2016年に起きた東大生による強制わいせつ事件に着想を得た小説『彼女は頭が悪いから』。
著者である作家の姫野カオルコさんを招いたトークショーが12月12日、東京大学駒場キャンパスで開かれた。
他の登壇者は、林香里さん(東京大学大学院情報学環教授)、瀬地山角さん(東京大学大学院総合文化研究科教授)、島田真さん(文藝春秋編集者)、大澤洋子さん(ちゃぶ台返しアクション)、司会はエッセイストの小島慶子さん。現役東大生ほか多くの参加者が「東大」というブランドについて語った。
「このシンポはさわやかな気分にはならない」
東大で東大生について論じるというトークに、会場は満席だった。
撮影:今村拓馬
午後7時のスタートを前に、東大の学生たちだけでなく、他大学の学生や一般の参加者で講堂はほぼ満席、立ち見の状態になった。
「これからゼミで参加できないので資料だけでも」と受付に並ぶ女子学生の姿も。東大生による事件をモチーフにした小説についての討論を東大で開催する、という試みに注目度は高かった。『彼女は〜』は読み方によっては「東大生にレッテルを張り貶める内容」であるからだ。
『彼女は〜』は473ページ、約2.5cmもの厚みがある本だが、冒頭2ページ足らずのプロローグだけでも、著者の震えるような怒りが紙からにじみ出ている。筆者も深い怒りと共感を抱えながら読んで、せつなくて泣いた。
主催者の林教授からは冒頭、「このシンポジウムは、さわやかな気分になるものではないと思います」と挨拶があった。
実際、姫野さんは、この本の執筆中に会った人みんなから「顔色が悪い」と心配され、「登場人物の持っている嫌な部分は全部、自分が持っているもの。書くのが嫌だった」と話した。体調不良だったこの日もディスカッション中に2回、薬を飲んでいた。
普段はあまりこうしたイベントには参加されない方だと聞く。だまされて、断れなくなり来てしまったと。それでも会場に笑いを誘いながら、ジャージ姿の姫野さんは、丁寧にいくつかの質問に答えた。
例えば小説には、東大生の竹内つばさが「感情を切り捨てて、効率的に生きる能力のある人が東大に行く」といった表現が繰り返し出てくる。いくら架空の人物とはいえ、東大生が読むとひっかかる表現だが、なぜ姫野さんはあえて繰り返したのか。
「この本は東大の人に向けて出した本ではなくて、一般の人が読むために書きました。読んで、興味を持ってもらうようにするために、竹内つばさはこんな人だって、一回だけでは分からないから繰り返した」(姫野さん)
「挫折感のない東大生はいない」という東大生の反論
小説『彼女は頭が悪いから』は、2016年に起きた東大生による強制わいせつ事件に着想を得た(写真はイメージです)。
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討論では、この小説に対する東大生の持つ感想などが議論された。
東大のゼミでこの小説の感想をまとめた際に、小説で登場する三鷹寮の描写が実際とは違うなど事実への指摘や、読んでも小説に入り込めないという批判が相次いだという。
そうした東大生の意見を代弁した瀬地山教授は、「小説内の東大生のように挫折のない東大生などいない」と、現実との乖離を指摘した。これに対しても姫野さんはこう話した。
「優秀な人が感情がないということではない。ただ、小説を読んで、『感情がない人のように書いてある』って感じてしまうところが、東大生の挫折なのかも」
さらに林教授は、挫折が描かれていないから小説が悪いといった議論は意味がないとした上で、こう話した。
「外から不都合な批判をされたとき東大の弱さを追求していけたら、東大は強くなれると思う。考えるべきは”加害者”は誰かということ。私たちの東大という記号は誰が作って、誰が利用して、誰が挫折するか。東大だけじゃない、日本の社会の誰が?そこをもっと議論してもいいんじゃないか。小説をテーマにしたのは、そういう記号で得をしているのは誰か、と考えるきっかけにしてほしかったから。私は、マスキュリン(男性的な)な“男性の東大”だって思うんです」
小説の中の東大生は薄気味悪いほど、挫折感を描かれない。現実の東大生からすれば、一生懸命に勉強や研究をする中で挫折も当然ある、と反発を感じるだろう。
しかし、林教授が指摘するように、姫野さんが小説で訴えたかったのは、東大が何を象徴し、誰が得をしているのか、ということだったのではないか。
親の富と願望が子どもを東大生に
東大で開かれた『彼女は頭が悪いから』のブックトーク。姫野さんは途中痛み止めの薬を飲み、小説を書いた動機などを語った。
主催者提供
小説の中では、東大生の母親たちも不気味で不快な人物として登場する。
今は、本人が一生懸命に努力すれば、東大への道が大きく開ける時代ではない。ここでは深く論じないが、能力と努力があっても、その道は昔よりずっと狭くなっている。親たちが持つ資産や、子どもへの期待によって、子どもに与えられる教育が決まり、それが如実に子どもの学歴につながるペアレントクラシ―の時代へと変化したからだ。
そして小説の主人公の美咲のような、いたって普通の中の真ん中をすくったような特別ではない子どもが、高学歴に向かう機会は以前より少なくなっている。受験プロのような親や、家庭教師をつけられるほど裕福な親が、マネージャーのごとく学業をサポートする。そんな環境の子どもでなければ難関進学校に入ることは難しい。
親の資産が子どもの学歴に直結する時代になっている(写真はイメージです)。
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だからこそ、ある東大生の意見に会場から拍手が起きた。
「進学校でもなくて、塾にも行かず一生懸命勉強して合格して、地元ではすごくモテてて……でも東大では地方出身の僕は東大であること以外、何もない。ずっと彼女ができなくて、親も心配している 」
質疑応答で聴衆側にいた東大教授の矢口祐人さんはこう言った。
「5人の東大生が集団わいせつで逮捕されたのは、紛れもない事実。在学生3万人の中の5人だけではない。1人でもいけない。絶対に加害者は出さないために、できることは何かを話し合うべきだ。小説にヒントはある」
この日のブックトークは、確かに「さわやかな気分にはなれないイベント」だった。でも一方で、こういう議論を熱心にできる余地が最高学府にはある、ということは希望だとも感じた。
三宮千賀子:ライター・エディター 。奈良県出身。松下電器産業(現・パナソニック)、サンケイリビング新聞社を経てフリーランスに。「OL&ママ交流会」を主宰しながら、『アエラ』『ストーリィ』などで記事を執筆。書籍、雑誌、ウェブメディアなどで女性の働き方や子どもの教育などをテーマに取材を続けている。お茶の水女子大学院人間文化創成科学研究科在学中。