OECDや大企業も注目する埼玉県学力調査——伸び率で評価、教師の指導にも一石

野村総研、NTT、富士通、日本郵便、そしてOECD。

日本の大企業や世界からも注目を集めているのが、埼玉県が小・中学生に実施している学力調査だ。年間予算は約2億円。「脱・平均点」を合言葉に、個人の「伸び率」に着目してビッグデータを分析すると、学力を伸ばすために必要な意外な“あるもの”の存在が浮かび上がってきた。

「平均点」でなく「伸び率」で

女子学生

埼玉県が実施する学力テストが注目されている。ビッグデータを活用したそのスキームとは(写真はイメージです)。

GettyImages/xavierarnau

「埼玉県学力・学習状況調査」(以下、埼玉学調)が始まったのは2015年。さいたま市をのぞく県内の公立小中学校で実施している。

学力調査といえば 「平均正答率」などが都道府県別にランキング方式で報道されて話題を呼ぶ、文部科学省が毎年行っているものが一般的だろう。公立学校の4割以上がこの学力調査のためだけの特別指導をしていることが発覚したり(全日本教職員組合調べ)、政令都市の中で2年連続最下位になった大阪市では、このテスト結果を教員のボーナスなどに連動させる新しい評価制度を2018年度中に策定すると発表し、批判を集めている。

埼玉学調は、こうした「平均点」を重視する従来の学力調査への違和感から生まれた。

スキームを作り上げたのは、当時、文科省から埼玉県の教育委員会に出向していた若手官僚たちだ。そのうちの1人、大根田頼尚さん(文科省高等教育局)は言う。

「従来の学力調査だと平均点より高いか低いかで評価してしまいがちです。親の教育力に課題があったり経済的な困難を抱えていたりする家庭の児童・生徒の点数は平均点より低い傾向があるので、点数の低さだけを指摘していては本人のモチベーションも上がらないのではないでしょうか。

そもそも教育の本質は変化をもたらすことにあり、他人との比較ではなく本人が成長したかどうかを測る必要があると考えています。同様に、教員も子どもを伸ばしたかどうかで評価すべきです」

調査に年約2億円

大根田頼尚さん

大根田頼尚さん(文科省高等教育局、「埼玉県学力・学習状況調査」推進アドバイザー)

撮影:竹下郁子

埼玉学調が文科省の調査と大きく異なる点は、1年ごとの平均点を出すのではなく、小学4年生から中学3年生までの児童・生徒に番号を割り振り、「個人の伸び率」を「経年変化」で追跡調査できるようにしたことだ。

毎年の難易度を揃えるため、PISA(国際学力到達度調査)やTOEFLと同じIRT(項目反応理論)というテスト理論を採用。学力テストだけではなく、アンケート調査でアクティブラーニング(生徒が受け身ではなく、能動的に学べるような授業を行う学習法)や「勤勉性」「セルフコントロール(⾃制⼼)」「⾃⼰効⼒感」などの非認知能力、クラスの雰囲気についても尋ねた。

毎年集まる約30万人の調査結果は、慶應義塾大学SFC研究所に委託して分析。『「学力」の経済学』などの著書がある中室牧子准教授らが研究を担当した。

埼玉学調の年間予算は約2億円。費用はかかるが、教育行政は施策の効果がよく分からないままに予算をつけていることも多かったため、未来への投資だと県議会や県の教育委員長とも意見が一致したそうだ。

「子どもが何によって成長したかを把握し、そこに重点的に予算をつけるなどの取捨選択をできるようにすべきという財政当局からの要請にきちんと応えていくことが重要だとも考えていました」(大根田さん)

子どもたちが結果を見て復習に生かすだけでなく、調査結果をもとに子ども1人1人の「学習支援カルテ」を作成。教員に、自身がその生徒にどのような指導をしたかを書き込んでもらうことで、伸びるためにはどのような指導法が効果的か、後から検証できる仕組みにした。

パワハラ指導は効果なし

アクティブラーニング

「2017年度埼玉県学力・学習状況調査データ活用事業における分析結果」より

出典:埼玉県ホームページ

分析の結果、アクティブラーニングや、教員が子どもの良いところを認めたり、心配ごとの相談に乗ったりするなど教員が子どもと信頼関係を築く学級運営をすることが非認知能力や学ぶ力を向上させ、学力アップにもつながることが分かった。

これをデータで示すことができたのは大きいですね。AIの進歩やインターネット学習の普及などで教員も必要なくなるのではないかという議論もありますが、人が関わらないと伸びない能力があるとわかったことは、教育行政を中長期的に考える上で非常に良かったなと。教員を目指す学生にも、こうした分析を踏まえて、人でないと伸ばせないことを伸ばす力を大学で学び、身につけていく必要があると思います」(大根田さん)

埼玉学調の問題作成などを担当している教育測定研究所でアドバイザーを務める、NPO法人・教育支援協会代表理事の吉田博彦さんも同じ考えだ。

「自分に自信を持つことも非認知能力の一つです。日本の子どもたちの自己肯定感の低さはかねてより課題でしたが、一方で学力は高いので問題視していない教員も多かった厳しい指導をしないと子どもは伸びないと思い込んでいる教員がその誤りに気づくきっかけにもなるという意味でも、今回のデータは画期的だと思います」(吉田さん)

吉田さんはまた、アクティブラーニングが学力向上につながると分かったことも大きな一歩だと言う。今後の課題はこの結果をどう保護者に伝えていくかだ。

「ゆとり教育は保護者から大きなバッシングを受けてしまいましたが、アクティブラーニングにも『そんなことより宿題をやらせてください』という保護者の声は多い。こうした学習方法が理想を追いかける“新しい学び方”なのではなく、“現実的に学力の伸びを目指した施策”なんだと保護者に納得してもらえるよう、繰り返しこの調査結果を伝えていくことが今後の課題ですね」(吉田さん)

エビデンスなき社員研修よ、さらば

オフィス

企業も熱視線を送る埼玉学調。コンソーシアムには非公式で参加している自治体もいくつもあるそうだ。

GettyImages/kokouu

また、アクティブラーニングが社会的、経済的に困難を抱えた中学2〜3年生の学力向上にも効果的なことも分かった。理由についてはまだ分かっていないそうだが、大根田さんは「私見」だと前置きした上で言う。

「経済的にも学力的にも課題のある子どもは、そもそも『学び』についてネガティブなイメージを持っていることも多く、それをポジティブに変えるためにアクティブラーニングが効果的だった可能性があるかなとのかなと。『基礎ができていないからとにかくドリルを』というような詰め込むだけの教育ではいけないという示唆だと考えています」(大根田さん)

こうした児童・生徒を対象に放課後や土曜日などに課外授業を行う学校は増えているが、そのときに何をすべきなのか。改めて考える必要があるだろう。

PISAを実施するOECD(経済協力開発機構)も経年変化で個人の成長とその相関・因果関係が分かる埼玉学調のスキームに関心を示しており、担当者が県を訪問したり、大根田さんもフランス・パリまで説明に行ったこともある。

自治体や企業によるコンソーシアムも立ち上がった。これまでにNTTコミュニケーションズ、富士通、日本郵便、理化学研究所などが参加しており、野村総合研究所の担当者は「成果を踏まえて指導などをどう改善するか考えられる取り組みに共感を得た。新しい人材育成に活用できる可能性がある」と述べている。社員研修を行ってはいるものの、効果が分からないと悩む企業も多いそうだ。

子どもの学力調査が大人の働き方をも、変えていくかもしれない。

(文・竹下郁子)

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