【取締役9人辞任】日本が失ったバイオ・創薬分野の未来。産業革新投資機構、問題の本質とは

産業革新投資機構の案内板

東京・丸の内のオフィスビルに入居する産業革新投資機構

撮影:小島寛明

産業革新投資機構(JIC)の民間出身の取締役9人全員が辞任を表明した問題は、高額報酬の是非や経産省とJICの田中正明社長らの対立に注目が集まっているが、取締役の辞任とは別に、一連の経緯で失われたものがある。

認可第1号ファンドとして2018年10月26日にJICからの資金供給が発表された、西海岸ファンドと呼ばれる「JIC-US」だ。このファンドは、バイオ・創薬分野への投資が目的とされる。

バイオ・創薬分野のベンチャー企業育成は、世界的にアメリカが突出しており、日本は、中国や韓国にも遅れを取っている。それだけに、20億米ドル規模の西海岸ファンドの設立には注目が集まっていた。特に注目を集めていたのは、機構の副社長として西海岸ファンドの代表を務めていた金子恭規氏の存在だ。

日本のバイオベンチャーの時価総額は米の47分の1

経済産業省

REUTERS/Toru Hanai

バイオ・創薬分野への投資にはどんな狙いがあったのだろうか。西海岸ファンドの認可が決まった10月に経済産業省が公表した資料に、端的に示されている。

「産業革新投資機構がJIC-USへの特定資金供給を行うことの認可について」と題して公表された資料には、上場後のバイオベンチャーの時価総額の比較が掲載されている。

出所が「経済産業省」とされているため、経産省による集計と考えていいだろう。2018年10月時点の、上場後のバイオベンチャーの時価総額は、次のようになっている。

  • 米国:156社、61.5兆円
  • 韓国:40社、9.4兆円
  • 欧州:81社、9.2兆円
  • 中国:35社、5.7兆円
  • 日本:27社、1.3兆円

割り算をしてみると、アメリカのバイオベンチャーの時価総額は、日本の約47倍になる。

西海岸ファンドの設立は、この劣勢を跳ね返すうえでも意味があった。経産省の資料には、「米国の優良ベンチャーへのアクセスをめぐるグローバルな競争が激しくなる中、JICが投資を行うことで、投資先の米国ベンチャーと日本の企業を繋ぐことが可能となり、日本企業が最先端ベンチャーコミュニティのインサイダーとなれるよう後押しする」とある。

アメリカのバイオベンチャーに投資することを通じて、日本のベンチャーの底上げにつなげる意図があったと理解していいだろう。

バイオベンチャーへの投資は、極めて難しいと言われる。最先端の研究動向について、深く理解していなければ、どのベンチャー企業が投資対象としてふさわしいのか、判断できないからだ。

辞任表明したJIC副社長の金子氏とは

ビル群

東京都内のオフィスビル街。今後、バイオ・創薬分野の存在感は高まるか。

撮影:今村拓馬

この難しい分野への投資を担うとされていたのが、JICの副社長で、12月10日に辞任を表明した金子氏だ。

経産省の資料や、金子氏が取締役を務めていた日本ペイントホールディングスの有価証券報告書から、金子氏は次のような経歴の人物だとわかる。

慶応義塾大学医学部を卒業後、スタンフォード大学経営学修士(MBA)を取得。バイオベンチャーの先駆けとして知られるジェネティック社を経て、製薬会社イオニス・ファーマシューティカルズの上級副社長などを歴任している。

取締役9人の辞任に至る経緯を知りうる立場にある関係者のひとりは、「金子さんを連れてこれただけでも、すごいことだった」と話す。

バイオベンチャーへの投資判断に関わる人材を獲得するには、ファンドの代表者に実績と知名度があることが必須となる。その意味で、アメリカで複数のバイオベンチャーの上場に関わった実績のある、金子氏の存在は大きかった。

経産省の資料も「米国を中心としたバイオ・創薬関連分野において十分なトラックレコードと人脈を有する」と、金子氏を高く評価している。

実際、「金子氏の弟子筋のアメリカの人材」(関係者)が、ファンドの運用に関わることが決まっていたという。

誰が高額報酬に反対したのか

産業革新投資機構

産業革新投資機構 のウェブサイト。

出典:産業革新投資機構 HPより

9人の辞任を発表する記者会見の場で、田中社長が、西海岸ファンド設立の経緯の一部を明らかにしている。

「世界の創薬の半分はアメリカのスタートアップに集中している。極めて有力な人材が参加を申し出てくれたが、シリコンバレーの人材獲得競争は非常に激しいものがある。ファンド設立に関する意思決定が遅れれば、ただちに人材を失うという状況だった」(田中社長)

しかし、ここで問題とされたのが、JICの取締役に対する高額の報酬だった。

田中氏によれば、JICがファンドを設立する前提として、経産省と財務省の協議が必要だが、経産省を通じて「役員報酬に関する協議が終了しない限り、西海岸ファンドの認可にかかる協議には応じない」との財務省の意向がJIC側に伝えられた。

ファンドの設立に関する意思決定が遅れれば、確保した人材も逃げていく。このため、田中社長らが財務省に出向いて、事情を説明し、経産省との協議入りを要請したという。

10月26日に西海岸ファンドの認可が発表されたが、この時点でJICの取締役たちの、経産省に対する不信感は強まっていた。

経産省、財務省とJICの協議では、西海岸ファンドのスキームも問題とされた。西海岸ファンドは、おおまかに次のようなスキームだ。

  • 親:産業革新投資機構(JIC)
  • 子:西海岸ファンド(JIC-US)
  • 孫:アメリカのベンチャーキャピタル(VC)、パブリックエクイティファンド(PEF)
  • 投資対象:バイオ・創薬分野のベンチャー企業

経産省や財務省とのやり取りの中で、孫ファンドを通じてバイオ・創薬分野のベンチャー企業を投資の対象とするスキームだが、これではファンドの活動が不透明にならないかとの指摘があったという。

複数の関係者の話を総合すると、この点については、親と子、子と孫、孫とバイオベンチャーと、それぞれ投資の対象・金額などについて、細かい定めのある契約を交わすことで、ガバナンスを利かせる仕組みが通常だという。

さらに、田中社長によれば、社外取締役の1人であるカリフォルニア大デービス校教授の保田彩子氏が、孫ファンドに対する聞き取りを重ね、実態把握に努めていたという。

ファンド清算、チームも解散

田中社長ら取締役9人の辞任表明とともに、西海岸ファンドが清算されることも明らかになった。

子ファンド、孫ファンドで投資先を選定し、運用する人材を含め、「チームをつくるのがものすごく大変」(前出の関係者)という世界だが、金子氏を中心とするチームは、もうない。

投資の世界である以上、西海岸ファンドが成功したかどうかは、いまとなっては分からない。ただ、アメリカや韓国に大きく水をあけられているバイオ・創薬分野のベンチャー育成で、期待値の高い取り組みもつまづいた。

経産省は現在、後任の取締役の選定を進めていると言うが、辞任を表明した9人並み、あるいはそれを上回る人材の確保は、極めて難しい状況にある。

※本稿の執筆においては、ウェブメディア「THE PAGE」がYouTubeで公開している動画『革新投資機構・田中社長が午後1時から記者会見 取締役9人の辞任を発表 (2018年12月10日)』を参考にした。

(文・小島寛明)

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