ネオキャリア代表取締役の西澤亮一氏。
これまで日本の人事担当者は、採用、勤怠、労務、給与計算など多岐にわたる業務を担当し、日々膨大なオペレーション業務に忙殺されてきた。この分野にテクノロジー(HRテック)を活用することで、業務効率化を図り、戦略人事を実現することが、労働力不足に悩む企業の解決策の一つと言われている。「HRテックは人事だけのものではない」と話すネオキャリア代表取締役の西澤亮一氏に、個人や企業に対してHRテックはどんなメリットをもたらすのかを聞いた。
日本でHRテックが浸透しない本当の理由
2019年2月20日、ICC福岡でのセッション「HR×TECH最前線 業界の筆頭プレーヤーが語る2020年戦略」にて。左からリンクアンドモチベーションの麻野耕司氏、Slack Japanの佐々木聖治氏、Indeed Japanの高橋信太郎氏、西澤氏、モデレーターの高宮慎一氏。
200名以上の経営者・経営幹部が登壇し、800名以上が参加するビジネスカンファレンス「Industry Co-Creation™ (ICC)サミット福岡」に西澤氏は登壇。
「HR x TECH最前線 業界の筆頭プレーヤーが語る2020年戦略」と題したセッションにおいて、Indeed Japan代表取締役 高橋信太郎氏、リンクアンドモチベーション取締役 麻野耕司氏、Slack Japanカントリーマネージャー佐々木聖治氏と、HRテックの現状や未来について議論を交わした。
HRテック分野のキープレイヤーたちとともに登壇した西澤氏。
セッションの中でIndeed Japanの高橋氏は、日本にHRテックが浸透しない理由の1つとしてジョブディスクリプション(職務記述書)の位置付けの違いを挙げる。
「中途採用ではジョブディスクリプションが必要ですが、新卒は総合職採用がほとんどなので必要がなかった。日本では仮にあったとしても、細かさでは海外と比較になりません。だから人事担当者は、採用業務を給与計算などと兼務されてきた」(高橋氏)
これまで日本は、「終身雇用」「年功序列」「新卒一括採用」という”三種の神器”によって、経済成長を遂げてきた。これらはオペレーション的な要素が強いため、人事に求められるのは「オペレーションをきちんと回すこと」だった。
一方、海外では「Talent Acquisition」と呼ばれる採用のスペシャリストを置き、ダイレクトリクルーティングやソーシャルリクルーティングに注力する企業も多い。その流れは日本でも起きつつあり、オペレーション主体だったこれまでと比較し、「人事業務をより戦略的に考えなければならないフェーズになってきた」と西澤氏は語る。
組織も個人もデータが可視化する時代
勘や経験で進められていた組織を定量化、可視化することが始まっている。
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「戦略人事」は、1997年『MBAの人事戦略』でデイビッド・ウルリッチ氏が提唱し、2000年台以降に注目され始めた概念だ。従来の人事業務の大部分を占めていたオペレーションをHRテックによって自動化することで、人事は戦略人事に時間が使えるようになる。それにより、これまで勘や経験で進めていた業務に、定量指標が得られるのも大きなメリットの1つだ。
「業績に関しては、全ての会社がPLを出してPDCAを回している。一方、組織については勘や経験で進めている企業が多い。そこに『組織のものさし』を入れるのが、モチベーションクラウド(組織の状態を定量化、可視化するツール)を入れるメリットの1つです」(リンクアンドモチベーションの麻野氏)。
例えば、「時間を多くかければ成果が上がる」は事実ではないと感じている人は多い。朝早くに出社し、残業をほとんどせず帰る人と、始業ギリギリに出社し、毎日1〜2時間残業する人がいるとする。労働時間は後者のほうが長いが、実際は前者のほうが生産性が高い。HRテックを取り入れることで、それを感覚値ではなくデータとして裏付けできるようになる。
データをもとにすれば、生産性についても業界比較ができるように。
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「人生100年時代において、企業規模や業界別に高い成果を上げる人材になるために、どのようなキャリアステップを踏めばいいのか。さまざまな企業のデータを貯めることで統計も出せるはずです」(西澤氏)
アメリカでクラウド型の財務・人事管理ソリューションを提供するWorkdayでは、同業他社の離職率や昇給率、組織図などを比較できる。ネオキャリアが提供する人事向けSaaS型プラットフォーム「jinjer(ジンジャー)」も、今後は他社比較できるようにするつもりだと西澤氏は話す。
HRテック導入の「あるべき3ステップ」
人事データはまだまだアナログで管理されている企業が多いという。
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HRテックは一般的に、「採用」「エンゲージメント」「オペレーション」の3つの領域に分けられる。3つの中で、採用に関する市場は約9兆円と最も大きいが、ネオキャリアはオペレーション領域から着手している。理由は、HRテックを導入する上での「あるべき3ステップ」が重要だと考えるからだ。
「1つ目のステップはオペレーションの統一。しっかりデータが貯まったタイミングで、2つ目のステップであるタレントマネジメントにつなぎ、最後に組織をどうやってエンゲージメントしていくかというエンプロイーエクスペリエンスに取り組む。この3段階をきちんと踏んでいくことが大切です」(西澤氏)
ここで重要になるのが、データをいかにきれいな状態に整備するかだ。労務、給与計算、人事などさまざまなデータが存在するが、「勤怠データが中長期的に宝の山になる」と西澤氏は言う。人事データに関して、日本では未だに3割の法人が紙やエクセルで管理している。
実際「jinjer」の導入企業のうち、3社に1社がアナログ管理からの切り替えだと言い、 「アナログ管理の企業が多いのは、逆にチャンスなんです」(西澤氏)
多くの企業では、タレントマネジメントやエンゲージメントへのてこ入れをしたいがために、性急にシステムの導入を進めることがある。このような状態ではオペレーションが改善されていないために正しいデータが貯まらず、その結果望む結果が得られず、挫折してしまうことが多いという。
HRテックへの過剰な期待は禁物で、本質的な改善に向けてまずは「データを貯める」という地味であるが欠かせないポイントを押さえるべき、というネオキャリアの考え方には納得感がある。
一つのプラットフォームに人事業務の全てを乗せる理由
「人事データを活用することで、企業側も個人側も便利になる」と西澤氏は話す。
人事業務でオペレーションに負荷がかかっている理由の一つに、管理マスタがバラバラなことが挙げられる。労務はA社、勤怠はB社、給与計算はC社……という企業も多く、さらにデータもきれいな形で蓄積されていないことも多い。
「jinjerは『1マスタ1DB』の思想がベースにあります。複数のサービスをAPIでつないでも、結局手間がかかります。1つのDBでつなぐほうがオペレーションは改善されるし、最終的に良いデータを吐き出せるはずです。『1マスタ1DB』の実装は大変ですが、ここは自分たちでやろうと決めました」(西澤氏)
jinjerのコンセプト。1マスタ1DBの思想で、一つのプラットフォームに人事業務の全てを集約し、複数のX(クロス)テックを実現している。
コアとなる人事データはネオキャリア自身が担い、そこから派生する領域は、今後他社と連携していく予定という。その一つがInsurテック(保険×テクノロジー)だ。東京海上日動火災保険がjinjerから保険設計に必要なデータの共有を受け、各従業員に最適な保険商品をレコメンドする。
従業員のライフイベントを考えると、保険以外にもFinテック(ファイナンス×テクノロジー)やHealthテック(ヘルスケア×テクノロジー)、Real Estateテック(不動産×テクノロジー)などさまざまなX(クロス)テックが考えられる。Jinjerをハブとしてこれらと連携することで、従業員のエンプロイーエクスペリエンスが高まると同時に、企業側のオペレーションも効率化できる。
従業員がHappyになることがHRテックの本懐
人事データを整備することで、経営戦略を考える上での定量的な指標が生まれる。
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企業にとって、オペレーションの効率化以外にも人事データを「1マスタ1DB」で管理するメリットは大きい。
「経営において、実は定量的な指標はほとんどないのです。3年後に目指す企業規模を考えたとき、どのような組織体制にすれば良いのか分からない。具体的な指標があれば、それを実現するためにどうするか? という議論ができます。自社がベンチマークする企業や、一回り上の規模の企業などの統計情報は、経営において有効なツールになるはず。むしろ私がすぐに使いたいくらいです(笑)」(西澤氏)
一人ひとりのキャリアにもHRテックは大きな役割を果たす。
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従業員にとっても、メリットがある。例えば、これまでなかなか知り得なかった離職率や昇給率などを定量的に把握できるようになれば就職や転職の際、正しい判断材料を得られる。さらに企業側がデータを活用して適材適所の人材配置をすることで、従業員一人ひとりが納得感を持って働きやすくなる。 従業員のライフイベントなどと正しく情報連携できるようになるなど、さまざまな可能性が生まれる。
「その世界を実現するためにも、より多くの従業員データを貯めていきたい。今はまだ高い山の入口に立っている状態」(西澤氏)
事実、2016年にローンチしたjinjerは、すでには約8000社に導入済み。多面的な従業員データは着実に積み上がり、次のステップであるタレントマネジメントに取り組む企業も増えてきたという。
企業にとってはオペレーションの効率化を超えて戦略人事を実現するために、そして働く個人にとってはエンゲージメントが高まり、自分らしいキャリアを積んでいくために。HRテックはすべてのビジネスパーソンにとっての必須のツールとなっていきそうだ。