TBSラジオのドキュメンタリー番組「SCRATCH 差別と平成」を聞いた。
tbsradio.jpより
4月末で平成が終わるにあたり、平成とはどんな時代だったかという議論がよくされている。
その答えをひとりの記者が探していた。コツコツと歩きながら考えていた。テレビのドキュメンタリー番組のような大きな構えでなく、小さく、丁寧に。そのような方針が借り物でない言葉で時代を切り取っていた。評論家のように語るのでなく、同時代を生きるつらさ、苦しさを聞く側と共有しようとしていた。
なんて生きづらい時代なのだと思わされる一方で、終わってみれば心に小さな灯がともっていた。鋭く、温かい、良い番組だった。だから、このサイトを読むミレニアル世代のみなさんにぜひ聞いていただきたい。そんな気持ちで、縷々(るる)書いていく。
弱きものへの冷たさの正体
相模原市の津久井やまゆり園での凄惨な事件。入所者計26人が刃物で斬りつけられ、19人が犠牲となった。
REUTERS/Issei Kato
番組の中心にあるのは、2016年7月に起きた相模原市の津久井やまゆり園での無差別殺傷事件だ。19人もの人が犠牲になったこの事件で逮捕、起訴された元職員の植松聖被告と拘置所で向き合うのが、福岡のTBS系列局・RKB毎日放送の神戸金史記者だ。
神戸記者の長男は自閉症という障がいがあり、知的障がいがある。ゆっくりと成長し、今欲しいのは最新のiPhone。そんな紹介が、彼と神戸記者の会話をはさんでされていく。長男の言葉は短く、聞き取りにくい。だがスマホで文字を入力し、それを見せることで会話が成立しているという。
事件発生時、神戸記者は東京に単身赴任中だった。福岡にいる長男、次男、妻を思い、Facebookに文章を書いた。
「私は、思うのです。長男がもし障害を持っていなければ。」
で始まる1000字余りの文章だった。
事件のことには一切触れなかったが「ニュース23」(TBS系)で全文が読まれたことがきっかけとなって、この文章はネット上で拡散していった。すると、RKBに1枚のハガキが届く。
「障害者は社会のお荷物であることを自覚してください」と書かれていた。
「不思議と怒りは感じませんでした」
そう神戸記者の声が入った。
「立場の弱い者へのこの冷たさは、自分と相手の間に一線を引くことから始まるのではないだろうか。長男が大きくなるにつれて、私は次第にそう思うようになっていました」
自分と相手の間の線。それがキーワードとなって、番組は進んでいく。
「いつまで生かしておくつもりでしょうか」
事件から1年後、「報道特集」(TBS系)が植松被告と5回にわたり面会した。その中で植松被告は「心失者」という言葉を使い、
「意思疎通の取れない人間は安楽死すべき、(心を失った)『心失者』は人の幸せを奪い、不幸をばらまく存在だから」
と勝手な論理を語っていた。
それを見た神戸記者は、彼に手紙を書いた。自分が重い障がいを持つ子の親だと明かし、「家族である私になぜ事件を起こしたか、話したくないですか」と。返事が来た。
「自分の子が可愛いのは当然かもしれませんが、いつまで生かしておくつもりでしょうか?」
「私は気づいたから、やったんです」
神戸記者は2017年の2月以降、植松被告と計6回面会してきた(写真はイメージです)。
Rico Rodriguez/ Getty Images
2017年12月、初めて植松被告と面会。以来、2019年2月まで6回会う。
最初に尋ねたのは「心失者」とはどういう人を指すか、だった。
「名前、年齢、住所を言えない人です」
植松被告の声は、同席したプロデューサーの声で再現される。事件当日は一人ひとりを起こし、
「おはようと答えられた人は刺してない」
と被告。「あなたは神でもないのに一線を引いたのか」という問いかけには、
「私は気づいたからやったんです。落し物を拾ったから届ける。それと同じです」。
面会を終えた直後の神戸記者の言葉が入る。
「普通の青年でした。かなり浅はか。薄っぺらい知識で重大な判断をしてしまっている。かなり驚きました」
渦巻く「生産性の圧力」
その日のうちに神戸記者は、北九州市にある東八幡キリスト教会の奥田知志牧師を訪ねる。30年以上ホームレスの支援活動をし、3000人以上を自立させた人だ。ちなみに「SEALDs」創設メンバーの奥田愛基さんの父でもある。「ひ弱な、気弱なごく普通の青年」と植松被告の印象を語る神戸記者に奥田牧師が語ったのは、こんなことだ。
26歳(犯行当時の被告の年齢)の若者が仕事をしない存在で居続けるのは、かなりのプレッシャーだ。だから事件に自分の存在証明を組み込んでしまった。自分は役立つ存在だ、日本と世界の経済を救うのだ、と。「生産性の圧力」が加害と被害、両者を巻き込む形で渦巻いている。彼は加害者だが、時代の子。私も時代の子である。そこに踏み込まないと、この事件は自分に関係ないものとスルーされてしまう。
私たちはみな時代の子だとすれば、平成はどんな時代だったのか。そう神戸記者が語る。
次に彼がしたのは、ヘイトスピーチの現場を訪ねること。そしてシリア難民を揶揄するイラストをFacebookに投稿したイラストレーターを紹介し、「LGBTは生産性がない」とした杉田水脈議員の論文を紹介する。
共通するのは、マイノリティーにみんなの税金を使うなという考え方だ、とまとめる。
自分と他者の間に引く線
Facebookにはシリア難民を揶揄するイラストが掲載された。神戸記者は、「LGBTは生産性がない」とした記事と並列にする。共通するのは「線の向こうの人の尊厳や存在を認めない」という(写真はイメージです)。
Alexander Koerner/Getty Images
この番組の良いところは、まとめにとどまらないところだ。そんな時代ですね、困りましたねではなく、そこからまた歩いて論を進める。
植松被告との3回目の面会で、神戸記者は被告から、
「自分は価値のない人間と思っていたが、(事件を起こし)少しは役に立つ人間になったと思います」
という言葉を引き出す。続いて「認知症のお年寄りも心失者か」と問いかけ、「そうです」という答えを得る。
彼の理論によれば、私たちは誰もが抹殺の対象になりうる。神戸記者のそのような認識が語られるが、それを被告への非難で終わらせない。
病気で8年以上寝たきりの、会社の先輩を訪ねる。妻は医師。ヘルパーを頼み、自宅で診ている。「生きてくれていてよかった」と妻が語り、「長生きしないと」と神戸記者が先輩に語りかける。「そうですよ」と妻の笑う声が聞こえてくる。
被告との最後の面会は、2月20日。彼は苛立っているようで、
「神戸さんの息子さんが2歳の頃、意思疎通ができず、奥さんが大変だったんですよね」
と話を振り、その時点で安楽死させるべきだったと語る。今長男は字が書けるようになったという神戸記者の言葉を、「苦労と釣り合ってないんです」と強く遮った。
一方的に突きつけられる敵意——。
この日の面会のあとに、神戸記者から出た言葉だ。被告の敵意で、初めて「スクラッチ行為の標的にされた人の気持ちがわかった気がした」と。
線の向こうの人の存在を認めない
「SCRATCH」は番組のタイトルにもなっている。「自分と他者の間に線を引き、線の向こうの人の尊厳や存在を認めない行動」だという。その対象とされた人が「なぜ?」と戸惑っているうちに、一見もっともらしい論理を後付けされた敵意がネット上で広がる。そのうねりの先に、線の向こうの人の生存さえ認めない植松被告による事件があった、と。
だが、ネットは負の感情だけを伝えるものではない。Facebookに書いた1000文字余りの文章がネットで広がり、神戸記者はさまざまな人と出会った。文章に曲をつけてくれた歌手のパギやんとの出会いが紹介され、8分に及ぶ長い歌がかかった。
きれいなその歌のあとに、神戸記者の長男の20歳の誕生日が紹介された。彼は福祉事業所で働いたお金を貯め、iPhoneを買う。12万1698円。
そこで小さな奇跡が起きる。神戸記者、彼の妻、そして店の人。みんなが感心する。
「すごいねー、こんなことできるんだねー」
神戸記者の声だ。
これ以上、書かない。幸い、今はradikoがある。放送後でもパソコン、スマホで番組が聞ける。TBSでの放送の翌日、3月5日の20時15分からRKBラジオで番組が放送された。放送終了から1週間は聴取可能だ。長男が起こした「小さな奇跡」を聞いていただきたい。
(文・矢部万紀子)