「仕事は辛くて当たり前、給料はガマン料」という文化をどうみるか

満員電車

殺伐とした満員電車。いつもの朝、いつもの光景だ。

Shutterstock/Matej Kastelic

「大丈夫ですか」

この一言を、半年かかってやっと言えた。

私がまだOLとして2社目の会社で勤務していた頃だ。朝8時過ぎ、いつもの殺伐とした通勤電車に乗って、会社に向かっていた。

電車のドアが開くと、椅子取りゲームが始まる。あいにく座れなかった人は、わずかに確保できた自分のスペースで窮屈そうにスマホを見る。外の雲ひとつない天気とは対照的に、車内の空気は曇り空のようにどんよりし、独特の雰囲気に包まれていた。私はいつもの場所につかまり、電車に揺られていた。

電車が停車駅に着き、ドアが開いた。たくさんの人が出て、また、たくさんの人が入って来る。いつもの朝、いつもの光景。人の出入りが落ち着きドアの近くに寄りかかった。「はぁ……」と心の中でため息が出たその時、カバンをぎゅっと抱え、駅のベンチにうなだれるようにして座っている男性を発見した。30歳くらいのスーツ姿の男性だ。そしてまた、電車は動いた。

ホームのベンチで毎朝、うなだれている男性

駅のホーム

男性はベンチにうな垂れながら何を思っていたのだろうか......。

Shutterstock/JUN KAWAGUCHI

数日後、ふとホームのベンチに目をやると、またあの男性が座っていた。

いつしか、今日もあの男性はいるのだろうかと、意図的に探すようになった。朝、その人がいない時は、いい意味と悪い意味、両方を想像し、心配になった。そして、翌日にその人を見つけるとホッとした 。そんな毎日を、半年間も続けていた。いよいよ見て見ぬふりができなくなり、声をかけることに決めた。

当日の朝。通勤中にこんなに緊張したのは初めてだった。駅に着いた。私は、その人の隣に座り、喧騒が静まるのを待った。電車が走り去り、朝の駅に束の間の静寂な時が来た。「今しかない」と思い、声を掛けた。「大丈夫ですか」と。その人は、顔を少しこちら側に向け、小さな声で「大丈夫です」と答え、また顔を伏せようとした。最初から、会話してもらえないことは予想していた。

かつて私がうつだった時の気持ちで考えてみると、見知らぬ人とペラペラ喋りたくないよな、と思ったからだ。そこで、前日に書いておいた手紙を差し出した。すると、受け取ってもらえたので、私はその場を去った。

その後、その人はそこに来なくなった。単なる出張かもしれないが、私のせいで来づらくなってしまったのかもしれない、という申し訳なさがあった。しかし、数日後に姿を現した。が、この1回きりで、また姿を現さなくなった。やがて私の通勤経路が変わって確認することができなくなり、この件は終わった。

報酬は苦痛の対価という価値観

働く女性

報酬は苦痛の対価なのか。

Shutterstock/godshutter

その人はきっと、会社へ向かってなかなか動いてくれない足と、「行かなくては」と指示する頭との間で、葛藤していたのだと思う。

しかし、人がそこまでして働く理由はなんだろうか。私は入社1年目の時、あまり年齢の違わない先輩から、「お金をもらうのは、それだけ難しいってこと」と、営業車の中で教わった。

90歳近くになる祖母の家に行った時も、「お金を“いただく”わけだから、働くのはそれだけ大変で苦労すること」と聞いた。

この“報酬は苦痛の対価”という価値観に、世代はあまり関係ないのだろうか。兎にも角にも、私は入社1年目の時にそう教わり、この先何十年も、この辛い気持ちを背負って生きていくのかと、絶望したことを覚えている。

どんな会社員も、働く前に、数ある会社の中からそこを選んでいる。私もそうだ。就活生の時に行った説明会では、活躍している社員をよく紹介されたが、その社員から聞かれる言葉は「やりがい」とか「(仕事の)楽しさ」とか「面白さ」で、「私もあんな風に働きたい」と思ったし、実際、楽しく働けそうだと感じた会社を受けた。

しかし、社会人になると、耐える日々が当たり前だと思うようになった。社会人って、こういうものか、と。パワハラや違法な労働環境にも耐えることが、“ウチでは普通”と認識されている職場があるくらいだから、この勤労観は本当に怖い。

「耐えることが美徳」の社会が変わる時

就活

就活時と入社後のギャップが存在している。

撮影:今村拓馬

さらに怖いのは、耐えた暁(あかつき)に、自分を見失ってしまうことだ。体が拒否反応を示しているにも関わらず、無理に適応させようとするとどうなるか。

私も夜、自宅で野菜を切りながら、悔し涙でもない、よく分からない涙がツーっとこぼれたことがあった。あれは体が出したSOSだったと思う。結果的に、それを押し切って働き、うつになった。

一体、そこまでして働く意味がどこにあったのか。楽しく働いている今は、疑問に思う。あんな辛さの中で働くのが社会人というものであり、報酬を得ることだというのだろうか。

私は今、ITベンチャー企業で人事総務の仕事と、就活支援の会社でキャリアコンサルタント業と、その他にこうしたライターの仕事などをし、パラレルワークをしている。前職を辞めたキッカケは、副業が許されない職場に閉塞感を抱いていたところに、現在勤務するIT企業の創業者から、Twitterを通して連絡が来たことだった。

そこでは副業が推進されており、会社によってこんなにも価値観が違うのだと驚いた。社内外問わず、やってみたいと思ったことに挑戦できる環境がそこにはあり、その自由さ・寛容さに惹かれた。また、キャリアコンサルタントとして新しい働き方を実践していきたいという思いも重なって、今の働き方に変えた。

何かと耐えることが美徳として語られるこの社会で、それを当たり前と信じることの怖さよ。そして、私はうつを発症し壊れてしまった。

今も仕事上で辛い時はあるが、かつての「耐える」感覚とは無縁の生活を送っている。「社会とはこんなもの」と、諦めていたら、私は壊れたままだったかもしれない。だからこそ、毎日が憂鬱な多くの人に、この体験を伝えている。

楽しく働くことが当たり前の社会になったら、朝の光景はどんな風に変わるのだろうか。私はそれを見てみたい 。

(文・境野今日子)

編集部より:初出時、「私がまだOLとして1社目の会社で勤務していた頃だ」としておりましたが、正しくは「私がまだOLとして2社目の会社で勤務していた頃だ」でした。 2019年3月18日 09:35


境野今日子:1992年生まれ。株式会社bitgrit人事部長、株式会社地方のミカタのキャリアコンサルタントなどの職場で働くパラレルワーカー。新卒でNTT東日本に入社、その後、帝人を経て現職。就活や日系大企業での経験を通じて抱いた違和感をTwitterで発信し、共感を呼ぶ。

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