現在「医師の働き方改革に関する検討会」という有識者会議が厚生労働省で開かれている。2019年度中には正式に医師の労働時間上限が決まる見通しだ。
朝日新聞(2019年1月10日付)などによると、残業時間の上限は年960時間(1カ月当たり80時間)、医師不足地域では年1900〜2000時間(1カ月当たり160時間前後)、 勤務と勤務との間の「インターバル」は9時間(当直明けの場合は18時間)と設定される見通しとなった。連続勤務は28時間まで許容される見通しだ(勤務24時間+引き継ぎ4時間)。
インターバルなどの時間設定は、ACGME(米国卒後医学教育認定評議会)のガイドラインを参考に決められたようだが、日本ではこの労働時間設定でも「現場としてはかなり厳しく、地域医療が回らなくなる恐れがある」という声が相次いでいる。
労働基準法の適応外だった医師の世界
「医師は労働基準法の適応外」というのは医療の世界における「常識」だった(写真はイメージです)。
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以前、私が大学病院などで働いていたとき、タイムカードがあった職場はなかった(非常勤のアルバイトは例外として)。残業時間に関しては自己申告制。現在でも、タイムカードなどで労務管理をしている職場はごく一部だろう。
これまで、「医師は労働基準法の適応外」というのは医療の世界における「常識」だった。医師がその他の職種と明らかに異なっている点は「応召義務」があることだ。基本的には、診療を求めてきた患者を断ることができない(医師法第19条)。こういう働き方について、ある種の「誇り」を感じている医師もある程度の割合で存在する。
当直勤務後は休みにはならずに通常勤務として、夜中まで必要に応じて勤務することも割と普通だ。こういった勤務体系は、身内に医者がいなかった私が、医師になって最初に受けた大きなカルチャーショックだった。
医師の労働時間の統計を下記に示したが、多くの医師の場合、労働時間の正確な把握は困難だし、もともと「変形労働時間制」(※)という仕組みになっていることも多い。実際には若年医師はこのグラフ以上に働いていることもざらにあるし、呼び出しを待つ「オンコール」という、労働時間に含まれない拘束時間も存在する。
変形労働時間制度とは:労働時間を月単位・年単位で調整することで、繁忙期に勤務時間が増えても時間外労働として扱わない労働時間制度。
出典:全国自治体病院協議会「医師の働き方改革に関する緊急要望」
酩酊状態の医師に診察されるのは危険!
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医師の働き方の改善は医師の労働問題というだけでなく、医療の安全に必要なものである。何日も寝ていないような、酩酊状態の医師が診察するのは医療事故につながる恐れがある。。2012年に日本外科学会が会員に対して行ったアンケートでは、医療事故や「ヒヤリ・ハット」(医療過誤の前段階としてのインシデント)に関して、何が原因と考えるかについて、81.3%の外科医が「多忙・過労」と回答している。
「医師の働き方改革に関する検討会」と並行して開催されている「よりよい医療のかかり方を広めるための懇談会」では、株式会社ワークライフバランスの小室淑恵氏が、医師が疲労困憊し危険な状態であることを、国民にもっと理解してもらったほうがいいのではないかといった発言をし、医師の間から共感や同調の声が多く聞かれた。
現在議論されている中には、勤務と勤務の間のインターバル、最低限あけなければならない時間も含まれている。過労死防止のために、一般企業でも、11時間のインターバルをあけることが厚生労働省により推奨されている。
しかし、医師の労働環境を改善しようとするはずの今の議論の結果でも、認められるインターバルや残業時間では、まとまった休みがとれるのは、最悪の場合を考慮すると、当直明けの18時間しかなこともあり得る。現状に配慮したとはいえ、「ザル法」だと言えるのではないか。
連続勤務時間上限の28時間は通常勤務+当直の24時間に加え、引き継ぎ4時間程度で計算しているというが、通常の引き継ぎには4時間もかからない。実際のところは、当直明けの翌日の午前中に「仕事をほぼすべて片づけて帰る」ことを前提にしている。それは交代要員がいないためだろう。
さらに深刻なのは医師不足地域での残業時間だ。上限が1カ月160時間と、極めて非人間的である(もっとも、現状そうでないと回らないという事情がある)。罰則付きの上限基準となる予定なので、現状を最大限考えた結果なのだろうが、このままの基準ではなく、さらに改善をしていく必要があるだろう。
地域医療の維持はできるのか
地域医療の維持は焦点だ。
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医師の労働時間設定でもっとも問題になったのが、地域医療の維持だ。厚生労働省の会議でも、地域医療に一定の配慮をすることは繰り返し強調されてきた。
地方には、少ない医師で休みもなく業務を回している病院が多い。医師が少ない病院で、小児科や産婦人科医師の過労死問題は定期的に起きている。
1999年8月、都内の病院に勤務していた小児科医の中原利郎医師は、過労からうつ病を発症し自死している。東京地裁で、過労による労災だと認められ、2010年、和解が成立している。
ある程度の規模の病院でも、科によっては医師が1人という病院は珍しくない。
アメリカではかつて研修医の過労死や医療過誤が頻発し、ACGMEで週の勤務時間上限やインターバルが定められたという経緯がある。日本の医師は研修医の時期を過ぎても、それを上回る過酷さで、多くは交替もなく働いている。
ただ、だからといって、現状を肯定して、それに合わせた制度を設計するのでは意味がない。後述するように、地域の病院間でネットワークを築くなどして、仕事のシェアを行うなど工夫をしていくべきだと思う。
また、看護師や薬剤師などのコメディカル(※)へのタスクシフトについても、厚労省の検討会では議論されたが、具体的にどのように進めるかは、課題が山積みである。
コメディカルとは:医師の指示のもとで業務を行う医療従事者。
やはり医師が足りない
大学病院は、比較的医師が多く確保されているが(写真はイメージです)。
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全体的な「人手不足」(医師の需給、偏在、病院の定員にもそれぞれ問題がある)のために、「残業上限時間やインターバルが設定されると現場が回らない」のが現状だが、大学病院ではどうだろうか。
大学病院は日本の病院の中では、比較的医師が多く確保されている。診療科にもよるが、当直翌日の午後は帰宅できる体制の部署が徐々に増えてきている。大学病院にとっては、今回の勤務時間上限やインターバルは実現可能だろうが、教授をはじめとするスタッフの交替などで人員が極端に減ってしまった場合、基準を満たせなくなることもあり得る。スタッフの増員と、それを支える経済基盤が必要だろう。
各国の病院数および人口1000人当たり医師数(OECD 2015 health data)。
こうした問題がなぜ起こるのかと言うと、医師が足りず、1人当たりに労働が集中してしまうからだ。日本は医師の数は相対的に少ない方だが、病院の数は世界一多い(グラフ参照)。当然、一施設当たりの医師数が少なくなり、当直の頻度も高くなりがちである。
今、医学部の不正入試や女性・浪人生に対する差別が問題になっているが、そもそも医学部の定員をもっと増やすべきだ。
さらには近隣にあるいくつかの病院の機能を統合し、ネットワークをつくって(ネットワークは必ずしも大学に依存せず、地域に根づいたものになるのが望ましい)、当直や業務のシェアをすることも必要ではないだろうか。
(文・松村むつみ)