため、退職の申し出があるたび必死の引き留めが行われる。強固な引き留めのあまり、転職先が決まっていたのに退職できないケースや、上司がのらりくらりはぐらかして退職届が受理されないケースもある。たとえ退職届が受理されたとしても、転職先の入社日前日まで残務処理に追われ、疲労しきった状態で新たな職場に出社するケースも少なくない。
3〜5万円で、このような前の職場とのやり取りや、モチベーションを失った仕事の処理から解放されるなら安いと判断する人も少なくないだろう。しっかり休み、エネルギーを新しい職場に向ける方が良いと考えるのもある意味合理的だ。
だが退職代行サービスは、強固な引き留めから解放するだけでなく、冒頭の山田さんのような「逃亡型の退職」を支えることにもなる。
「引き継ぎレス退職」が増えるとどうなるか
「もうこんな仕事とはおさらばだ!!」と猛々しい退職代行サービス「SARABA」のサービス案内画面。「即日退職可能」「24時間対応」と、競合のEXITに比べて派手な言葉が目立つ。
出典:SARABAホームページより編集部キャプチャ
逃亡型の退職の場合、どうしても唐突なケースが多くなり、原則、仕事の引き継ぎが行われることはない。退職者が抱えていた仕事は、何の説明もなく同僚の誰かに突然割り振られる。同僚にとって「引き継ぎレス退職」はたまったものではない。
「腹は立つし、いつ終わるのか見通しも立たないからイライラするし、退職者のいい加減な仕事ぶりが判明するたびに絶叫したくなる」(給与計算アウトソーサー担当者)といった風に、往々にして残された職場は修羅場化しがちだ。後処理からうまく逃げた人と、逃げられずに対応せざるをえなかった人の間で、関係がギスギスし、違う問題に発展することさえある。職場へのダメージは甚大だ。
一方で、「退職代行サービス」がなかったらどうなっていたのか。山田さんのケースでは、おそらくどこかで溜めに溜めた仕事が判明し、職場で叱責されながら退職に至ったかもしれない。山田さんがさらに精神的に追い込まれ、“違う形”で突然の退職になっていたリスクすらある。これが「退職代行サービスは命を救っている」とも評価されるゆえんだ。
退職代行サービスを恨んでも問題は解決しない
退職代行サービス「SARABA」の料金表。退職できなければ全額返金保証で「コミコミ」3万円。
出典:SARABAホームページより編集部キャプチャ
「職場を大混乱させた退職代行サービスを、初めは恨みました。しかし、山田さんの状態に気づけなかった自身の未熟さも反省したし、後処理に協力してくれたメンバーたちに二度と同じ思いをさせないため、しっかり対策を取っておくことこそ不可欠といまは思っています」
冒頭に登場した、行政関連団体の鈴木課長はそう冷静に振り返る。
「退職代行サービスの担当者のおかげで、(経理担当である)山田さんから金融機関に届け出ていたパスワードだけは聞き出すことができたのも事実です。お互いにとって最悪の事態をギリギリのところで避けられたのは、退職代行サービスがあったからかもしれません」
退職代行サービスは、急速な需要の拡大を受け、今後さらに注目を集めるだろう。人材紹介会社のエージェントが転職を成立させるため、転職者に積極的に代行サービスの利用を推薦する事例も耳にする。
退職代行サービス「EXIT」の料金表。正社員・契約社員は5万円、パート・アルバイトは4万円。
出典:EXITホームページより編集部キャプチャ
一方、行政や日弁連が、依頼者から報酬をもらって会社と退職交渉を行うことは弁護士以外にできない行為だとして、規制を検討しているという情報もある。また、マニュアル化された数回の電話とメールだけで数万円の費用を受け取ることから、退職代行サービス会社を「火事場泥棒」と評する声もある。
数カ月後にはこのサービスが社会から消滅している可能性すらあるだろう。
転職に不慣れな企業が生み出す「不幸」
「20代ビジネスパーソンのバイブル」をうたうニュースサイト・新R25は2018年9月末時点で「EXIT」にインタビュー取材。この記事が出たころから話題が広がっていった感がある。
出典:新R25サイトより編集部キャプチャ
しかし注目すべきは、実際にこのサービスにニーズがあり、急速に拡大しているという「事実」である。終身雇用が崩壊し、転職が当たり前になったといわれるが、日本の多くの職場はまだまだ転職に慣れていない。この不慣れが原因となり、職場や従業員に不幸をもたらし、さらにその不幸が退職代行サービスの需要を生み出しているとは言えないか。
例えば、こんなことに思い当たるフシはないだろうか。
- 不慣れな職場で働く転職者に、過剰な期待をして精神的な負担を強いてしまう
- 退職する人を非難し、退職前に精神的にも業務量的にも負荷をかけたがる
- 年々薄くなる職場の人間関係を知りながら、仕事の相互サポート環境の整備を怠る
- 労働市場が流動化しているにもかかわらず、急な離職者が出た時の備えがない
企業や組織は本来、転職が当たり前になったいまの社会に合わせ、さまざまな取り組みをしなくては生き残っていけない。
ギリギリの破たんを回避する「退職代行サービス」を法的なグレーさだけで断罪したり、「引き継ぎレス退職」に逃げ込む従業員の無責任だけを責めたりするのは、“木を見て森を見ず”ではないだろうか。労働人口が縮小する日本においては、支え合う職場づくりを怠れば、そのほころびを繕うために、不可思議なサービスが常識になってしまう危険性はいくらだってあるのだ。
秋山輝之(あきやま・てるゆき):株式会社ベクトル取締役副社長。1973年東京都生まれ。東京大学卒業後、1996年ダイエー入社。人事部門で人事戦略の構築、要員人件費管理、人事制度の構築を担当後、2004年からベクトル。組織・人事コンサルタントとして、のべ150社の組織人事戦略構築・人事制度設計を支援。元経団連(現日本経団連)年金改革部会委員。著書に『実践人事制度改革』『退職金の教科書』。