医学部の女子制限思想の起源は、1960年代の「女子学生亡国論」だ

大学のトップが非学問的な弁明をするとは、にわかに信じられなかった。

2018年12月、順天堂大の新井一学長は、同大学が女子受験生の入学を制限したことについてこう話している。

「女子のほうが精神的成熟は早く、相対的にコミュニケーション能力が高い傾向があります。20歳を過ぎると差がなくなるというデータもあり、男子を救うという発想で補正しました」 

最初は何を言っているのか、よく分からなかった。  

女子は医師に求められる資質としてのコミュニケーション能力が高い、だから入試で女子を優遇する、という理屈ならば筋は通る。だが、真逆である。なぜ、ここで「男子を救う」ために「補正」しなければならないのか。

女性の方が優秀だから「補正」

女性医師

女子は医師に求められる「コミュ力」が高いのなら、本来歓迎されるべきことだが……。

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要するに、はじめから男子を多く受け入れたかったのである。

でも、女子のほうが成績優秀だ。まともな選考では女子が多くなる。しかも女子はコミュニケーション能力もすぐれている。

困った。そうだ、これを逆手にとろう。

医師に必要なコミュニケーション能力について、男子は生まれつき十分に備わっていない、というハンディがある。ただ、それは年を経れば身につくものだ。こうしたハンディを解消するために、男子にアドバンテージを与える。そのために女子には入試で厳しい選考をすればいい。  

順天堂大は女性差別と言われることを恐れて、このような「補正」で正当化を図ろうとした。ご丁寧にアメリカの心理学者の学術論文を引き合いにまで出して。もっとも引用された心理学者は、医学的検証とすべきではないと、順天堂大の見解を批判している。

「私はいつも指導する大学院生に『自分が得た知見を決して拡大解釈してはならない』と言っている。今回の件はそれにあてはまるのではないか」(毎日新聞12月22日)

もちろん、こんな理屈、納得できるわけがない。  

文部科学省は、東京医科大で不正入試が明るみに出たことを受けて、各大学医学部の入試状況を調査。その結果、10大学で「不適切」な選考が行われたと発表した。このうち女子差別があったのは東京医科大、北里大、順天堂大、聖マリアンナ医科大としている。聖マリアンナ医科大以外は女子差別を認めた。

60年代に論壇を賑わした「女子学生亡国論」

東京医科大学

東京医科大を発端として、他大学でも次々と不適切入試が明るみに。

撮影:今村拓馬

悲しいかな、国が進めている「女性に開かれた~~」という男女共同参画社会をめざす政策、いわば、女性差別が残る社会構造の改革も、医学の世界では「女性は~~だからダメ」というむき出しのホンネで否定されている。

そこには社会の健全性を見いだすことはできない。しかも大学が加担している。残念な話である。

こうした女性制限、女性排除の思想はいつごろからあったのだろうか。  

思い出したのが、1960年代前半に論壇を賑わした「女子学生亡国論」である。文字どおり、女子学生は国をダメにするとか、滅ぼすとかという主張だ。しかも、大学のエライ先生による。  

今回の医学部女子入学制限の発想は、「女子学生亡国論」ととてもよく似ている。いや、「女子学生亡国論」が今日まで伝えられたと言っていいのではないか、と思うほどに。

1960年代前半、首都圏、関西圏の私立大学文学部系の一部の教授たちは、女子学生の存在に危機感を抱いていた。嫌悪と言っていいかもしれない。理由は単純明快。新制大学が発足して大学は男女共学になってから10数年、女子学生が増えたからだ。とくに文系学部は顕著だった。

1962年、文学部の女子学生比率である(女子学生、全学生数、女子学生比率の順)。 

  • 学習院大    917人  1036人 89%  
  • 青山学院大   1267人  1461人 86%  
  • 成城大     726人   922人 78%  
  • 慶應義塾大   1358人  3108人  44%  
  • 早稲田大    1283人  3855人  33%  

教授たちはここまでの女子学生の増加を想定していなかったようだ。一部の教授はキャンパスに女子が存在することが許せなかった。大学という学問の場が冒涜される。当時のコメントからはそう感じたことが伺える。

女子を「いやいや合格させた」

大学の授業風景

今や大学に女子がいるのは当たり前だが……。

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これが、「女子学生亡国論」の始まりである。  

火付け役は早稲田大文学教授・暉峻康隆(てるおか・やすたか)の発言である。タイトルは、「女子学生世にはばかる」。一部紹介しよう。

「ここ当分日本という国の男性は職を持たずに生きていくことは許されないというのが現実である。それなのに結婚のための教養組が学科試験の成績が良いというだけで、どしどし入学して過半を占め、その数だけ職がなければ落伍者になるほかない男子がはじき出されてしまうという共学の大学の在り方に、そういう風に事を運んでいる当事者でありながら釈然としないまま私は今日に及んでいる」(『婦人公論』1962年3月号より)

主語が不明確でわかりにくいが、優秀な女子のおかげで男子は社会で落伍する。そんな共学で教える自分に釈然としない、と言いたかったようだ。  

当時、早稲田大では入試に面接試験があった。暉峻は女子受験生から大学で勉強する目的、将来に対するビジョンを聞いていた。

「将来の目的は何ですか」

「別に目的はございません。働かなくてもよろしいんです」

「そうすると、結婚するまでにはまだ4、5年あるから、それまでに教養をつけておこうということですね」

「はい」(『婦人公論』1962年3月号より)

将来像を語れないからといって、入試で落とすわけにはいかない。何よりも学科試験の成績がかなり優秀である。暉峻は「いやいや合格させた」と振り返っている。  

また、暉峻は女子学生の母親から、大学入学動機についてこう聞かされたことがある。 「お見合いで仲人にどこの大学を出ましたか、と聞かれますから」と。

卒業式の謝恩会で、「4年間、この大学で何ひとつ得るところがなかった。その代わり、こんな立派な配偶者を得ました」とスピーチをして婚約者を紹介した女子学生もいたという。

暉峻は、女子学生がその身分を獲得することは打算であると感じるようになり、腹立たしく思うようになった。さらに女子学生亡国論を舌鋒は鋭く訴えていく。

「高校卒業後、お嫁入りまでの5年間をお茶と生け花ばかりというわけにもいかない。『じゃ、ひとつ大学へでも』ということになる。現実は完全就職のお嫁さんだけが目標です。たまに就職しても、結婚の相手ができるとサッサと辞めてしまう。これじゃ。困りますよ。少々成績は悪くたって、職業を一生のワザと心得る男子学生を教育した方が、天下国家のためです。(略)

いまは、おしなべて良家のお嬢さんのお教養ですね。それだったら、なにも高い月給を払って大学にくることはない。テレビも教養番組をみてた方がよっぽどマシですよ。大学は花嫁修業の教養番組ではないんだから」(『週刊朝日』1962年6月29日号)

ずいぶんハデに「自分が得た知見」を論につなげたのである。

はじめに男子ありきの発想

家事をする女性

所詮女性は結婚するのだからという冷ややかな目があった。

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慶應義塾大文学部の奥野信太郎教授も「女子学生亡国論」に加勢するが、思い込みが激しく、品がない。

「女というのは馬車馬のようによくやる。教室でも、あきれるくらい、せっせとノートをとる。そんなぐあいだから、彼女らの試験はよくできる。が、結局それだけ。どだい、ハンドバックを選ぶみたいにフランス文学にしようか国文学にしようかというわけだから、結婚してすべて終わりです。私学は有力な校友、先輩の経済援助なしには成立しない。ところが女性は天性のケチなうえに、結婚後は亭主に同調する習性がある。だから彼女らに期待できない。(略)

合格率が良くて、成績がすぐれ、ノートが丹念で、学者にはならず、結婚を目的とし、うつくしいパンティをはいているもの」(『週刊朝日』1962年6月29日号)

大学教授でありながらトンデモ的な話を、今で言うネトウヨ的な物言いでシレっと話す。文学部女子比率で早稲田3割、慶應4割でこの騒ぎっぷりである。ネットがない時代とはいえ、メディアや学界で「炎上」しなかったのは、まだまだ女性に冷ややかな社会だったからか。

奥野の慶應義塾大の同僚、池田弥三郎教授も「女子学生亡国論」に参戦する。「大学の女族の氾濫についての『女禍論』の大要である」として、その根拠を箇条書きで4つ並べた(以下、『婦人公論』1962年5月号より要旨)。

  1. 親は女子について教育熱心ではない。その証拠に学校への寄附金は女子のほうが少ない。
  2. 大学教育で男子専門分野を狭く深く進む。女子は一般的に広く浅い。したがって、大学がその学問の将来を考えると、女子には悲観的期待しかよせられない。
  3. 男子を押しのけて女子が席に着いたが、大学卒業後、社会人としての勢力の上では、1人が1人のプラスにならない。多くが結婚で、いちおうその人生の終点と心得る女子と、まさかそうは考えていないはずの男子との根本的な違いである。
  4. 女子の結婚相手が他の大学出身者の場合、大学時代の姓が旧姓に変わり、母校への寄附は期待できない。卒業させれば他大学にのしをつけてさし上げる結果となる。  

単なる言いがかりである。そこに科学的な根拠はまったくない。本当に真理を探究する大学教授かと疑いたくなる。ただ女性が嫌いなだけではないのか。  

話を現在に戻そう。  

医学部女子入学制限は、はじめに男子ありきの発想に基づく。医学の世界は男子がたくさん必要だから、医学部では女子を排除して多くの男子を確保したい、というきわめてシンプルな論理である。

そこには社会にとって女性よりも男子が活躍するほうが良い、という本音が見え隠れするが、これは1960年代前半の「女子学生亡国論」の主張とピタリ重なる。半世紀以上も経って、これだけ社会が変化しているにもかかわらず、一部の大学側にはこんな時代錯誤な“本音”がいまだに残っている。

東京医科大の謝罪

謝罪する東京医科大の常務理事ら。女性蔑視思想は本来、大学が先頭になって変えるべきなのに。

REUTERS/Toru Hanai

こうした考え方は、本来大学が先頭になって変えていかなければならないものだ。学問に取り組んでいる、真理を探究する、ものごとを科学的にアプローチしている。こうした自負を持っていらっしゃる大学教授のみなさんに望みたい。

いい機会です。隗(かい)より始めよ。入試選考での女子差別はやめなさい。

「女子学生亡国論」という半世紀以上前の亡霊を退治して、大学の地下深いところでチョロチョロと流れる、女性蔑視という水脈を断ち切ってほしい。


1960年生まれ。教育ジャーナリスト。おもに教育、社会運動問題を執筆。1994年から「大学ランキング」の編集者。おもな著書に『シニア左翼とはなにか』『早慶MARCH』『高校紛争1969-1970 「闘争」の歴史と証言』『東大合格高校盛衰史』『ニッポンの大学』など。

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