MWC2019の基調講演に登壇した楽天の三木谷浩史社長。第4のキャリア楽天の開始は2019年10月予定。その表情は自信満々だ。
「我々は携帯電話業界のアポロ計画だ」
2月下旬にスペイン・バルセロナで開催された世界最大級の通信関連展示会「MWC19バルセロナ」。2年連続で基調講演に登壇した楽天の三木谷浩史社長は、10月から日本でサービスを開始する携帯電話事業をこうなぞらえた。
今年、MWCは世界各国で始まる5G一色の会場であったが、なかでも注目を浴びていたのが日本発のグローバルカンパニー、楽天だった。楽天は、仮想化技術だけでMNOネットワーク(いわゆる通信キャリアネットワーク)を構築する世界初の事業者になるというのが、世界の業界内で話題だったというわけだ。
三木谷社長は「世界の携帯電話事業から、我々の技術が国際的に使えるかという問い合わせを多く頂いた。勉強させて欲しい、一緒にやりたいという声がとても多かった」と胸を張った。
シスコの基調講演にゲストとして登壇した三木谷社長。MWCで2年連続、基調講演に登壇する人物は過去にほとんど例が無い。
そもそも既存の携帯電話会社は、エリクソン(スウェーデン)や、ノキア(フィンランド)、ファーウェイ(中国)などから、携帯電話のネットワークを構築するための機材を調達する。これらは携帯電話会社のネットワーク向けに開発された専用機器だ。販売先がかなり限定されるため、当然のことながら機器のコストはかなり高額になる。
しかし、ここ数年、こうした携帯電話会社のネットワークに関しても仮想化技術が進んでいる。
仮想化とは、「ネットワーク管理に必要な機能をソフトウェア化してしまい、汎用のサーバーで運用できるようなる」というものだ。専用機器を必要とせず、シスコやデル、HPといった汎用サーバーで運用できるため、設備投資を圧倒的に圧縮できるメリットがある。
楽天モバイルネットワークのCTOであるタレック・アミン氏は、導入設備を選定する際、基地局ベンダーに対して、それぞれ「インターフェイスをオープンにできないか」という一つの質問を投げかけたという。それに応じ、オープン化に対応すると約束した唯一のベンダーがノキアだった。
楽天の携帯電話事業は、汎用サーバーで運用するため、楽天がすでにECサイトを手がけているデータセンターと同じ場所に設置していく。こうした取り組みも、設備投資が安価になる理由なのだという。
楽天の試験施設「楽天クラウドイノベーションラボ」とは
三木谷社長の右隣が楽天モバイルネットワークCTOのタレック・アミン氏。「楽天クラウドイノベーションラボ」披露会見にて撮影。
MWCの直前、2月20日。楽天は都内某所にネットワーク試験施設「楽天クラウドイノベーションラボ」を開設した。ここには基地局や電波暗室、サーバーやオペレーションルームなどがそろっており、ここで今後、ネットワークに導入したい新技術を試せるようになっている。
スタッフの多くが外国人であり、特にインド系の技術者が目立っていた。
彼らに話を聞くと、元々はインドの通信会社で働いていたという。タレック・アミンCTOは、インドの新規参入の通信事業者である「JIO」で成功を収めた経験を持つ。2018年、三木谷社長に出会い、引き抜かれ、さらにタレック・アミンCTOとともに、インドから大量の技術者が楽天にやってきたとのことだ。
楽天では社内公用語が英語となっているが、「ようやく英語を勉強してきた甲斐が出てきた」と語る日本人スタッフもいた。
ラボ内にはテスト用の基地局設備もあり、すぐにネットワーク試験が行えるようになっている。
ラボ内には無線暗室と呼ばれる部屋もある。外部に無線が飛ぶことがないため、国内未導入のスマホなどの端末を試験することができる。
楽天
ラボには汎用サーバーが並ぶ。既存キャリアが導入している専用機ではないため、低コストでネットワーク構築が可能だ。
楽天クラウドイノベーションラボでは、同社が構築する完全仮想化クラウドネットワークの環境が再現されている。ネットワークの試験は、ブラウザー上に表示されたダッシュボードで、メーカー名やソフトウェアを選択し、クリック一つで簡単に行える。実際はクラウドベースのシステムなので、このラボにいる必要も無い。
「海外にあるメーカーが新しい技術を開発したら、海外からダッシュボードにアクセスし、ソフトウェアをインストールすればいい。そうすれば、このラボで試験が自動的に始まる」(楽天技術者)。
試験は24時間体制で自動的に行え、試験期間の短縮やコストの低減も期待できるという。
三木谷社長は「楽天が作る新しいネットワークは今までの概念を根底から覆す。これまでは専用のハードウェアを用いていたが、楽天は汎用機で、最初から5Gに対応したネットワークを作り、その上に4Gを載せていく」と、5G時代を見据えたネットワークだと自信満々にアピールした。
楽天の「仮想化アプローチ」の技術的疑問
ここでひとつ、疑問がわく。
仮想化技術を用いたネットワークが低コストで、5Gにも対応しているならば、もっと既存の携帯電話会社が導入していてもいいのではないかと。
実はすでに携帯電話ネットワークのクラウド化は様々なところで進んでいる。
KDDI総合研究所の中村元研究開発企画部門長。
KDDIでも導入を検討しているというが、KDDI総合研究所の中村元 研究開発企画部門長は、
「汎用ハードウェアで、ソフトウェアで機能実装するのは商用に近いレベルにきている。しかし、冗長性、信頼性がどのレベルにまで達しているか見極める必要がある。キャリアが日々、安定したサービスを提供できる品質を確保し、商用レベルになるには、まだハードルは高いのではないか」(中村氏)
と本格導入には慎重な構えだ。
一方ソフトバンクはこう言う。
「コアネットワークに関して、どこの会社も仮想化は終わっている。無線機に関しては一般サーバーで運用できるか、当社としても2年前から試験している。自分たちの使っているハードウェアが良いか悪いかまだよく分からないが、サーバーはマルチタスクで色々な処理をするのに対して、無線機というのはシンプルな信号のやり取りが多いので、今のまま専用ハードの方が良いと判断している」(宮川潤一CTO)
として、すべてをクラウド化することなく、一部分は既存の設備のほうがよいという結論に至ったようだ。
既存のキャリアは、何千万というユーザーを抱えていることもあり、仮想化技術は品質面において、まだ検証が必要と判断しているようだ。その点、楽天は、10月のサービス開始時、ユーザー数はゼロからのスタートになる。まさにゼロスタートから始めるにはクラウドとの相性がいい、ということだろう。
ただ、携帯電話ネットワークのクラウド化は通信業界ではトレンドになっており、標準化も進んでいる。KDDIの技術統括本部技術企画本部、古賀正章・標準化推進室長は、
「(通信関連の標準化を決める団体である)3GPPで、コアネットワークを仮想化しやすい決まりを作ったところだ。いまのところ、すでに仮想化にはいろいろな手法があるが、どの仮想化が“勝ち馬”になるかわからない。標準化の動きは始まったばかりで、ようやく本格的に動き出した。将来的にこれから完成度を上げていく段階」(古賀氏)
と語る。
つまり通信業界全体でみれば、標準化が始まったばかりの仮想化ネットワークはこれからの話であり、逆に楽天は業界全体の動きから先駆けて仮想化に着手したことになる。
安定通信の要は変わらず「いかに人間のミスを減らせるか」
東京・世田谷区にある楽天本社「クリムゾンハウス」。
撮影:伊藤有
三木谷社長は、仮想化技術のもう一つのメリットとして「ネットワークの安定性」を掲げる。
「昨年、ある携帯電話会社(筆者注、ソフトバンク)で大規模なネットワーク障害が起きた。楽天では基本的にはあり得ない」(三木谷社長)
低コストで将来性もあり、さらに安定性もあるという、まさに夢のようなネットワークの仮想化技術。本当に「弱点」は存在しないのだろうか。
三木谷社長の「大規模障害は基本的にはあり得ない」という発言に対して、楽天の現場で働く技術者は「あの言葉はかなりのプレッシャーです」と顔をしかめた。
「仮想化技術といっても、基本は人間が書くプログラムです。人間のやることなので、必ずバグが出てきます。バグをいかになくしていくかが、これからの戦いになります」(楽天技術者)
どんなに業界で最先端の仮想化技術を用いても、「人間のミス」をなくすことは求められる。この構図はいつの時代も変わることがない。
(文、写真・石川温)
石川温:スマホジャーナリスト。携帯電話を中心に国内外のモバイル業界を取材し、一般誌や専門誌、女性誌などで幅広く執筆。ラジオNIKKEIで毎週木曜22時からの番組「スマホNo.1メディア」に出演。