「世界を変えるという勘違い」をして会社を離れ、24歳の私がインドで働く理由

「自分が世界を変えるというぐらいの“勘違いをしている人”に参加してほしい」

この言葉を聞いた瞬間「コレだ」と思った。そして、大学1年生の時に始めて2019年で5年目を迎える自分の会社を、初めて3カ月ほど離れ、インドに向かうことにした。NPOクロスフィールズが経済産業省の予算を使って実施する「留職プログラム」に参加し、インドの社会的企業で働く。

インドでの風景

自分の会社を離れ、インドで働くことを決めた筆者の新居日南恵さん(右から2番目)

筆者提供

私は、東日本大震災が起こる数カ月前、初めてNPOという存在に出合った。中学受験を経てやっと入った中高一貫の女子校にはうまく馴染めず、中一の時から学校を休みがちだった。とはいえ外部を受験するほどのエネルギーもなく、エスカレーター式で高校に進学。部活にも入らず、放課後はぼーっとテレビを見続ける日が続いた。

「最近の若者は無気力だ」なんて言葉を聞いては、まるで自分のことを否定されているようで、世間に申し訳なく思った。

そんなある日、塾の先生からNPOカタリバの存在を教えてもらったのだ。推薦入試の講座で「(強いていうなら)対話と政治に興味があります」と話したのを覚えてくれていたようだ。カタリバは、高校生向けのキャリア教育機会を提供するNPOだった。

学校もつまらない、受験もパッとしない。こんなつまらない日々を変えるなら、今しかないかもしれない。ホームページを何度も何度も眺めては閉じを繰り返していたある日、深夜2時に深夜テンションが手伝って、ついにイベントに申し込んだ。

つまらない学校の世界を飛びだせた開放感から、あれよあれよとその世界にはまっていった。一方で、当時は18歳選挙権成立の前で「若者と政治」がホットイシューになりかけていた。うざったいとすら思っていた政治だったのに、いつの間にか同世代の仲間達と「若者と政治をつなぐ」NPOを立ち上げていた。

カタリバに出会う前の、世の中を斜に構えてみている暮らしよりも、気の合う仲間たちと、誰かのために、未来のために動いている時間の方がマシに感じられたのだ。

炎上、糾弾、ただただ走り続ける5年間

それから1年半後の2014年、大学1年生になった私は家族を取り巻く課題解決をテーマに、manmaという組織を自分で立ち上げた。そして、今日まで5年間、任意団体として始まった組織を、事業化し拡大するために、ただただ走り続けてきた。

途中には、同世代の仲間たちが立ち上げたNPOが何度もネットで炎上し、声を上げることの難しさを痛感することもあった。同級生たちが就職していく中、取り残された寂しさを感じたりもした。メンバーには「何がしたいかわからない」と泣きながら糾弾された。いろんなこと全てを飲み込んで、そんな時だからこそこそ絶対に立ち止まらずに、右足を一歩前に進めることだけが私の全てだった。

貴重なチャンスにたくさん恵まれ、続ければ続けるほど、新しい課題に直面する。 やったことがないことへのチャレンジばかりの日々は、とても生きている手触りにあふれていた。いつの間にか毎日朝から晩まで、1分も無駄にしないようにと、動き回るようになっていた。

「常にどこからか出血しているような」状態

センガレン

センガレンのシンポジウムで、世界の同世代と出会った。左から2番目が私。

筆者提供。

一方で、いつの間にかいろんなことが見えなくなっていたようだった。大学院1年目が終わりにさしかかっていた年末、「常にどこからか出血しているような状態」と今の自分の気持ちを言葉にしていた。

ただ続けることに一生懸命になり、十分な休みも取れず、自分が何のために組織を続けているのかを考える時間すらなかった。目的もわからずただゴールのないマラソンを走り続けるような気分だった。

そんな頃、センガレンシンポジウムという世界中から200人のリーダーが集まるカンファレンスに参加する機会に恵まれる。27歳で博士課程に在籍しながら子育てをしているダニエル、フィリピン出身で日本に留学にきていたもののスタートアップの立ち上げのため韓国に移り住んだサントス——。彼らに出会い、彼らの柔軟で自由な人生の時間の使い方に衝撃を受けた。

大学院卒業までには、今の会社を事業として成り立たせなければ、立ち上げた組織を続けていかなければ。それしか自分の将来を考えられなくなっていた自分に気づかされるきっかけになった。

日本で一人、何かに追われるように働いていたら、ダメになってしまう、そう思った。自分自身の心身も壊れていく上に、本当に向き合うべき課題が何かすらも見失ってしまうように感じた。一回立ち止まり、視野を広げて、自分自身の未来のため、社会の未来のために何ができるのか、自由に考え直す時間が必要なのではないか。

人口減少の国、日本への強い危機感

シンガポール

アジアの経済拠点となっている、シンガポールの街並み。世界における日本の存在感は。

同時に、日本が置かれている世界的立ち位置についても考えさせられることが多くなった。昨年は、文部科学省の「Society5.0における教育にかかる大臣懇談会」のメンバーとして、これからの教育のあり方について、有識者の先生方と議論していた。

中国・インド・東アフリカの人口増加と経済成長に関する言及が繰り返された。存在感の増していくこれらの国々と比較して、人口が減っていく一方の日本がどのように世界の中でプレゼンスを保てるのか、強い危機感を感じるようになった。高校生時代から日本の未来に対する強い危機感を口にする大人たちの話は聞いていたが、初めて我がごととしてピンときた瞬間だった。

とはいえ、私は1994年生まれ。バブルも崩壊した失われた20年以降しか見たことがない。日々国が成長している右肩上がりの感覚を持って育っているこれらの国々の人たちと、人口も右肩下がり、暗いニュースばかりの日本で育っている人では、個人レベルでもエネルギー量が違うのではないか。今もっともエネルギーのある国で、そのパワーを肌で感じてみたいと思うようになった。

日本人同士だけで暮らす時代には生きていない

インドの子供たち

留職先に選んだ、南インドでは、社会的起業で働いている。

筆者提供

そんな時に、以前から交流のあったNPOクロスフィールズの代表を務める小沼大地さんから、留職を学生向けに開放するという話を聞いたのだ。

私たちは、日本で、日本人のために、日本人同士で働いて暮らしていける時代には生きていない。世界で、世界の課題を、世界中の人と解決に向けて取り組むのが、当然ながら社会的起業家の使命だ。

いったん組織を離れ、途上国で現地の人々と一緒に、社会課題解決に向けて働く経験を持つことは、その最初の一歩になるように思う。

そして、何よりも自分自身の未来を考える上でも、とても良い機会になるように感じた。これまで向き合ってきた「家族」というテーマを離れ、全く別の社会課題解決に挑む現地の社会的企業で働くことになる。日本にいる時のように、何かに追われて、朝から晩まで働きづめという暮らしではない。

5年目の節目に、一度立ち止まる時間を作ろうと思う。

この時代の日本に生まれた若者として、日本のため、世界のために何ができるのか。私自身の人生をどう使ったらいいのか、考え直してみたい。

そうして私は今、南インドのチェンナイにある障がい者支援に取り組む社会的企業で働いている。10時から18時の就業時間以外の使い方は、全くもって自由だ。

インドという国の有り余るエネルギーを感じながら、少し遠くから日本という国や、自分の環境を見つめる毎日は、想像以上にかけがえのない時間となっている。

新居日南恵(manma代表): 株式会社manma代表取締役。1994年生まれ。 2014年に「manma」を設立。“家族をひろげ、一人一人を幸せに。”をコンセプトに、家族を取り巻くより良い環境づくりに取り組む。内閣府「結婚の希望を叶える環境整備に向けた企業・団体等の取組に関する検討会」・文部科学省「Society5.0に向けた人材育成に係る大臣懇談会」有識者委員 / 慶應義塾大学大学院システムデザインマネジメント研究科在学。

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