宮崎県綾町で無農薬ワインを生産する「香月ワインズ」の香月克公代表。
宮崎市内から車で40分ほどの山あいの町に建てられた小さなワイナリー。2月中旬に訪れると、琥珀色のワインの瓶詰め作業真っただ中だった。
香月克公(よしただ)さん(44)が営む「香月ワインズ」は、完全無農薬でブドウを栽培し、野生酵母で発酵させてワインを作る。試行錯誤を経て2018年初春にファーストワイン1000本が生まれた際には「奇跡のワイン」と注目され、1本1万円の高価格にもかかわらず、1カ月で完売した。
「借金だらけだし、すごく手間もかかるし、倒産しないためのぎりぎりの価格が1万円だったんです」
香月さんは「カッコつけても仕方ないから」と笑った。
高温多湿で、収穫の時期には台風もたびたび襲来する。とてもじゃないがブドウの生産には適しているとは言い難い宮崎で、なぜリスクを背負って無農薬ワインを作ろうとするのか。そこには、大量生産・消費時代への疑問と「シンプルな幸せ」の追求、そして彼の思いに共感する人々の輪があった。
25歳で海外に、ワイン資本主義を体験
2月12日には、伝統的な製法で作られ、最近注目が高まっているオレンジワインの瓶詰め作業が行われた。
ワインとの出合いは25歳。バックパッカーとしてニュージーランドを旅行中に、同国最大のワイン産地・マールボロのブドウ畑で働いたのがきっかけだった。
「キャラが強い職人肌の醸造家と知り合い、ワイナリーの仕事を手伝っているうちに、ワイン作りの奥深さに取り込まれました」
当時、ニュージーランドはワイン産業の勃興期。ヨーロッパなど成熟した産地とは異なる製法や味わいが市場に評価され、世界中から注文が殺到し始めていた。
香月さんは地元の学校で栽培や醸造を学び、永住権も取得した。だが、ニュージーランドに移住して7年経ったころ、違和感が芽生えた。
「マールボロはもともと羊農家が多い地域だったのですが、ワインが儲かるビジネスになると、牧場にブルドーザーが入り、ブドウ畑に姿を変えていきました」
資本主義の論理に飲み込まれんばかりの地域を見て、ワイン作りへの情熱が急速にしぼんでいくのを感じた。そんな香月さんを心配した知人が、「2~3カ月、ちょっと外を見ておいで」と、ドイツのワイナリーを紹介してくれた。
ドイツで出合った「シンプルな幸せ」
宮崎県綾町は有機農業の盛んな町として知られる。
香月さんが訪れたのは、人口600人の小さな村にあるワイナリー。そこで作っているのは、1本1000円もしないワインだった。
「ニュージーランドでは特別な飲み物だったワインが、ドイツでは日常の一部として存在していて、そのギャップにショックを受けました」
ニュージーランドで流通しているワインは1本約2000円のものが多く、どこもヨーロッパの一流ワイナリーを目標としていた。だが、ドイツの仲間たちは、香月さんにこう言った。
「1本数千円の高級ワインなんて、ごく一握り。私たちが作っているのは、家庭で毎日飲むワインだよ」
ワイナリーの大半は家族経営。早朝から皆で働いて、自家製のワインを飲みながら昼食をとり、昼寝をしたらまた畑作業。決して楽な生活ではないが、香月さんはそこに「シンプルな幸せ」を見た。
「家族や地域が助け合う。コミュニティーの中心にワインがありました。地元のワインを置いているレストランもあり、ワインが地域の絆の役割を担っていたのです」
生まれ育った故郷で、ワイン作りを ——。2009年、10年近い海外生活にピリオドを打ち、香月さんは宮崎に帰郷した。
3人のワイナリー、ボランティアが収穫手伝い
堆肥はワラを発酵させ、炭を混ぜて作る。農薬の代わりには酢や重曹が活躍する。
帰郷しワイナリー経営の夢を追う中で、ある日、青森でリンゴの無農薬栽培に成功した木村秋則氏の著書『奇跡のリンゴ』を手にし、目指す道が見えた。だが、手元にはお金もブドウもない。
「資金がないので県庁などに相談に行くと、『ブドウはあるのか』と聞かれました。確かにブドウを作らないとワイナリーの話もできません。そんな時に、無農薬ワインのコンセプトを話すと、もう、周囲からボロクソに言われましたね」
県内の大手ワイナリーで働きながら無農薬栽培を勉強し、2013年、有機農業に力を入れてきた宮崎県綾町で、父の畑を受け継いで完全無農薬のブドウ栽培に着手した。
ワラを発酵し、炭を混ぜて作った堆肥。農薬の代わりの酢と重曹……。試行錯誤を重ね、1トンのブドウがとれたのは2017年だった。同じころ、小規模事業所でも事業に参入しやすくなる「ワイン特区」に綾町が認定され、香月さんのワイナリーも同年、町内に完成した。
ワイナリーのスタッフは、香月さんを入れて3人。8月から9月にかけて行う収穫は50~60人のボランティアが手伝う。その多くがソムリエやシェフで、香月さんへの共感と、生産現場への興味に引き寄せられてやってくる。香月さんは彼らと夜中にブドウを収穫・仕分けし、作業を終えてバーベキューを囲む。
作りたいのは「自然と共生する」ワイン
フランスに送り出すワインは、QRコードを通じて生産過程を知ることができる。
2018年2月にできたワインは、わずか1000本だった。「借金だらけのワイナリーを、もう1年続けるため」1万円で売らざるを得なかったが、香月さんは「自分が作りたいのは、自然からもらった恵みで生かされていると実感できるような、かつ、大量生産や高級ブランドなど資本主義とは一線を画したワインです。だけど現実には、ヨーロッパの高級ワインよりも高い価格になってしまい、悔しかった」と振り返る。
だが2018年は栽培効率が上がり、ファーストワインの倍以上の2400本を製造するだけのブドウが収穫できた。赤ワイン、白ワインだけでなく、伝統的な製法で作り古代ワインと呼ばれるオレンジワインもラインナップに加えた。オレンジワインの価格は昨年と同じ1万円だが、赤ワインと白ワインは7000円に下げた。
「畑を広げて生産を増やし、栽培の効率を上げて、1本5000円までは価格を下げたいです。でも、非常に手間がかかるのでそれ以上は難しい」
買い手を探すフランスへの"旅"
ブロックチェーンに記録されたブドウの生産履歴。
2月12日、発酵室、瓶詰め室、貯蔵室だけのシンプルなワイナリーで、オレンジワイン260本分の瓶詰め作業が行われた。
香月さんはブドウを発酵する酵母も、多種多様な酵母が混在する自然(野生)酵母を使っている。どの酵母が強く作用するのか、そしていつ発酵するかも読みづらい。
「量販店の棚に並んだら、勝負にならないのは分かっています」
香月さんの思いを受け止めてくれる市場を探すため、今回生産されたワインの一部はフランスに届けられる。
生産・加工履歴を記録でき、改ざん不能なブロックチェーン技術を用い、ワインの生産過程を記録。ボトルに貼られたQRコードを読み取ると、スマホの画面に表示される仕組みを作り、香月さんの取り組みをフランスの消費者にも知ってもらえるようにした。
香月さんにブロックチェーンの活用とフランスへの輸出を提案した鈴木さんは、「ワインに込められたストーリーを届けたい」と話す。
綾町や電通国際情報サービスのオープンイノベーション組織「イノラボ」などが2018年から続ける実証実験の一環で、イノラボの鈴木淳一さんは、「地球環境に配慮し、モノづくりの哲学が凝縮された香月さんのワインを、ワインだけでなくエシカル(倫理的)消費の概念が成熟しているフランスの消費者に評価してほしい」と狙いを語る。
現在、香月さんの“哲学”を共有できるレストランを選定中で、4月ごろには複数のレストランのメニューに並ぶ予定という。
香月さんは、「自分はITやコンピューターは苦手だし、できるなら販売のことは考えずワイン作りに没頭したい。だけど、自分だけで戦う限界も感じているし、生産者の思いや生産過程が伝わらないと、『何でこんなに高いの』という話になる」と苦笑いする。
クリスマスケーキや恵方巻の大量廃棄がクローズアップされるなど、日本でも大量消費社会への疑問は少しずつ顕在化している。
「作り手のこだわりと経済性の両立は本当に難しいけど、自分たちのやり方に価値を感じてくれる買い手を見つけていきたいです」
(文・写真、浦上早苗)