左から、田中道昭教授、Nurit Tinari(ヌリット・ティナリ)公使、Irit Savion Waidergorn(イリット・サヴィオン・ヴァイダーゴルン)公使、Noa Asher(ノア・アシェール)公使。
日本とイスラエルの関係が急速に深まっている。「イノベーションが核となっている」(外務省)と言われ、閣僚級の政策対話や民間企業による投資が相次ぎ、2019年9月には両国間の直行チャーター便が就航する。
文化も歴史もほとんど重なり合うことのないように見える日本とイスラエルの関係は、これからどのように変わっていくのか。2017年春に日本の若手経営者たちとともにイスラエルを訪ねた立教大学ビジネススクールの田中道昭教授が、現役のイスラエル外交官3人に聞いた。
Nurit Tinari(ヌリット・ティナリ)
[イスラエル外務省アジア・太平洋担当公使参事官]
テレビ局に7年勤務、世界のイスラエルに対するイメージ(特にメディアによる紋切り型)を変えたいと考え、1992年にイスラエル外務省に転じ、アイルランド公使などを経て26年目。Noa Asher(ノア・アシェール)
[駐日イスラエル大使館経済公使]
テルアビブ大学でMBA取得後、2002年にイスラエル経済省入省。海外貿易局アジア太平洋部門専門官、アメリカ中西部地区イスラエル経済領事、国際金融支援課長を歴任。2014年から駐日イスラエル大使館経済公使。父親は新聞記者。Irit Savion Waidergorn(イリット・サヴィオン・ヴァイダーゴルン)
[駐日イスラエル大使館次席公使]
テルアビブ大学で修士号(現代中東史)を取得後、イスラエル外務省入省。駐ポルトガル大使補佐、駐アンゴラ大使などを経て、現職。
2015年1月、イスラエルを訪問した安倍晋三首相(右隣に昭恵夫人)。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と会談し、両国の協力促進に合意した。
REUTERS/Ammar Awad
田中:2017年3月に、「ヤング・リーダーシップ・プログラム(YLP)」の団長としてイスラエルを訪問しました。多くの政治家・官僚・研究者・起業家と話し合う機会が個別に設けられ、イスラエルの政治・経済・社会・文化などを知るのにとても素晴らしい取り組みだと思いました。
YLP……主要国で活躍する中堅・若手の人材を無償でイスラエルに招聘する、同国外務省管轄のプログラム。日本からは2016年からの3年間で400名の若手リーダーが参加し、イスラエルの経済・文化への理解を深めた。ビジネスパーソンだけでなく、政治家、官僚、ジャーナリスト、学生まで多様な分野の人材が招聘された。
ヌリット:2015年1月に日本の安倍晋三首相とイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が両国の協力促進に合意したことを受けて始まった取り組みです。個人的にも非常に重要なプロジェクトだと感じています。と言うのも、イスラエルは精神的にも文化的にもヨーロッパを向きがちだからです。
実際、アインシュタイン、フロイト、マルクス……著名なユダヤ人たちの多くはヨーロッパで人生を送っている。私自身も英語、スペイン語、フランス語などを話しますが、アラビア語を勉強しようと思ったことはありません。でも、もっとアジアに目を向けないと世界は理解できないのです。その意味で、日本とこうしたプログラムを実現できているのは素晴らしいことだと思います。
日本の「完璧主義」の功罪
駐日イスラエル大使館経済部のNoa Asher(ノア・アシェール)公使。日本の多様性獲得には女性の活躍、自由と平等が必須、と強く訴えた。
田中:日本を初めて訪れた印象はどうでしたか。またその後、何か変化はありましたか。
ノア:日本に来て2019年で5年になりますが、イスラエルとまったく違うと感じるのは、何より仕事のやり方ですね。この違いを受け入れるのに、かなり時間がかかりました。
一番印象的だったのは、2017年11月に行われた第1回「日・イスラエル経済イノベーション政策対話」。日本の世耕弘成・経済産業大臣とイスラエルのエリー・コーヘン経済産業大臣はじめ両国の官僚たちが参加した会議に、私も出席しました。
テーブルにこんなに(数十センチの書類の山を手で示して見せる)分厚いファイルを積み上げて、こちらが何か質問するたびに、後ろに控える官僚たちがこと細かに大臣への助言を行うのです。日本のモノづくりにも通ずる「100%完璧主義」を目の当たりにして驚かされました。イスラエルでは何ごとも80%くらいで見切り発車するのが通例だから。
ヌリット:確かにイスラエルには「Yalla(ヤッラ)」、英語で言うところの「Let's do it」の文化がある。まずはやってみよう、考えるのは後からでも遅くないというわけです。
日本の完璧主義は、トヨタやソニー、パナソニックなど世界に広く知られる高品質の源なのだと思います。イスラエルでは、「日本製」には信頼のおけるブランドのイメージがあります。しかし、ちょっと厳しい言い方になってしまいますが、これほど急激にテクノロジーが発展を遂げる時代の中では積極的に挑戦する姿勢がどうしても必要です。(失敗を恐れる)完璧主義からはイノベーションが生まれにくい面もある。日本に限らず、どこかにバグがあっても後でフィックスしていく発想が大事ではないでしょうか。
田中:なるほど。新しく独自性のあるものを生み出すためには、リーン・スタートアップ(迅速かつ効率的な事業立ち上げ)して高速でPDCAを回していくことが不可欠。計画をガチガチに固めてから始めるやり方ではうまくいきません。最初から完璧性を求めようとする日本の大企業は持続的イノベーションには優れているものの、グローバルな影響を与えるような破壊的イノベーションは近年生まれていません。
イノベーションを生んだ過酷な歴史と現実
イスラエル外務省アジア・太平洋部のヌリット・ティナリ公使。イスラエルは「もっとアジアに目を向けないと世界を理解できない」と持論を語った。
ヌリット:完璧性、きっちりしているという意味では、時間に対する感覚も日本とイスラエルではだいぶ違います。日本のビジネスパーソンはしっかり規定の出社時間に出てくる人が多いのですが、イスラエルでは出社にせよ待ち合わせにせよ、遅れて来るのは日常茶飯事。
イスラエルでは、戦争やテロなど思いもしないようなことが毎日、時には15分ごとに起きた歴史があるせいか、あらゆるものごとは計画通りに進まないという共通認識があります。誇張ではなく、毎日をサバイブする(生き延びる)感覚が身に染みついているので、誰もが「即興(improvisation)」を大事にするのです。
田中:イスラエルでは「今日が人生の最期の1日」と思って1日を精一杯生きると、現地で聞きました。イェルサレムのホロコースト博物館(ヤド・バシェム)では、存亡の危機に瀕したユダヤ民族の歴史に私も大きなショックを受けましたが、離散と迫害の長い歴史のなかで多くの仲間を失い、いまもなお政治や宗教、信条などが異なる国々に囲まれ、いつも危機感と緊張感がある。そうした歴史と現実生活に裏づけられた人生観が共有されているわけですね。
ノア:同じ文脈で、私たちには「We have no alternation.(もう一度の人生はない)」「We never lose.(もう何も失うつもりはない)」という強い思いがある。大きな喪失はもう嫌なのです。「失敗は発明の母」と言うけれど、多くのものを失い、敗れてきたからこそ、いまさまざまな分野で私たちはイノベーションを生み出すことができているのだと思っています。
立教大学ビジネススクールの田中道昭教授。自身も2017年春に日本の若手経営者たちとイスラエルを訪ねた経験をもつ。
田中:イスラエルでは「0から1を」という表現がよく使われますよね。一方の日本は「1から100を」、すでにあるものを大きくすることが得意だと言われます。「人は誰でも何かを生み出すために生まれてきた」という表現もイスラエル滞在中によく耳にしました。0から1を生み出す創造力が重視される背景には、いつ何が起きるかわからないという危機感の中で、常に何かを生み出すことに従事していたいという強烈な欲求があるのですね。
ヌリット:イスラエル発の世界的によく知られるスタートアップに、ウォータージェン(WaterGen)があります。空気中に含まれる水分から飲料水を生み出す技術をコアにした会社です。
イスラエルは砂漠の国ゆえ、生きるために水をつくり出す必要があった。ウォータージェンの技術はつまり生活の必要が生んだ技術なのです。ノアが言うように失敗は発明の母であり、また必要も発明の母。やらねばならない、つくらねばならない、イスラエル発のイノベーションの多くはそこから生まれています。その意味で、イスラエルは「結果志向(result-oriented)」の考え方をする国だと言っていいかもしれません。
日本とイスラエルの共通点は「勤勉性」
2019年1月にテルアビブで開催された「サイバーテック・カンファレンス 2019」の模様。イスラエルのテクノロジー産業は活況を呈している。
REUTERS/Amir Cohen
田中:ここまで日本とイスラエルの異なる点をお話しいただきましたが、共通点についてはいかがですか。
ノア:それは間違いなく「勤勉性」でしょうね。近年の日本とイスラエルの経済交流の活発化を支えているのは、両国の企業に相通ずる、尽きることのない仕事への熱意と努力だと感じています。
距離的にこれほど離れているのに、ITやハイテク医療、製薬など日本からイスラエルへの投資額は年々拡大しています。2017年には、パーキンソン病治療薬の開発で知られるニューロダームを、田辺三菱製薬が11億ドルで買収したことが話題に。2018年も、SOMPOホールディングスがテルアビブにデジタルラボを開所したことが報じられました。
日本とイスラエルの経済関係……イスラエルとの貿易総額は約30億ドル。サウジアラビア、アラブ首長国連邦、イラン、トルコに続いて中東主要6カ国で第5位。トップ3は石油・天然ガス輸出国であり、イスラエルの人口規模を考えると相当の貿易額といえる。ちなみに、イスラエルの主要貿易相手国は、アメリカ(約250億ドル)、中国(約160億ドル)、イギリス(約95億ドル)の順。数字は日本およびイスラエルの通関統計(2017年)による。
経済交流の活発化に合わせて、両国間の行き来も年々増えています。イスラエルから日本を訪れる人の数は2018年(10月まで)に3万4000人超と、前年の実績を大幅に上回りました。日本に惹かれる人たちの多くは、先ほども話に出た「完璧主義」に魅了される。メイド・イン・ジャパンは、ペン1本に至るまでパーフェクト。その技術は深く、飽きさせることがないのです。
そして、その完璧な品質を支えるのが勤勉性。日本人もイスラエル人も本当によく働きます。ヨーロッパでは19時30分にはオフィスが空っぽになりますが、イスラエルも日本も品質向上を目指して何時まででも働く。最初に仕事のやり方が違うと言いましたが、その根底にある熱量が通じるからこそ、両国の関係はどんどん近づいているのだと思います。
多様性の国イスラエルから学べること
駐日イスラエル大使館のイリット・サヴィオン・ヴァイダーゴルン次席公使。「イスラエルの多様性は移民がもたらしたもの」といった、歴史的観点からの知見をいくつも披露してくれた。
田中:そうやって両国の関係が深まるなかで、日本がこれからイスラエルに学ぶべきこととして第一に挙げたいのが「多様性」を受け入れることです。
アメリカの調査機関ピュー・リサーチ・センターの2016年調査によると、イスラエル国民のうちユダヤ教を信仰しているのは81%。そのなかでも、Haredi(超正統派)は8%、Dati(宗教派)10%、Masorti(伝統派)23%、Hiloni(世俗派)40%に分かれる。戒律の厳しいユダヤ教の国のイメージがありますが、同じ宗教内でも多様性があり、とりわけ世俗派(近代的な生活様式を取り入れたリベラル宗派)が4割を占めることを知って驚きました。
イリット:イスラエルの多様性は移民がもたらしてくれたものです。まさに人種のるつぼで、食べ物、言語、精神性……さまざまな違いをもつ人たちが暮らしています。ユダヤ人だって、イラク系、エチオピア系、ロシア系……いろいろいるのです。
田中:アメリカの同盟国という視点から語られることの多いイスラエルですが、旧ソ連崩壊時にロシアから多くのユダヤ人科学者・技術者たちを受け入れた経緯もあって、ロシア系ユダヤ人は全国民の25%にもおよぶそうですね。価値観も多様化していると、私も現地で感じました。どうしたらお互いにそんなふうに多様性を受け入れることができるのでしょうか。日本のためにアドバイスをください。
ノア:日本で5年近く仕事をして強く感じたのは、女性の自由や平等を認めることこそが、何よりも多様性の端緒になるのでは、ということです。
日本の友人たちに聞くと、女性は日本企業では昇進できない、マネジメントのポジションは無理だとみんなが口を揃えます。その一方で、本当に管理職になることを望む女性も多くはないという見方もある。諦めている側面と重い責任をもちたくないという側面、両方あるのではないでしょうか。男性と女性、両者にそれぞれ打ち破るべき壁があるのではないかと感じます。
ヌリット:ノアの言うことはすごく分かる。でも、多様性を定着させるには「慎重さ(prudence)」も大事で、ある程度時間がかかるもの。だんだん変えていかないといけません。イスラエルも一朝一夕にそれを成し遂げたわけではないから。
すでに存在する男性優位社会のハードルの高さを承知した上で、私から何かアドバイスするとしたら、「境界を破る(break boundary)」ことでしょうか。女性側から思い切って、境界線を踏み越えて対話をしていかねばなりません。日本にそうした努力を続けてきた女性たちがいることはもちろん承知していますが。
イリット:男女間だけではなく、国内外の境界線を越えていくことも、多様性への理解を深めることになると思います。日本企業のウェブサイトはまだまだ日本語中心のものが多く、「保護的(protective)」に感じることが少なくありません。
先にノアが指摘したように、イスラエルから日本への渡航者はもうすぐ4万人を超えますが、その逆は増加傾向ながらまだ2万人弱。イスラエルという国のあり方をぜひもっと見に来てほしい。いずれにしても、いま日本には他の国からも外国人が殺到しているし、多様性を自然と受け入れていくチャンスだと私は見ています。
迫害と差別の歴史を繰り返さないための教育投資
イスラエルの商都テルアビブ。各国大使館やオフィスが集まる。近年はスタートアップの拠点にもなっている。
Chris McGrath/Getty Images
田中:イスラエルは国土が狭く(日本の四国程度)、中東の国家にもかかわらず天然資源に恵まれないこともあり、人材を非常に大事にしている印象があります。
全国民に対して小学校の段階からプログラミング教育を行い、兵役時には少数精鋭が「8200部隊」と呼ばれるチームに選抜され、最新テクノロジーを駆使したサイバーセキュリティなどの研究開発に従事すると聞いています。そして軍事技術の民間転用も促進されている。これは他国には容易に真似できない教育制度と言っていいのでは。
ヌリット:確かにイスラエルは教育分野に大きな投資をしています。ただ、何かそうした政策決定があったから重点投資しているわけではなく、イスラエル建国の時から教育は国家を維持するために不可分の要素として埋め込まれているのです。
ローマはイェルサレムを破壊し、ユダヤ人をディアスポラ(離散)に追い込みました。ユダヤ人はその後ヨーロッパで差別を受け続け、農地を保有できず、軍隊にも配属されず、果てはナチスによる人類史上に残る大虐殺という凄惨な歴史をたどります。故郷イスラエルの地に戻るまでおよそ2000年間。二度とこの地を失うことがないよう、子どもたちにもう二度過去と同じ苦しみを味わせないために、教育に資金と労力を投じるのは当然の選択だと思いませんか。
子どもたちに二度と経験させてはならない。イスラエルが教育に力を入れる根本には悲劇の歴史がある。写真は収容所解放60周年、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の展示。収容された人々の肖像写真。
Scott Barbour/Getty Images
田中:強くなければ生き残れない。そのために教育に投資するのは当然ということですね。国土が狭く、天然資源に恵まれないという面では、日本もイスラエルと同じように人材とその育成が不可欠です。教育で重視していることがあれば、参考に教えてもらえませんか。
イリット:十分議論(ディベート)するのがいいと思います。イスラエルの人は白熱した議論をしょっちゅうします。本当にそれでいいのか、他に論点はないのか、と疑問を重ねて議論を終わらせない。イスラエルでは、「ノー」は教育の始まり、「イエス」は教育の終わりと言われるくらいです。分かった、と言ったとたんに議論が終わってしまい、あとは深まることがないから。
ヌリット:イリットの言うとおりで、イスラエルでは兵役時も上下関係にこだわらず議論します。戦闘態勢下ではもちろん司令官の指示に従うけれど、計画や訓練の時は、兵役1、2年目の兵士でも平気で上官に反論するし、上官も合理性があると議論で納得すれば、その戦略や方法を採用して恨みっこなし。軍隊においても柔軟性があるのです。
田中:少子高齢化や人手不足、人口の都市集中と過疎化……社会問題の先進国とも言える日本にとって、「0から1」のイノベーション、多様性、教育など、イスラエルから学べることはたくさんあるとあらためて感じました。世界がさらに分断を深めていっているなかで、両国のさらなる関係強化や交流促進がその流れをよい方向に変えていく原動力になればと切望しています。
(構成:川村力、撮影:的野弘路、協力:駐日イスラエル大使館)
田中道昭(たなか・みちあき):立教大学ビジネススクール(大学院ビジネスデザイン研究科)教授。シカゴ大学経営大学院MBA。専門は企業戦略&マーケティング戦略及びミッション・マネジメント&リーダーシップ。上場企業取締役や経営コンサルタントも務めている。主な著書に『アマゾンが描く2022 年の世界』『2022年の次世代自動車産業』『「ミッション」は武器になる あなたの働き方を変える5つのレッスン』がある。2019年4月には新著、『GAFA×BATH 米中メガテックの競争戦略』『アマゾン銀行が誕生する日 2025年の次世代金融シナリオ』を刊行予定。