世界中に広がりつつある「こんまり」ブーム。そのきっかけになったNetflixの番組を観ながら記者が思ったことはたった一つだ。
「えっ、そもそも散らかってなくない?」
90分5000円のときめき片づけセミナー
いつもポジティブな近藤さん。どれだけ雑然としていても「散らかっているのが好きなんです」と言う。
出典:ネットフリックス番組ページ
“こんまり”こと近藤麻理恵さんが出演する『KonMari 〜 人生がときめく片付けの魔法』(ネットフリックスオリジナル番組)は、片づけに悩みを抱えたアメリカの家庭を近藤さんが訪問し、一緒に片づける番組だ(ざっくり)。しかし、どの家庭のどの部屋も十分に片づいていた。少なくとも記者=私にとってはそう見えたのだ。
私は片づけが大の苦手だ。詳しくは後述するが、実は独力で床が見えた経験がほとんどない。そんな私が唯一共感できたのが、「ときめき」を基準に物の選別や整理整頓をする「こんまりメソッド」だった。
日本で近藤さんの著書『人生がときめく片づけの魔法』が出版された2010年当時、そんな私でも一時期は部屋がそこそこ片づいていた(自分基準)記憶がある。
そこで、こんまり再ブームに乗っかってもう一度頑張ってみようと、近藤さんが立ち上げた「日本ときめき片づけ協会」の「ときめき体験片づけセミナー」に申し込んでみた。協会の「ときめき片づけコンサルタント」がこんまりメソッドの重要なポイントを教えてくれ、料金は90分間で5400円。基本は少人数制だが、私はラッキーなことにマンツーマン指導だった。
近藤さんは2014年にアメリカに拠点を移し、現地で精力的な活動を続けてきた。一方、日本で地道に彼女のポリシーを伝え、ビジネス基盤になってきたのが恐らくこの協会認定のコンサルタントたちによるセミナーや個人レッスンだろう。
イライラが減、脳内リソース増
部屋が綺麗になるとイライラがなくなり、脳内リソースが増える…と言われたんだけど(写真はイメージです)。
shutterstock/ PR Image Factory
セミナーは東京都内のカフェでコーヒーを飲みながら、リラックスした雰囲気で始まった。開始前、コンサルタントの女性が私の目を見て微笑んだ。
「このセミナーが終わったら『早く帰りたい、片づけたくてたまらない』とおっしゃる方が多いんですよ」
セミナーは、生活サイクル、部屋の現状、掃除は好きかなどのヒアリングから始まった。
朝8時に起きて夜3時に寝ていること、今年は仕事の勝負時だと思っているから休日も仕事に充てていること、部屋は床がほとんど見えていないこと、掃除機の音を聞くだけで蕁麻疹が出そうなほど片づけが嫌いで苦手なことなどを話した。
「引かれないかな……」と始めはビクビクしていたが、さすがプロ。
「床は見えていない……でも“けもの道”くらいはありますか?」
「床に積んでいる物の高さは膝くらいですか?」
など、終始こちらの心理的ハードルを下げてくれた。
その後、女性がこれまで個人レッスンで片づけてきた部屋のビフォー・アフター写真を見せてもらった。
「部屋が綺麗になる、保管のリソースが増えるなどの物理的なメリットよりも、『片づけなきゃ』とイライラすることがなくなり、脳内のリソースが増えるという心理的メリットを感じる人が多いようです。
ときめき片づけで大切なのは『自分が主役』だということ。もらい物だとか高価だからとかではなく、自分が好きだからときめくからという確固たる意思に基づいて判断していくので、リバウンドしずらいんです」
米企業からビジネス提携の相談が続々と
「こんまりメソッド」でシャツやタオルを畳んで立てて収納する男児。
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こんまりブームはアメリカだけではない。BBCはイギリス各地のチャリティーショップで寄付が増加していると報じ、インドのバンガロールに住む記者の知人からは書店で近藤さんの著書が平積みになっていると教えてもらった。
近藤さんが約3年前、その活動を株式会社化する際に経営陣から話を聞き、投資することを決めたのがベンチャーキャピタリストの山本康正さんだ。
山本康正さん(右から2番目)。東京大学修士号取得後、米ニューヨークの金融機関に就職。ハーバード大学大学院で理学修士号を取得。卒業後、Googleに入社し、現在はドレイパーネクサス インダストリーパートナーやハーバード大学客員研究員など。
本人提供
近藤さんの著書『人生がときめく片づけの魔法』は2014年にアメリカで出版され、67万部を超えるベストセラーになり、2015年にはTIME誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれるなど、当時すでにアメリカでの知名度が高かった。今後はそのメソッドをセミナーなど「直接体験できるかたちで広めていきたい」という経営陣のビジョンに共感し、投資することを決めたという。
山本さんはこれまでフィンテックなどなどの分野を中心に、海外に広く展開するテクノロジー企業に投資してきた。近藤さんの事業はこれまでの投資家としてのスコープからははずれるが、「経営陣の優秀さと教育ビジネスとしての可能性」に賭けたという。
当時は数名だったスタッフも今は数も増えた。上場はまだだが、ネットフリックスの番組の人気を受けて、「家具メーカーやスマートホーム関連の企業などからビジネス提携の相談が続々と入ってきている」(山本さん)そうだ。
マーサに次ぐ「暮らし」のアイコンに
自身の本にサインするマーサ・スチュワート。2008年。
shutterstock/s_bukley
アメリカでライフコーディネーターや実業家、日本でも「カリスマ主婦」として人気を博していたマーサ・スチュワートがインサイダー取引で有罪判決を受け、服役したのが2004〜2005年のこと。以降、アメリカでは彼女のような「生活のシンボル」が少なかったという。
「アメリカ人は近藤さんのポジティブな姿勢に共感しています。トランプ大統領政権下での混迷した状況で、彼女のように明るく多様性のある『人々の暮らし』を体現するアイコンを求めていたのかもしれません。
ネットフリックスの番組は『家族向けのコンテンツを増やしたい』という制作サイドと近藤さんサイドの意向が合致してできたと思います。私もコンセプトはいいなと思ってはいたのですが、ここまで有料インターネット番組でアメリカだけではなく世界に人気が広がるとは思っていませんでした。これをいかに次のステップにつなげるか、投資家として支えていきたいと思っています」(山本さん)
近藤さんは番組中の会話の多くを通訳を通じて行い、自身はあまり英語を話さない。その「神秘性」も人気の理由ではないかと山本さんは言う。
「英語が話せなくともコンテンツが良ければ世界に届くという良い成功例になりましたよね。昨今は日本の文化を海外に持っていくことをサポートすることが多くなっていますが、『日本の家ならではの収納術』がアメリカ人に驚きを持って受け入れられたように、日本では当たり前のこと、過小評価されていることこそ見直す価値があると思います。そういう意味でも近藤さんの成功が投資家やビジネス界に投げかけるものは大きいと思います」(山本さん)
片づけのゴールは今ある自分を愛すること
shutterstock/adistock
話を冒頭の「ときめき体験片づけセミナー」に戻そう。
片づけの悩みを5つ書くように促された私は、次の5点を挙げた。
- 嫌い
- 時間がない
- ゴミだとわかりつつ捨てない
- 面倒
- 片づけてもすぐ散らかる
これらは「みなさん多く持っている悩み」だと言われたので、続けて思い切って打ち明けた。
実は私、片づけで2つのことが同時にできない。例えば、トイレットペーパーを交換できても、使い終わった芯を捨てられない。シャンプーを詰め替えても、詰め替えた後のビニール容器を捨てられない。ネット通販で買った洋服をビニール袋から取り出しハンガーにかけて洋服用の香水をかけることはできても、宅配の段ボールをぺしゃんこに畳んでゴミに出すことはできない。だからトイレットペーパーの芯やシャンプーの詰め替え容器、段ボール箱が部屋中に転がっている。
そもそもゴミをゴミ箱に入れる習慣がない。
うなづきながら話を聞いてくれたコンサルタントの女性は、再び微笑みながら言った。
「定期的にハウスキーパーを入れるのがいいですね。週2回とか」
えっ……始めに言ってたことと違うじゃん? セミナーを受けたら片づけたくてたまらない状態になるんじゃないの? という心の声をのみ込み、その理由を聞いた。
「竹下さんはときめく力はあるんです。通販で買った洋服をハンガーにかけてお気に入りの香りのスプレーまでできてるので。ただ片づけには生産性がないと思っているだけ。
大丈夫です、自分でやるというよりも片づいた状態に導くためのシステムをどうつくっていくかという問題なので。自分がときめくものが分からない人はお掃除の人に指示することもできないですからね」
SXSW Music Film Interactive Festival 2017にて。
Reuters/Brian Snyder
女性のこの診断を私や私の部屋をよく知る友人たちに伝えたところ、皆「こわいくらい的確」という返事だった。
自分でもその通りだと思う。仕事やSNSと違って誰も褒めてくれない家事に何の意味があるのか分からない、でもこんなにも片づけができない自分をなんとかしたいという両極の気持ちに揺れているのが、今の私だ。
その後もコンサルタントの女性は丁寧にときめき片づけのお作法を説明してくれ、終わった後には親切なメールまでくれた。
こんまりメソッドはセラピーだと分析していた人がいたが、確かにセミナーが終わった後は心が軽くなった。それはコンサルタントの女性が終始「私の心」に耳を傾け、大切にしてくれていたからかもしれない。
彼女は、
「ときめき片づけはマインドが9割。このマインドは協会で厳密に定義してないんですが、私は他人の目ではなく自分がときめくものだけを大切にすることだと考えています」
と言っていた。
ネットフリックスの番組で近藤さんも「片づけのゴールは今ある自分を愛し、家族や自分が住みやすくなること」だと話している。つまり、ときめき片づけはLOVE MYSELF。片づけられない私も大切な私の一部だ。
この原稿を書いている私の部屋には、今日もトイレットペーパーの芯5本、箱のままの段ボール8個が転がっている。
(文・竹下郁子)