日本の採用は「履歴書」から卒業しよう。いまこそ昭和・平成の人事文化を問い直す時【就活2019】

平成天皇 国会

2019年1月28日、通算82回目、在位最後の国会開会式に参加した今上天皇。平成が終わろうとしている。

REUTERS/Issei Kato

いよいよ新しい元号の世を迎えようとしている。西暦表記が増え、改元のもつ物理的インパクトは過去ほどではないものの、新たな時代への期待感、新しい社会を創ろうという機運の高まりは間違いなく感じる。

そんな平成の終わりと軌を一にして、大きな転換点を迎えているのが、採用・報酬・働き方といった「仕事と人」の問題だ。人手不足、定年延長、テクノロジーの発展など、時代や環境が生み出すさまざまな問題に対応した変化が今まさに求められている。私たちは何を過去に置き捨て、何を次の時代に持ち込むべきなのか。集中連載のかたちで突き詰めて考えてみたい。

第1回のテーマは「履歴書」。昭和と平成にまたがってほとんどその姿を変えることなく、「仕事と人」の関係の入り口で常に必要とされてきた数枚の書類のあり方への問題提起だ。

人事の「達人」なら、履歴書で人物を判断できるか

面接

「履歴書で想像される人材そのものと出会うケースはまずない」と多くの人事関係者は言う。

撮影・今村拓馬

人事の「達人」だったら、履歴書を読んだだけで、その人が優秀かどうか分かったりするのだろうか。

答えは間違いなくノーだ。筆者も20年にわたり人事に関する業務に携わっているが、面接をして「まさに履歴書通りの人物だ!」なんて感じたこともなければ、履歴書に貼り付けてある「写真通りの顔」の人に会うことも少ない。

より詳細で実務的な内容が書かれてある職務経歴書は、さらに判断が難しい。同じ仕事でも人によって表記の方法やスタイルがまったく異なるので、実際のところ、どんな職務をどのレベルでこなせるのか、書類を読んだだけでは見当がつかないことがほとんどだ。

ところが、そこに書かれてある情報が示す価値以上に、履歴書は多くの働き手にとって重要なものと認識されている。

「いまの職場は自分にまったく合っていないけれども、すぐに退職すると履歴書が『荒れる』ので、6カ月までは我慢しようと思っている」(食品メーカー・20代営業職)

「30代前半でも、3社以上の転職経験がある人はNG、という企業はまだまだ多い。ブランクが2カ月以上ある人はNG、などと書類選考の段階で具体的に制限をかけている企業もある」(大手人材紹介会社・エージェント)

こうした声は、暗黙のルールが実際に存在し、それに従う必要性がある日本の変わらぬ現実を表している。

「昭和28年から全国共通ルール」であり続ける履歴書

履歴書

昭和28年に日本工業規格(JIS)の認証を受けた、おなじみの履歴書。

Shutterstock.com

1953(昭和28)年に日本工業規格(JIS)に認証され、採用に関する全国共通ルールとして広まった履歴書は、「多くの人が理想と考える“標準的な”生き方」への同調圧力を象徴するものとして、いまでも根強く日本全体で生き続けている。

標準的な生き方から外れた人に対し、履歴書は冷たい。

3年以上の浪人・留年、非正規雇用でのキャリア、短期間での退職実績、転職回数、離職や育児によるブランク期間……。何かにつまずいて立て直そうと努力した経験や、子育てを通じた学びや経験は、仕事にも厚み・深みをもたらすものだろう。しかし履歴書上では、多くの場合、マイナスの事実になる。

療養して体力・気力を充実させること、介護など家族の問題に当事者として真正面から取り組むことも同様だ。誰もが70歳(あるいはそれ以上)まで働き続ける社会を日本が迎えるなかで、50年間以上も「昭和28年からつづく標準的な生き方」を守り続ける必要は、いったいどこにあるのか。そもそも現実性すら怪しいだろう。

スクリーニングは必要、と人事担当者

就職相談会

合同企業説明会など就職関連のイベントには大勢の若者が詰めかける。採用に一定のスクリーニングが必要、という人事担当者の声はもちろん分かる。

撮影・今村拓馬

履歴書には全然メリットがないと言っているのではない。

「採用業務(の効率)上、明らかに応募ターゲットからずれている人をスクリーニングする必要がある」(大手通信会社・人事)

「50万人の大学生、10万社の採用企業という膨大な量のマッチングを実現するためには、乱暴と言われても、一定程度絞り込むツールが必要」(新卒採用代行業・社長)

こうした人事関係者の声はもっともだ。履歴書のない採用オペレーションなど想像がつかない。企業には「ビックリするほどピント外れな応募者もたくさん来る」(大手通信・人事)ため、スクリーニングのための書類選考は不可欠と言われればその通りだ。

ただし、新卒採用の場合、履歴書は面接対象者の絞り込みだけではなく、選考スケジュールの順位づけにまで使われてきた。言い換えれば、新卒一括(同時期)採用という慣行のために、履歴書は採用の判断に過度に活用されてきたきらいがある。

問題は、履歴書の「使われすぎ」

履歴書 写真撮影

「履歴書の写真は写真館のスタジオで撮りなさい」そんなアドバイスを受けた人も多いはず。就職活動で履歴書のもつ独特の「重み」は無視できない。

REUTERS/Yuya Shino

履歴書の「使われすぎ」は、新卒採用にとどまらない。

「転職市場においても、履歴書に並ぶ出身企業名は重要な選考要素だ」(大手人材紹介会社・エージェント)

「ブランド企業からの転職者の場合、役員面接では出身会社の内情を聞くだけで、キャリアをろくに精査もせず合格、というケースもある。提示年収も自然と高くなる」(財閥系メーカー・採用担当)

ビジネスが専門化・高度化するなか、能力の価値は1時間程度の面談ではとても判断できなくなっている。本来は面談回数や対話する時間など接点を分厚くすることが必要なのだが、超売り手市場が続くなか、短期間での採用決定を求められる企業は、履歴書や職務経歴書に記された学歴や職歴に判断をすがってしまうことも多々ある。

こうした事態は、いまさら筆者が説明するまでもなく、誰もが容易に想像できることだ。だからこそ、売り手市場で転職できるうちに、よりブランド価値が高い企業・キャリアに乗り換えねばという焦りが、若い世代に広がっている。

履歴書を汚さぬように、いかに退職リスクの少ない職場(自分にとって安全な職場)を選ぶか。採用する企業側だけでなく、求職者側も、短時間の薄い接点で決断しなければならないと感じているのである。

そんな若者の大企業志向や堅実志向を嘆く声も少なくない。しかし、これから40年、50年と、(仕事の実績や人物以上に)履歴書が大事にされる労働市場を生き抜いていかねばならないとしたら、それもやむを得ないことだろう。

テニス世界ランク1位、大坂なおみの履歴書

大坂なおみ テニス

全米オープンに続き全豪も制した大坂なおみ選手。ふだんのたどたどしい日本語と控えめな態度からは想像できない、パワフルで切れ味のあるプレーが、世界中の人々を魅了している。

REUTERS/Lucy Nicholson

さほど意味をなさないことを承知で、筆者のクライアントの人事部の方々に、次のような質問をぶつけてみた。

秋山「御社に大坂なおみさんのような社員がいたら素敵だと思いますか?」

A社人事部「そうだね。もしいてくれたら素晴らしいと思う」

B社人事部「当社の人事ポリシーの第一はダイバーシティだからね。彼女のような人が成長して活躍できる職場が理想」

C社人事部「おっとりしているようで、エネルギーあふれる女性。理想の人材像そのものだ」

秋山「では、もしテニスプレーヤーではない彼女が御社に新卒で応募されていたとしたら、履歴書は選考を通過したと思われますか?」

全社「……」

皆がいったん沈黙した。それはそうだ。テニスプレーヤーではない大坂さんをどう評価すればいいのか。筆者だって、同じ質問が来たら沈黙するしかなかったろう。そもそも履歴書は多様性やエネルギーを表現するようにはできていない。エントリーシートだって、入社に対するエネルギー(意欲)を読み取るのがせいぜいだろう。

履歴書と決別すべき時が来た

就職活動

履歴書という雇用慣行の存在が、私たちを知らず知らずのうちに古い時代の価値観に引き留め、企業の採用や働く人の選択を保守的にさせてはいないだろうか。

撮影・今村拓馬

グローバル化が進み、未来を見通しがたい社会へと迷い込んでいくなかで、多様性を確保してあらゆる変化に対応できる態勢づくりが重要となる……。この数年の低成長を経て、そのことを痛いほど思い知らされた日本企業は、新しい時代と真っ向から向き合うため、多様でエネルギーあふれる人材の確保を至上命題としている。

そんないま、履歴書という雇用慣行の存在が、私たちを知らず知らずのうちに古い時代の価値観に引き留め、企業の採用や働く人の選択を保守的にさせているのであれば、このシステムのありかたを議論すべきだ。

履歴書を重視しない採用をしている企業も確かにある。しかし、多くの企業が重視しているのが実態であり、重視していない企業でも「とりあえず」履歴書の提出を求めている。外資系企業やスタートアップが増えたとはいえ、履歴書のもつ社会への同調圧力はそんなに変わっていない。

履歴書があることが、この国の人生の選択を窮屈なものにし過ぎていないか。企業は、失敗を恐れずチャレンジする人材を、と言いながら、つまずきを断罪しかねない履歴書というツールを大事にし過ぎてはいないだろうか。エネルギーあふれる人材の成長を阻害してはいないだろうか。

平成を終え、昭和と決別するいま、思い切ってこのシステムを新しい時代に連れて行かない選択をするのはアリだ。筆者はいま強くそう感じている。

「履歴書さん、ありがとう。テクノロジーのなかった時代には効率的な採用を助けてくれたね。でも、もう別のやり方を考えたから、新しい時代には連れて行かないよ」

話題の“こんまり流”に、こんなセリフを言うのは時期尚早だろうか。

もし履歴書をなくすことがまだまだ無茶だというのなら、どうしたら履歴書に書かれてない重要なことを、より重視できる社会に進展していくか、それだけはいますぐ社会全体で考えなければならないはずだ。


秋山輝之(あきやま・てるゆき):株式会社ベクトル取締役副社長。1973年東京都生まれ。東京大学卒業後、1996年ダイエー入社。人事部門で人事戦略の構築、要員人件費管理、人事制度の構築を担当後、2004年からベクトル。組織・人事コンサルタントとして、のべ150社の組織人事戦略構築・人事制度設計を支援。元経団連(現日本経団連)年金改革部会委員。著書に『実践人事制度改革』『退職金の教科書』。

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